砂時計と虹 #3
アルとの逢瀬は少しずつ増えていった。単純にアルを恋しく思ったハリスの出かける頻度が増えたこともあるが、背景にあるのはハリスが編みだした命の砂時計を回転させるからくりがうまくいって管理のために毎日砂時計の前へ立つ必要がなくなったという事実だ。心配性で疑り深いハリスにとって手放しでからくりを信用することはできないが、半日程度であれば放っておいてもよいだろうと思えるほどのできだった。
城の外に出れば自然と人との接触は増える。接触が増えれば次第に仲も深まる。最初こそ国の王を前に遠慮がちだった国民たちもハリスを受け入れ、ハリスにもますますこの国の人々を想う心が芽生えた。
アルに対しても同じく会えば会うほど愛おしさが募った。ハリスだけでなく国民たちもアルを愛していたし、アルもこの国を愛していることがうかがえた。
ある日、アルへ会いに泉へ行くと少年や少女がたくさんの花を泉に添えていた。砂に囲まれた国で花を見ることは少ないが、森の中をみなで探し回ったという。アルが花を見たことがないからと少年少女は笑い、街から帰ってきたアルを喜ばせた。
別の日はアルが街の人々に虹を見せていた。アルが自身の力を使い、太陽に向かって雨滴をまき散らす。と、七色のアーチが空にかかる。人々はそれを見て大層喜んだ。
それ以外にも、アルのおかげで水に困ることがなくなった。民たちの生活はさらに豊かに発展し、その年は稀にみる豊作だった。
人々とすっかり打ち解け家族のように過ごしているアルの姿を見れば、ハリスの胸はあたたかくなり。民を想って笑みを浮かべるアルの姿を見れば、ハリスの胸は締め付けられた。ハリスは彼女の純真な愛に心を打たれ続けた。
アルはハリスに対してもへりくだることなく素直な感情表現を見せた。感情の変化が乏しいハリスも天真爛漫な少女の笑みを見ると自然に頬が緩む。ハリスが落ち込んでいればアルは彼を励まし、ハリスの知らない食べ物があればアルはそれをどこからか手に入れてきて彼に分け与えた。ハリスもアルの知らないものをできる限り集めて贈った。
ハリスはアルとの日々を送るうちに、周囲の人々が言うようにやはり妖精は吉兆の印だったのだと思いなおしもした。国に豊穣を運び、活気を与え、繁栄を促す。そんな存在に間違いないのだと。
現に、それらを裏付けるように国は幸せに満ちていた。人々が死を願うことも減り、ハリスの心も穏やかさを取り戻した。
時々は城に戻って砂時計を見ることもあったがやはり問題はなく、ハリスが発明したからくりは滑らかに動き続けた。
死への願望も時間による束縛や激動もない。何もかもから解放され、ハリスは真の自由を味わう。二百年間、一度も感じたことのない爽快感だった。
どんなに厳格な人間だろうと安寧の日々が半年も続くと気が緩む。心配性なハリスもいよいよ死を忘れ始めた。永遠に続く時間の流れの中、アルとの逢瀬も当たり前になり、アルが隣にいることの素晴らしさすらも日常に溶け込んでいく。妖精という存在はおとぎ話の中のものではなくなった。アルは国民たちの隣人で、ハリスの大切な友人だ。
だから、泉のそばでいつも通りふたりで他愛もない話で盛り上がっているところに、アルが新たな話を切り出したとて、ハリスは何ひとつ疑わなかった。彼女の話がハリスによいことばかりをもたらすとは限らないのに。
「ねえ、ハリス。わたし、あなたに話があるの」
「話? どうしたんだ、急に改まって」
「聞いてくれる?」
「もちろん。アルの話ならいつだって聞くさ」
ハリスの返事にアルは珍しく戸惑うような苦笑いを浮かべる。彼女はハリスの銀の髪に触れ、するりと指先を滑らせた。慈しむような手つきだ。ハリスは名残惜しさを感じ、同時にそのことが心に引っかかった。違和感を口に出すのはためらわれ、いじらしさとあどけなさが同居したアルの横顔を見つめるにとどめる。
どれほど待っただろうか。
「わたしね」
話を続けたアルの声はいつもよりもうんと静かで、それは新月の夜によく似ていた。
「お別れの時が来たみたいなんだ」
秘密を打ち明けるようにそっとささやかれた言葉の意味をハリスは理解できなかった。
「別れ?」
「うん。わたしは水の妖精だから。水はひとところには留まれない。流れていくものなの」
「それで……、この国を出ていくって?」
冗談だろうとハリスは期待を込めたまなざしをアルに向けたが、彼女はやんわりと否定するように目を伏せる。
彼女がいつものように溌剌と笑わないことが、大人びた口調で諭すように話すことが、ハリスの心臓にナイフを突き立てる。ヒヤリと冷たい汗が背中を伝い、鼓動が警鐘のように体内でわななく。
「ハリス」
聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない。聞きたくない!
「ハリスってば」
ハリスが耳を塞ごうとするも、その手はアルに止められた。振り払えればどれほどよかったか。しかし、ハリスはそうはできなかった。アルに握られた手のぬくもりを簡単に手放せるほど彼の情はもう薄くなどない。
アルはハリスの心中など知らずに手を握ったまま綺麗に笑った。
「泉はじきに命を終える。水が枯れるの。わたしには分かる。だから……、国を出ていくっていうのとはちょっと違うかも」
「それは……」
彼女の意味するところはハリスにも伝わっていた。
アルは泉の妖精だ。泉から生まれた。その泉の湧水が尽きようとしている。水が枯れ、泉が干上がってしまうのだとすれば、それはすなわち。
ハリスは息を呑む。
アルはハリスの様子から何を察したか少しだけ口惜しそうにしながらもすべてを受け入れたようにいつもの明るい笑みを浮かべた。
「わたしね、もうすぐ死ぬの」
握っていたはずの手がいつの間にかほどけている。
「この国では、ハリスが命を管理してるってみんなが言ってたわ。だから、ハリスにお願いがある」
願いなど、聞きたくなかった。
「わたしの死を見届けてくれる?」
そんな願いなど。望んですらもいなかった。
ただ、アルが幸せにこの世界でずっと生きていてくれれば、アルがこの国で少しでも幸せに生きてさえくれれば、それだけでなんだってよかったのに。
ハリスは答えを出せないまま空色の瞳を覗き込む。
ふたりの頭上に広がる空よりもうんと透き通った青だけがそこにあった。
アルの純然さが憎かった。




