サムシング・フォー #3-2
「それは素敵なお話ですね。なんだか水の精のお話みたい」
王宮へと戻り、早々ミアにバザールでのできごとを話したマリックに、ミアは興味津々といった様子で食いついた。
「水の精?」
「ええ、水を操る妖精たちのことです。水に命が宿ったもの、と言い換えてもよいかもしれません」
「そんなものがいるのか? この世に?」
「いるともいないとも言われていますが、いると思ったほうが楽しく生きられます」
ミアは意味ありげな妖しい笑みを浮かべる。まるで世界の秘密をひっそりと共有するような、心を許し合った者同士が内緒話をするような、心をくすぐる笑みだ。
マリックは降参を表すように両手をひらりとあげる。
「しかし、水の精など初めて聞いたな」
「そうなのですか? おとぎ話に出てきてもよさそうですが」
「サラハにも妖精信仰の類がないわけではないが、多くもないからな」
マリックがあまりそうしたものに興味を示してこなかっただけかもしれない。
思えば、おとぎ話や物語に触れて面白いと感じたのはミアの話が初めてだった。
ミアはマリックの話に関心を寄せつつも何を思い出したか「そういえば」と切り出した。
「砂漠のスコールもそうした妖精の仕業だと聞いたことがあります」
「そうなのか? 初耳だ」
砂漠の民にとってスコールは慣れ親しんだ自然現象だが、そうでない者たちにとっては特別なものに思えるのだろうか。
噂や伝承は事実の中に奇跡や運命、ロマンを見出したものが作り上げるもの。
ミアが異国の人間であるからこそ砂漠の国のちょっとした言い伝えにも心を動かされているのかもしれない。
またひとつミアを知れたような気になってマリックが満足していると、ミアは「あっ」と再び声をあげた。
「マリック王子は今日、雨宿りのためにバザールへ立ち寄ったのですよね?」
「そうだが?」
首を傾げ、すぐにミアの言いたいことが分かった。
だが、今は雨季だ。急な通り雨は日常茶飯事である。マリックは、まさか砂時計を買ってやったあの少女が妖精だと言いたいのか、と顔をしかめる。ミアはマリックの表情を読み解いて瞳をきらめかせた。やっぱり妖精はいるのかもしれないと彼女の口角が雄弁に語っている。
「信じられん」
「そうでしょうか? ない話ではないかと」
たしかにどこか浮世離れした少女ではあった。が、妖精と言われて想像するような羽もなかったし、そもそも妖精が人に金をせびるなんて聞いたことがない。いや、しかし。不思議なもので、ミアの反応を見ているとそのような気がしてくる。ミアに心酔しているからだろうか。それとも、どうにもあの少女が妖精と言われても仕方のないような雰囲気を纏っていたからか。でも。
百面相するマリックを見て、クスクスとミアが肩を震わせる。すっかりミアの手のひらの上で踊らされていた。マリックは恥ずかしくなってきて「もういい」と投げやりに話を切り上げる。やはりマリックは語り部には向いていないらしい。王宮に閉じ込めているミアを少しは楽しませてやれたらと思っての話だったが、結局ミアのほうが語りはうまい。
「それより、お前の話を聞かせろ。みっつ目の願いごとだ。ようやくお前と結婚できる」
マリックは何がなんでも叶えてやると意地を張った。
ミアの願いはどれも難しいものばかりだった。きっとまたとんでもないものを頼んでくるのだろう。しかし、これで最後だ。覚悟は出来ていた。
ミアもまた決意したように笑みを隠した。
「……まさか、こうなるとは思ってもみませんでした」
ポツリと呟かれた言葉はやはり嘘偽りなく彼女の心を鏡のように写し取る。鈍感なマリックにすら素直な驚きと悲しみが読み取れるほど。
「ですが、条件を提示したのは私ですものね」
ミアは緊張しているのか、ふぅと小さく息を吐いてから呼吸を整える。光に当たるとピンクに、影が落ちると青にも見える神秘的な薄紫の瞳がかすかに揺れる。
「それでは、最後のお話をしましょう」
泣いても笑ってもこれが最後だ。その選択を恨んでも、後悔しても、過去には戻れないし、今更条件変更はできない。契約はすでに交わされている。
みっつの願いを叶える代わりに婚約を。
婚約の代わりにみっつの願いを。
お互いの人生を賭けた最後の約束が今、果たされようとしている。
得も言われぬ感情がマリックの中を駆け巡った。
覚悟はとうに決めたはずであったのに、もしも失敗してしまったらと不安がよぎる。
彼女の望むものが手に入れられなかったら。ミアの欲しいものを見つけられなかったら。せっかくここまでやってきたのに。自堕落な生活を捨て、仕事に自分の時間まで割いているのに。ミアを失いたくない。ミアと離れたくない。わがままな思いが胸を張り裂かんとする。
しかし、同時にマリックは愛するミアを自由にしてやりたい気持ちが心中に渦巻いていることにも気づいていた。
マリックはミアを愛している。しかし、ミアは? 彼女の気持ちは一度も聞いたことがない。彼女がマリックをどう思っているか、マリック自身は知らない。とても好きになってくれているとは思えない。本当にそんな状態でミアと結婚してもいいのだろうか? ミアは妻としてよくやってくれるだろう。しかし、愛する彼女を結婚という人生の鎖に縛りつけてもいいのか。マリックの人生に寄り添ってくれる彼女の優しさに甘えているだけでいいのだろうか。
本当にそれが、正しい愛なのか。
悩むマリックを横目に、ミアはいつもの朗々とした声でおとぎ話を紡ぎ始める。
「これは、砂に隠された不老不死の国、そこで出会った王子さまと水の妖精のお話です」
マリックとミアを繋ぐ最後の物語が幕を開けた。




