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サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~  作者: 安井優
第3章 砂漠の夢

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砂時計と虹 #4

 アルを泉に置いて、ハリスは何も言わずに立ち去った。


 何も、言えなかった。


 アルがいなくなるなんて。死ぬなんて。信じられなかった。信じたくもなかった。ハリスはアルを愛している。国民たちだって。アルとの別れを知ったらみなが悲しむ。そんなことは許せない。


 ハリスはがむしゃらに馬を走らせて城に戻り、いつぶりか命の砂時計が並ぶ部屋へと駆けこんだ。


 ハリスが半年前に作ったからくりは休むことなくくるりくるりと民たちの砂時計を回し続けている。美しい青色ジルコニアの輝きは星屑のようにきらめき、生きることの素晴らしさを教えてくれているようだ。


 ハリスは救いを乞うように砂時計にすがりつく。からくりを止め、自らの手で確かめるようにひとつひとつ砂時計を回していく。こうしていれば生きていられる。この国では誰も彼もが永遠に生き続ける。別れを惜しむ必要はなく、会えない悲しみを抱える必要もない。ずっとみんなで幸せに暮らすのだ。


 ハリスはハタと気づいた。


――そうだ。アルには砂時計がない。


 何千もの砂時計をすべて確認したが、アルの名前が刻まれたものはひとつも見当たらなかった。通常、国内で新たな命が誕生すると同時に命の砂時計はハリスの管理している棚に追加される。主を失い空になってしまった砂時計にジルコニアが湧いている時もあれば、砂時計ごと増えていることもある。その子供に名が与えられると砂時計にもその名が自然と浮かびあがる。それこそ神の御業であり、ハリスが関与できるところではない。ハリスは与えられたものを正しく管理するだけだ。


 だから、アルの砂時計がないことに今の今まで気づかなかった。


「どうして」


 やはり妖精だからだろうか。神の力の届かぬ領域にあるのかもしれない。


 ハリスは慌てて空になった砂時計を探す。いつだったか別れを惜しんだ民のものがあったはずだ、と。


「たしかこのあたりに……あった!」


 ハリスの探し求めていたものはすぐに見つかった。ハリスはそれを棚から取り上げると、小脇に抱えて部屋を飛び出した。


 向かった先は城の地下、保管庫である。工芸品として売り出す砂時計に使用するものでも、特に粒形が揃っているものや青色が美しいジルコニアは城で厳重に管理されている。国民たちの争いを避けるために国が商売人へ分配しているのだ。ハリスは保管庫に入ると迷いなく最上級品の袋を開けた。キラキラと輝く人工ダイヤは神が用意したものと遜色ない。これならば。ハリスは一握りジルコニアの粒を掴み取って、砂時計の中へ入れた。


 見かけ上は完璧に神の砂時計と同じだ。後は名入れである。ハリスは砂時計を棚に戻し、刻印を持って砂時計の台座に打ち込んだ。


 アルの名前をきっちりと記し終えると、途端、砂時計は命を吹き込まれたかのように淡い光を放った。神がハリスの望みを聞き入れたのか。ハリスが作ったアルの命の砂時計を神が認めたのか。もしくは、かつてハリスと同じような気持ちを抱いてこの不老不死の力を与えた神だからこそハリスに同情したのかもしれなかった。


 理由も理屈も分からないが、ハリスはアルに永遠の命を与えることができたのだ。


「これでもう、アルを失うことはない」


 砂時計に触れると命の重みが直に伝わる。簡単に死んではいけない。ハリスの体に刻み込むように命の大切さが手から心へ染み込んでいく。


「やった……! やったぞ!」


 青色に輝く砂時計はまさにアルの命そのものだ。


 砂時計こそ、この国を幸福に導くすべてだったのに。


 ハリスはアルと出会ってからの半年でそんなことすらすっかり忘れていたのだ。自分ばかりが幸せになることを考え、永遠は簡単に手に入ると思ってしまった。ハリスは国の王だ。自分の自由を引き換えにしても砂時計を管理することでみなを幸せにし続けなければならなかったのに。そのことだけを考えていなければいけなかったのに。砂時計を回すという大切な王の仕事を放棄して、楽をしようとしたから天罰がくだったのだ。


