蒼鋼のカナリア #5
「……どういう、こと」
シュヤの抱えていた荷物がドサリと音を立てて落ちる。硬質な床と採掘道具がぶつかって派手な音を奏でる。よく見れば床も青く輝いており、蒼鋼が所々に埋まっているようだった。
「マリ、これ……」
シュヤはいつ振りか、明るい場所ではっきりとマリの姿を捉える。
マリはなにかを理解したような、しかし、それが受け入れがたいものであると言いたげな、複雑な顔で蒼鋼を見つめている。泣きそうなのにどこか嬉しそうでもあって、悲しみを抱えているのに祝福を受けたようでもあった。
その瞳の青は、蒼鋼と同じ色をしていた。
いや、瞳だけでなかった。今や毛布を握りしめている手にも、毛布の下から覗いているマリの足にも青い斑点が浮かび上がっていた。
シュヤの全身にゾッと寒気が走ると同時、マリはふっと笑った。
「……どんどん、体が重くなっていくの」
口がうまく動かないようだった。マリはいつもより小さく、震える声で呟く。
「暗くて、よく、わからなかったけど。今、わかった」
「マリ、やめろ」
「シュヤが、採掘者で」
「マリ!」
「私が……」
カナリア。三か月に一度国へやってくる商隊の話によると、それは自由を象徴する鳥である。金の羽を持ち、美しい声で鳴くらしい。熱と風と砂しかないシュヤたちの国には存在しておらず、誰も本物を見たことはなかった。自由とは対極にある国での憧れであり、夢がカナリアだ。
だから、カナリアの本当のことなんて誰も知らない。
例えば、その弱さゆえに炭鉱で毒ガスを検知する生きものとして知られていることなんて。
蒼鋼はこの洞窟でのみ採掘される美しい鉱石だ。女性か子供ひとりぶんくらいのサイズがあり、それを採掘することで約十年もの間、一国を潤すことができるという優れものだ。採掘にリスクがあるため、国が選んだ十から十五の少年少女ふたりだけが自由と引き換えに採掘を任される。
選ばれしものの名は『蒼鋼のカナリア』。
採掘を終えて自由になったカナリアたちは、二度と、国には帰らない。
「マリ! 違う、これはきっと先代のカナリアが彫ったんだ! きっとそうだよ! 俺たちを驚かそうとしたんだ!」
シュヤは精一杯の声量でマリに訴える。
「子供のはずがない! だって、そんなのおかしいよ。もしかしたら、俺たち、ガスのせいで幻想を見ているのかも。ねえ、一度戻ろう。外に出ればきっとよくなる。俺たちはまだ洞窟になんてついてないのかもしれない。砂漠の真ん中で見ている夢かも」
まくしたてるように思いつく可能性をすべて打ち明ける。馬鹿にされても罵られてもかまわない。とにかく、マリが今すぐにここを離れる決心さえつけてくれればなんでだってよかった。
だが、マリの瞳は呪いでもかけられたかのようにまっすぐ蒼鋼だけを見ている。その目にはもうシュヤの姿は一切映っていない。
「シュヤ、私の言ったこと、覚えてる?」
「マリ! 今はそんなこと言ってる場合じゃ――」
「シュヤ」
ピシリ、パシリと凍りつくような音が聞こえる。美しかったマリの顔にも、青いきらめきが宿り始めている。
「私はみんなのためなら死ねる」
みんなの中には、シュヤも入っているのだと言った口でマリは言う。嘘偽りなく、本心から。
それが彼女の理想なのだ。清く、正しく、美しくあることを生まれた頃から望まれた彼女の。心からの願い。
「でも……っ……」
口火を切ったものの、すぐにシュヤの喉が締め付けられる。勝手に涙がせりあがってきて唇が震えた。引きつる口元をなんとか動かして言葉を紡ぐ。
「マリはっ……、マリは! 自分自身のために生きたいって! そうも言っただろ! 悲しくて、怖いって! だから、だから俺はっ!」
