蒼鋼のカナリア #3
三日目、夕暮れの迫る砂丘。本来であればテントを建てるべき時間だが、シュヤとマリはまだ歩いていた。
目的の地、蒼鋼の採掘場が見えていたからである。
「あれだ……」
突然砂地の中に現れた大きな岩山は蜃気楼の奥、まるで水面に島が浮いているように見えた。逆光で黒くそびえるそれは今にもシュヤを飲み込まんとしている。くっきりと浮かび上がるゴツゴツとしたシルエットは、なだらかな砂地と果てのない空だけが続いている世界には到底似つかわしくない。そのせいで洞窟だけがこの世から切り離されているようにも思えた。
洞窟の奥から風の吹き抜けてくるような音が聞こえ、シュヤたちは足を止める。
互いに顔を見合わせれば、そのどちらの顔にも緊張と不安、喜びと興味が読み取れた。
「ついたね」
「うん、ついた……」
洞窟内にも獣はいないと聞いている。そもそも、洞窟の中には人体に影響を及ぼすほどのガスが充満しているのだ。長時間中にいて生きて出られるものはいない。わかっているのに、それでも少しの恐怖が足をすくませる。
ふたりの背後には夜が迫っていた。
朝になってから洞窟の奥へ進むべきか、それとも、今中に入ってしまうか。
シュヤが迷っているとマリが先に一歩を踏み出した。
「中に入ってみない? 危険を感じたら引き返せばいいし、そうじゃないなら採掘は一日でも早いほうがいいでしょ?」
マリの言うことは正しい。国ではみんなが新たな蒼鋼を待ちわびている。国益はいつ底をついてもおかしくない。シュヤたちだって採掘が終われば自由になれる。まだ食料は潤沢にあるし、休むのは採掘が終わってからでもいい。
それなのに、シュヤはどうしてかマリに続くことができなかった。未知への恐怖だろうか。言葉にできない嫌な予感が彼の心に引っかかっていた。
洞窟の奥から鳴り響く風の音が自分たちを呼んでいるように聞こえるのだ。まるでおびき寄せられているみたいだと。
「シュヤ?」
マリが振り返る。大口を開けた洞窟の暗闇を背負った彼女はいつもより小さく見えた。そのことがまたシュヤの心臓を無遠慮に撫でる。
だが、やはり明日にしようとは言えなかった。マリの顔がすでに希望と誇りに満ちていたからだ。恐怖と不安を乗り越え、彼女は選んだのである。みなのために生きることを。
「……うん、行こうか」
マリのそばにいると言ったのは自分だ。シュヤは洞窟ごときに怯えているわけにはいかないと自らを鼓舞した。他の国や土地ではもっと恐ろしいことがあるに違いないのだから。
震える足を慎重に踏み出し、洞穴を見据える。目をこらしても洞窟の奥は見えない。
「風があるってことは空気も流れてるってことだわ。なんだか思ってたよりも大丈夫そう」
マリは念のためにとカバンから毛布を取り出すと、いくらか毛をむしり取ってオイルに浸し、ためらいなく火をつけた。燃えあがった毛布を洞窟の奥へ放り投げる。暗闇の中で火は燃え続けていた。かすかな明かりは次第に奈落へと落下していく。
「地下に広がってるみたい」
灯の軌道を読んだマリはそれだけですっかり冒険者気分になったようだ。どこか興奮した様子で「足元に気をつけながら進みましょう」といよいよ洞窟に足を踏み入れた。
シュヤも置いて行かれないように、たいまつに火を灯してマリの後に続く。
――もう戻れない。
後ろ髪が引かれるような粘度と湿度を纏った思いに蓋をして洞窟内を進む。
ガスが充満していると聞いていたが特に匂いはなかった。むしろ、洞窟内には新鮮さを感じさせるほどのひやりとした冷気が漂っている。砂漠の夜は冷えるが、それよりも一段寒い。凍えるほどではないが体表から熱を奪うには充分な気温。シュヤとマリは体が冷えすぎないようなるべくピタリと体を寄せ合って歩いた。足場は想像しているよりもつるりとした岩でできており、地下へ続く階段は段差にばらつきがあるものの、過去に採掘場だった名残か、整備は行き届いている。注意していればなんの問題もない。足場が崩れるような心配もなさそうで、事前に教えられていたとおり獣も当然いなかった。
どうやら心配や不安は杞憂だったようだ。
すっかり安心しきったふたりの前に、さらに安心感を増長させるかのように狭い通路が終わりを迎えた。
明かりが少なくわかりづらいが、開けた空間が現れたのだ。かつて採掘場だったか、または採掘のために雇われた人々が休憩に使っていたか。どちらにせよかなりの広さがある。
「マリ、疲れてない? 体調は大丈夫?」
「うん、平気よ。シュヤは?」
「俺も大丈夫。でも、無理はよくないし、少し休憩にしようか」
昨日までならもう休んでいる時間のはずだ。腹も空いている。シュヤの提案にマリも賛同し、彼らは夕食をここでとることに決めた。
シュヤが準備をしている間、マリは空間の広さを調べるためと言ってロウソクを岩壁に沿って並べ始めた。何日滞在することになるかわからないので、あまりたくさん消費することは避けたかったが、ついに目的地にたどり着いたということもあってマリがいつもより楽しそうにしているのを見ると、シュヤもそれを咎める気にはならない。シュヤ自身、洞窟がどのような構造になっているのか知りたいという好奇心もあった。
マリが灯りを並べ終えたのと、シュヤが夕食の準備を終えたのはほぼ同時だった。
「わぁっ!」
マリの歓喜の声につられてシュヤも手元から視線を上げる。
そこには町の広場ほどの空間が広がっていた。
「すごい……、こんなに広かったなんて全然気づかなかった」
「ほんと! これなら踊ることもできるし、手を広げて寝転がっても平気ね!」
言いながら、マリはすでにダンスのステップを踏んでいる。みんなで手を繋ぎ、輪になって踊っていた祭りの日のことを思い出したようだ。普段のマリからはにわかに信じがたいはしゃぎようだが、きっとこちらがマリの本当の姿なのだろう。
自身の踊りの稚拙さを恥じて祭りの日にダンスへ参加しなかったシュヤも今日は違った。夕食が冷めることも気にせず、マリの手を取って広間をぐるぐると回る。音楽はマリが口ずさみ、シュヤが足でリズムをとる。ふたりは意味のないその時間を目いっぱい楽しんだ。
目が回ってようやく踊りを中断したシュヤとマリが夕食を始めるころにはすっかりスープも冷えていた。それでも、その夜に食べたスープは人生で一番おいしいとシュヤは思った。
体調に変化もなく、広間から先に続いているのは一本道だけだということで、シュヤとマリは広間で休息をとることに決めた。興奮していると言っても体は疲れていたし、腹も気分も満たされ、忘れていた眠気がシュヤたちを襲ったからということもある。
毛布を敷いてふたりで大の字になって眠る。
いよいよ明日こそ国民の英雄になれる。気分は最高だった。
翌朝、目が覚めるまでは。