 きっとアルはそのことをハリスに思い出させようとしてくれたに違いない。そうだ。きっとそうだ。いや、絶対にそうだ。優しいアルのことだから直接は指摘できなかっただけ。


 ハリスはこれまで大切にしてきた何千もの砂時計と向き合う。


 砂時計を動かしているうちは別れなど知らずに生きていけた。もう外に出るのはよそう。アルに会うのもやめよう。変化は恐怖と悲しみを連れてくるだけだ。


 自らに言い聞かせ、ひたむきに信じ込む。自分が王の仕事をこなしていれば、アルはきっともう二度と死にたいなどと言いはしないと。それどころか砂時計を管理さえしていれば彼女は永遠に生きられるのだ。アルは水の妖精だが、死ぬ必要もなくなった。ならば、会えなくてもかまわない。アルがこの国でみなとともに幸せに笑って暮らし続けられるのならそれでよかった。


 なにより、もともと妖精と人間では釣り合わないのだ。恋が成就することなど万にひとつもなかったのだから。


「アルが幸せなら、それが一番じゃないか」


 ハリスは噛みしめるように呟き、作ったばかりのアルの命をくるりと回す。上から下へと砂粒大の宝石がきらめいて山を作っていく。


 続けて、またひとつ、またひとつと国民たちの砂時計を丁寧に回していく。かつてそうしていたように。毎日みなが健やかに生きてくれますようにと祈りながら、命の輝き、その尊さをもう二度と忘れないように。


 ハリスの日常がアルに出会う前へと逆戻りするのに時間はかからなかった。時々、アルのことを考えて元気にしているだろうかと思ったりもするが、それはほんの一時だ。それ以外の時間はすべて砂時計の管理に時間を当てた。必要最低限の睡眠と食事をとり、従者との接触もわずかなもの。アルと出会って知った多くの感情もまた体のどこか奥深くへと消えてしまった。


 何にも心を揺らさず、静かに平穏に暮らす日々。ハリスを傷つけるものも悲しませるものもない。


「これでいいんだ……。これでいい……」


 呪文のようにハリスが唱えていると、部屋にノックの音が響いた。


「どうぞ」


 ハリスが入室を促すと、いつか泉が湧いたと伝令を持ってきた従者が顔をのぞかせた。


 ズカズカと無遠慮で大きな足取りは彼の怒りを表しているようだった。従者は主に対して控えめに、しかし、伝わる程度には不満を隠さずに口を開く。


「もうひと月です」


「何がだ?」


「閉じこもってからです。一体何をなさっているんですか? 泉の妖精が……、アルが、悲しんでいるというのに」


 従者の発言に驚いたのはハリスであった。


「悲しむ? アルが?」


 なぜ。ハリスは意味がわからないと眉根を寄せる。自分は命の砂時計を完璧に管理している。アルはこの国で永遠に生きていればいい。死を望む必要はないのだ。それに、以前はひと月どころか数か月、数年、数十年と部屋に閉じこもっていた。それが自分の仕事なのだ。王にだけ与えられた特別な役目。みなを生かすために必要な労働だ。アルだってそれは分かってくれているはず。なのに、どうして。


 ハリスの神妙さを見た従者はいよいよ顔をしかめた。その瞳には哀愁が滲む。


「あなたは本当に何もお分かりになっていない」


 ハリスが今まさに愛でていたアルの命の砂時計へと視線をやり、従者はポツリと呟いた。


「美しかった泉が濁り始めています。あれほど明るかったアルもすっかり心を閉ざしてしまいました」


「え?」


 アルは永遠の命を手に入れたのだ。死ぬ必要などない。ハリスがアルのために砂時計を管理しているのだから命が潰えることなどないはずだ。悲しむことはない。


「ハリスさま、ご無礼をお許しください」


 混乱するハリスの手を従者が掴む。ハリスは拒否することもできずに部屋から連れ出され、城の外へと引っ張り出された。


 連れて来られた先は一か月前、アルと別れた泉。


 しかし、その泉はもはやハリスの知っているものではなかった。


 空を美しく反射させていた青は消え、黒く濁って淀んでいる。そのそばに座っていた少女、泉の妖精アルがゆっくりと顔を上げる。


 ハリスは息を呑んだ。


 彼女の目には空虚なまでの闇だけが広がっていた。

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