サムシング・フォー #2-5
あっけなく差し出された満月にマリックのほうが呆然とした。
だって、そんなのはおかしい。満月のネックレスはセシルにとっての命そのものなのではなかったか。それを外すということはすなわち自身の命を絶つことと同義。
「お前……、何をして……」
「これが欲しいのでしょう? 差し上げます」
先ほどリンゴジュースを差し出した時とまったく同じ動作で、セシルはマリックの前にずいとネックレスを突き出す。
マリックの目の前で満月が揺れる。セシルから離れたからなのか、青い月はだんだんとその色を薄くさせていく。
それがまるで命の終わりのように思えて、マリックはついセシルの手を押し戻した。
「やめろ!」
よこせと言ったのは自分なのに。マリックは自分のしたことが恐ろしくなった。
一方のセシルは、よこせと言われたから差し出したのになぜ拒むのかと不思議そうにマリックを見つめている。
マリックはその視線に耐えられず、
「……早く、ネックレスをつけ直せ」
とふてぶてしいまでの態度でセシルから顔を背け、祈るように目をきつく閉じた。
彼女がバッテリー切れで倒れるところなど見たくはなかった。
しばらくすると、チャリと金属のぶつかるような音が聞こえ、マリックはそれを合図におそるおそる視線を戻した。
彼女の胸元に青い月が輝いている。
「外せと言ったり、つけろと言ったり、あなたは変わった人ですね」
セシルはケロリと偽りない感想を述べる。マリックには理解できなかった。いくら命令されたからと言って簡単に命を他人に渡すなど。やはりセシルは人間ではないのだ。
同時にマリックは、なぜ、と愛する女性を思い出す。
ミアはなぜ満月を望むのだろう。優しいミアは、これを奪えばセシルが一時的にだとしても起動できなくなってしまうことを理解しているはずだ。彼女の命そのものだと。だから、ミアがそれを欲しいと簡単に言うのは違和感がある。
――何かがおかしい。何か、もっと別の理由があるような気がする。
以前のマリックなら、きっと何も考えずにセシルからネックレスを奪っていただろう。機械に命などない。一時的に借用するだけであって、何も奪ったり壊したりするわけでもないと。
しかし、今のマリックはもはやそんな風に考えられるほどの傲慢さを失っていた。
セシルはどう思うだろうか。ここの研究員たちはどうなってしまうのだろうか。ミアは何を考えているのだろうか。
無意識のうちに他人のことを慮り、自身を後回しにしている。
「どうかなさいましたか?」
セシルから尋ねられ、マリックは我に返った。そして、もう一度悩んだ。
悩むことすら面倒だったのに、平然とするセシルにすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
「……いや……その……」
口ごもり、決まりの悪そうな顔で呟く。
「悪かった」
謝罪に反応したのはセシルだ。皮肉でも嫌味でもなく「なぜ謝るのですか?」と不思議そうにマリックを見つめている。
「……そのネックレスは、お前の、命なのだろう」
ぼそぼそと喋る彼に、彼女はますます不思議そうな顔をする。
「命?」
「ああ。お前を駆動させるバッテリーになっていると聞いた」
そこまで説明して、ようやくセシルは合点がいったとうなずく。
「おっしゃる通り、以前はそうでした」
「以前?」
「ええ。かつて……、まだ都市が地上にあったころです」
「今は違うのか?」
「はい」
驚くマリックを待たず、セシルは満月のネックレスを手で弄びながら説明を続ける。
「現在はただのバッテリー残量を表示する飾りにすぎません。充電という行為は相対的に稼働時間を下げてしまい、効率が悪いそうです。光さえあれば体ひとつで発電と蓄電が可能なように研究員のみなさまがわたくしを改造してくださいました」
「そう、なのか……?」
マリックは全身の力が抜けるような感覚に襲われた。事実、彼は椅子から転げ落ちそうになった。カウンターから身を乗り出したセシルに腕を掴まれたおかげで、なんとかギリギリ倒れずにすんだだけだ。
「大丈夫ですか?」
「ああ……、だが、その……、いや、もういい」
どっと体に安心感とこれまでの緊張が押し寄せ、顕著に疲れを感じる。話すことも面倒くさくなった。
マリックは損したような気分を抱えたまま座り直し、もう一度目の前の女性を見つめる。
彼女は尋ねれば答える。嘘偽りなく本心を述べる。だが、聞かなければ答えない。こちらの質問が悪ければ、期待した回答も得られない。機械とはそういうものだ。
彼女を救った満月は長い月日の中でただのアクセサリーとなった。セシルにとってはそれだけのことだし、以前から価値など見出してなどいなかったかもしれない。マリックがどれほど心を尽くそうと彼女には関係がなく、ましてやそれを察することもできない。
研究員がどう思うかは別として、セシルにとっては無用の長物とまでは言わずともあってもなくてもいいものらしい。
「やっぱり、そのネックレス、俺が譲り受けてもいいか?」
すっかり気が抜けたマリックがもう一度尋ねると、セシルはやはりためらいなくそれを差し出す。
「もちろんかまいません」
しかし、先ほどと違ったのはそれからだった。
満月のネックレスを受け取り、満足そうなマリックにセシルのほうから尋ねたのである。
「なぜ、そのネックレスを欲するのですか?」
訊かれて、マリックは理由を告げていなかったことを思い出した。一方的に欲しいと言ったり、いらないと言ったり。まさか彼女から話しかけてくるとは思いもしなかったが、機械が疑問を抱くほど妙な行動だったことは間違いない。
マリックは少しためらい、しかし、正直に話すことにした。機械相手に羞恥を覚えてもせんのないこと。
「ミアの……、愛する人のためだ」
答えてから、やはり恥ずかしさが襲ってきて全身がむずがゆくなる。
しかし、それもすぐに吹き飛んだ。
目の前にいる女性。自分の大切なネックレスを差し出す瞬間でさえ表情ひとつ変わらないヒューマノイドが、なぜか泣きそうな顔をしていたから。
「……セシル?」
名を呼べば、彼女はハッとしたように、しかしやはり羨ましそうな瞳のまま微笑む。
「それは、とても素晴らしいことですね」
その顔には。その声には。
彼女を生きた人間のように思わせるだけの心がこもっていた。




