砂時計と虹 #1
大陸の西、どこまでも広がる砂漠の中にその国はあった。
西の海へ出るにはまだ距離があり、南北を走る交易路からも外れている。砂に隠された地だ。訪れるものは決して多くない。むしろ、その国を知らずに死んでいく者のほうが圧倒的に多いと断言できる。そんな場所に存在している国だ。
この国にはみっつの特徴がある。
ひとつは大きく高い砂壁に国全体が取り囲まれているということ。砂漠の中に国ひとつが丸ごと溶け込む作りになっている。国の外へ一歩でも出れば、国民たちですら砂色に紛れた自国を見失ってしまいそうになるという。
ふたつ目は国の特産品だ。一秒の狂いもない正確な砂時計。機能面だけでなく、見た目も美しい。どこから見ても均整のとれたガラスのボディは当然ながら、中に入っている青いジルコニアの輝きが人を時間に縛り付ける。キラキラと輝く人工ダイヤが上から下へ、ガラスの中を伝って落ちていく様は永遠にこの時が続けばいいのにと思わせる魅力がある。砂時計は西の海を越えた先の国々へ輸出され、国に安定した収入をもたらしていた。
みっつ目は――これこそがこの国の最大の特徴であろう――その国の人間がみな不老不死だということ。
もっとも、正確には少し違う。
その国に住む人々はみな、自らの死に時を選ぶことができるのである。
心も体も時間の流れに合わせて老いるが、その老いは決して死をもたらすものではない。病や怪我すら人を殺めることはない。いつか治癒するか、もしくは治癒こそせずとも生きながらえる。
代わりに、死にたいと願えばいつでも死ぬことができる。若かろうが元気だろうが関係ない。眠りにつくように命を終わらせることが可能だ。
こちらも、正確にはかなり面倒な手順を踏む。
まずは死にたいと願っている本人が周囲の人間にその思いを打ち明ける。それを聞いた周囲の人間はその人の死を尊重し承諾するかどうかを明らかにする。五名の人間がその人の死を承諾して初めて、役所に本人とその周囲五名分の署名が提出できる。署名を受け取った公的機関の人間が国の代表へ書類を発送すると、国の代表は死を希う人との最終面談を行う。本当に後悔しないかを再度問いかけるものだ。最終確認を終え、死を覚悟できているものだけがようやく国の代表によって死を与えられる。代表がその人の寿命を司る砂時計を破壊するのだ。
と、周りくどい説明をしたが、不老不死のからくりはいたってシンプルだ。
単純明快、国民たちの寿命は砂時計によって管理されているだけなのである。日夜、国の代表者が何千とある国民たちの砂時計をひとつひとつ回転させるだけだ。もちろん、自分の砂時計も含めて。
砂時計が回転し続ける限り砂が尽きることはない。砂が動き続ける限り、その人の時間も止まることはない。命を止める場合には、砂時計を止めるだけでいい。
かつてこの国に住む女性に恋をした神が女性との別れを惜しみ、彼女を延命させるために作ったシステムこそ、この命の砂時計であった。
そうして脈々と受け継がれているシステムを管理しているのが今の国の代表者、王であるハリス・ワクィットだ。
国の代表者だけが与えられた真の神の恵みにより、ハリスは老いることを知らない。先代の王が隠居してから約二百年が経過しているが、ハリスの見た目は王の座についた二十四歳だった当時の青年のままだ。彼は褐色の肌によく映える銀の髪をなびかせ、今日も黙々と砂時計を回す日々を送っていた。
ハリスが手を止めたのは、五千と四つ目の砂時計に触れた時である。一段下には空になった砂時計。先日、死を選んだ国民のものだ。
多くの人間は不老不死を望む。死を恐れ、遠ざけようとする。だが、稀にいるのだ。死に魅せられた人間が。そうした人を見送るたび、ハリスは胸が張り裂けそうになった。
ハリスもまた死を恐れる人間のひとり。先代の王、ハリスの父は長い年月の間に多くの人を見送り、離別の悲しみに耐えきれなくなって自死を選んだ。ほどなくして最愛の夫を亡くした母も追いかけるように死を選んだ。ハリスは何もできなかった。気づいた時にはふたりとも自らの手で砂時計を止めていたのだから。残されたハリスは絶望の最中、それでも国民たちの命を管理する役目を背負い、悲しみを生む死を憎み、職務を全うしている。砂時計を回し続けることだけがハリスに安寧をもたらしていた。
――いつまでもみなが幸せに暮らせますように。
それだけがハリスの願いだった。
だが、本当にこの世に永遠など存在するだろうか?
ある日、ハリスは凪いだ水面に一滴、水が落ちて波紋を広げる夢を見た。波紋はどこまでもどこまでも遠くに波を伝え、環は止まることなく大きくなっていく。放っておけば、いつかそれがハリスを飲み込むほどの津波になるかもしれないと悪寒が全身を駆け抜けた。
「っ!」
ベッドから飛び起きたハリスは全身から噴き出た汗を拭って着替えを済ませ、いつも通りに砂時計を回転させた。普段通りを心がけ、変化を、波風を立てぬようにやり過ごそうとした。
昼を過ぎたころ、ハリスのもとへ従者からの伝令が入る。
従者からの伝令はすなわち死のお告げ。ハリスが奥歯を食いしばると、従者は普段よりも緊張と興奮を混ぜた声音でその知らせを告げた。
「国に泉が湧きました」
「泉?」
予期せぬ言伝にハリスの声も裏返る。死の宣告でなくてよかったと安堵する暇もなく、従者が続ける。
「しかも、泉から妖精が生まれたのです」
言葉にしてより実感がわいたのか従者は頬を紅潮させてすっかり舞い上がっていた。
たとえ不老不死の国であろうと命が新たに生まれることは喜ばしいことだ。それも妖精だなんて。
妖精は吉兆のしるし。古くからそんな言い伝えもある。妖精が現れると富や繁栄をもたらすのだと。
だが、ハリスの心には今朝見た夢の嫌な気配がまだくすぶっていた。
雨雲が立ち込める前のような重く冷たい空気がまとわりついて、ハリスはぶるりと身震いする。これを放っておいてはいけない。そんな予感がする。
ハリスは一国の王として、みなの命を管理する者として尋ねる。
「その泉はどこに?」
実に二百年ぶり。ハリスは城を出る決意をした。