そんなマリを支えたいと心の底から願っていたのに。マリが理想を望むように、シュヤも望んでいたのに。ずっとマリの隣にいられる、そんな自分であれるようにと誰よりも強く願ってきたのに。
「なのにっ! なんで! やめろよ! マリ、今なら戻れるよ!」
「戻れないよ」
マリはもはや自由の効かぬ体を強引に動かしていた。ギチギチと肉が張り裂けるような音を立てて彼女はシュヤの足元に散らばった採掘道具を拾い上げる。
「この子を、連れて帰って」
「マリ!」
「私が、次の、蒼鋼になる。そうして、国を、みんなを、守るの」
「マリ! やめろ!」
マリは子供の足元を狙って、ツルハシを振りかぶった。もはや石になりつつあるマリの体から勢いよく振り出されると、大きな質量を伴って尖った先端がカアンッと鋭い悲鳴をあげて蒼鋼に突き刺さる。
「マリ!」
シュヤがマリを止めようと思い切りその腕を掴むと、ヒヤリと冷たく、ズシリと重かった。その事実にシュヤの手が引っ込む。
「マリ……」
「お願いよ、シュヤ。私を、みんなのために、シュヤのために、死なせて」
マリは蒼鋼になり始めていた。それは大層美しい宝石に。笑顔の端に涙が伝う。
やがて、マリの体は静かに床へと伏せていく。重たい体を支えられなくなったらしい。這いつくばるような姿勢になったマリは、それでもツルハシを振るった。その姿はロウソクが燃え尽きる直前の炎と同じだ。持てる力とエネルギーすべてが生きている今この一秒、一瞬に込められている。
ガツン、ガツンと硬質なもの同士がぶつかる音が絶え間なく響く。他人を生かそうとするマリの強い思いがシュヤの心臓を嫌でも急き立てる。なにかに駆られるように、シュヤはいよいよ落ちたツルハシを握りしめた。
「う、あ、ああああああああああああああああ!」
シュヤはマリに負けじとツルハシを振るう。
マリが望んでいることを、シュヤが止めることはできない。たとえそれが、シュヤの望まぬ結果であったとしても、マリのすべてを受け入れることがシュヤにできるすべてだった。それほどまでにマリという人を尊敬していたし、マリを愛していた。
「ああああああああああああああああ!」
ガツン、ガツン、、ガツン。
「うあああああああああああああああああああ!」
ガツン、ガツン、ガツン。
慟哭と衝撃が採掘場いっぱいに響き渡る。
カアンッ!
甲高い音がシュヤの耳をつんざき――、蒼鋼が崩れる。グラリと傾いた子供の石像はシュヤが支えようと手を伸ばす間もなく地に伏せた。
ガシャァンッ! とこれまでにないほど派手な音を立てて蒼鋼が砕け散る。子供の姿であったそれは、ただの美しい青石になってしまった。
こんなものが。いいや、人の命ひとつぶんのこの石こそが、シュヤたちを生かしてきたすべてなのだ。
大小さまざまな形に粉砕された蒼鋼の中、シュヤはへたりこむ。煌びやかに輝く蒼鋼は命の輝きそのものだ。かつて、少女だった誰かの命。
床に散らばったそれらの眩しい光を追いかけてたどり着いた先には、今度こそ、蒼鋼となってシュヤを照らすマリの姿があった。
青く透き通った彼女は聖母のようにたおやかな笑みを口端にたたえており、両手はツルハシを握りしめて祈るように胸元へ添えられていた。シュヤの採掘を見届け、これで人々のために、国のために役に立てた、夢を叶えられたのだと訴えているようだった。
「っ……、う、うぅ、ああああああああああああああああああああああああ!」
喉が引きちぎれるほどの叫びがシュヤからあふれた。
青々と光る洞窟の中、シュヤはマリの亡骸を抱く以外できなかった。




