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サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~  作者: 安井優
第3章 砂漠の夢

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サムシング・フォー #3-1

 長い夏――乾季が終わり、サラハには雨季が訪れていた。


 雨季といっても雨が降り続くわけではない。乾季に比べて明け方もしくは夕暮れ時のスコールが増えるくらいだ。気温もほとんど変わらず、むしろ雨のせいで湿気があるぶん蒸し暑さを感じることも多い。


 マリックは群青色の髪から滴る雨粒と肌にべたりとまとわりつくような湿気をまとめて拭い曇天を仰いだ。ミアの待つ王宮に一秒でも早く帰りたい。気持ちとは裏腹に大雨が彼の足を止める。ここ最近はミアの顔すら見れていないのに。周囲の喧騒がマリックの急く心を一層苛立たせる。


 彼は今、従者たちとともにバザールに駆け込み、買い物客とともに雨が通り過ぎるのを待っていた。


 ここ数週間、マリックはさまざまな仕事に追われていた。まったく政治に参加してこなかったマリックだが、一国を買い取り、ダムの管理について協力を申し出た手前、さすがに何もしないわけにはいかなくなった。自らが撒いた種とはいえこれまで散々遊び呆けてきたマリックにはストレスのたまる日々。


 今も蒼鋼の採掘所、すなわち洞窟の視察から帰ってきたところである。人を石へと変えてしまう洞窟は蒼鋼が他の材料にとって代わられているうえ、立ち入る人もいなくなった以上、悲劇を繰り返さぬために埋めてしまったほうがよいという結論になった。そのため、父である国王から直々にマリックが埋め立てにあたっての視察を任されたのである。


 ミアと出会ってマリックは変わった。誰が見てもそう口をそろえる。マリックの変化は周囲の人々にも影響を与えた。幼少期からとことん甘かった両親もマリックを本格的に国王として推挙しようと遅すぎる教育に力を入れ始め、あらゆる仕事を叩きこもうとしている。マリックはマリックでなまじ素直に育ってきたものだから、結局両親の言うことには逆らえない。どれほど面倒な仕事だろうとわがままや不満を募らせようとも必死に食らいついて奔走した。


 そんなわけで、マリックは一週間近くミアと顔を合わせていない。


 ミアはどうしているだろうか。彼女に会いたい。自分がいない間に寂しい思いをしていないだろうか。別の男に盗られてしまわないだろうか。愛想をつかされていないか。逃げ出してしまっているかもしれない。


 考えれば考えるほど恐ろしくなって、マリックはそわそわと落ち着きなく雨上がりを待つ。


 マリックがミアを連れ帰った当初、美人も三日経てば飽きると誰かがコソコソと言っていた。マリックは元来飽き性だ。付き合った女性もとっかえひっかえしてきた経緯がある。自分でもこれほど執着心を持っていたとは思わなかった、とマリックは自身を振り返った。


 不思議なことに、ミアに飽きることはない。それどころか、知れば知るほど彼女のことを好きになる。おそらく、まだ彼女を手に入れていないからかもしれないし、彼女自身はひとりで生きていける人間なので、いついなくなっても不思議ではないという危機感がそうさせているのかもしれなかった。とにもかくにも、マリックはミアのことを深く、深く愛している。簡単に愛を語れなくなっているほどには。


「はあ……」


――ミアに会いたい。


 マリックがため息をつくと同時。


「えぇ! そんなに高いの!」


 バザール内にキンとひときわ大きな声が響いた。嫌でも声のほうへ目を向けてしまう。


 見れば、鮮やかなコバルトブルーの髪を揺らす少女がいた。少女特有の溌剌さとあどけなさの中に、妙になまめかしい色香を放っている。すらりと伸びた手足はミアと同じく純白だ。サラハの民ではない。


 彼女はどうしても欲しい商品があるようで、異国の旅人を相手に金額をふっかけている店主に詰め寄っていた。バザールに並ぶ店では値引き交渉ができる。というよりも、買い物をするにあたって値引き交渉をすること自体が当たり前という文化が根付いている。バザールの大きな特徴と言えよう。彼女もまた、慣れないながらに店主を説得していた。


 しかし、相手も長きに渡ってこのサラハで商売をしているだけのことはある。交渉はうまくいかなかったらしい。しまいには、少女のほうが諦めたように肩を落とした。


 夏の空を恋しくさせる青い瞳が悲しげにさまよい、マリックを見つける。


 まるで運命がそうさせたとでも言うように、いともたやすく視線がぶつかった。


 マリックが目を伏せた時には遅く、彼女が軽やかにマリックのほうへと近づいてくるのが足音でわかった。


 近くにいた従者たちがマリックを守るように取り囲む。


「あなた、お金持ちでしょう?」


 従者たちの圧をもろともせず、彼女はずばりとマリックへ向けてそう言い放った。


 遠慮や品位の欠片もない直接的な言葉に驚いたのはマリックだ。当然、従者たちも狼狽えた。


 少女は物怖じせずに続ける。


「どうしても欲しいものがあるの! お願い、必ずお返しはするから! 代わりに買ってくれない?」


「貴様、何者だ! マリックさまはこの国の第一王子であらせられるぞ! そんなお方に向かって金をせびるなど!」


「ええ! 王子さまなの? それじゃあ、本当にお金持ちじゃない!」


 従者の言葉により一層目を輝かせた少女は、いよいよ快晴を思わせる瞳でマリックを射抜く。


「ね、お願い! この国についたばかりで全然手持ちがないの。後で絶対に返すからさ!」


 子供のように無邪気な願いをマリックはなぜか邪見にできなかった。


 というよりも、マリックはその少女にミアと似た不思議な雰囲気を感じ取っていた。


 ここにいるのにここにいないような。彼女は自身の足だけでどこへでも行けるような軽やかさを内側から放っている。目を離せばどこかへ行ってしまいそうだ。羨ましくなってしまうほど本当の自由さを持っている。そんなところが似ている。


 それだけではない。マリックが第一王子とわかっても態度を改めぬ真の平等を持ち合わせているところや、心底清廉潔白なのだろうと思わせる無邪気さも似ていた。


 だからだろうか。


「……何が欲しいんだ」


 気づけば、ミアに尋ねるようにマリックの口が動いていた。


 少女は目を輝かせ、コバルトブルーの髪を嬉しそうに揺らす。


「あれ!」


 彼女が指をさした先、店頭に並んでいたのは青い砂が印象的な砂時計だった。

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