サムシング・フォー #2-2
「なぜ、お前の話はっ……、そんなに、悲しいものばかり……、っ、う……」
マリックの情けない嗚咽によってミアの語りが中断された。マリックはまたしてもミアに見られまいと顔を背けたが、ミアがどんな顔で自身を見ているかは想像に容易かった。
想像している通りの鈴のようなコロコロとした心地よい笑い声が背後から聞こえる。
「まだお話は終わっていませんが……」
「なに?」
続きがあったのかとマリックは涙をひっこめ、即座にミアのほうへ向き直る。てっきりここで話が終わってしまうのかと思った。それほどまでにミアの語り口は美しく切ないものであったし、開けられた間が長かったから。
「続きがあるなら早く言え!」
泣いた自分が馬鹿みたいではないか。マリックがミアを急かすと、ミアは再び控えめな笑声をあげ「では」とソファに座りなおす。
「アンリはその後、セシルの胸元のネックレスに気がつきます」
「ああ、満月のペンダントだな。色が変わるとかいう」
「ええ。そして、気づくのです。それが、セシルの命そのものであることに」
「命?」
なぜそうなるとマリックは話の飛躍についていけず、ミアの様子を窺う。そもそも彼女はヒューマノイドではなかったか。機械に命など存在しない。
ミアはマリックの言いたいことが手に取るようにわかるのか、情緒を壊すようなことを言わないでほしいと呆れたように首を振った。
「マリック王子にもわかるように言えば、その満月のネックレスがバッテリーだったんです。彼女を駆動させるための電池の役割を担っていた。満月の色が変わるのは、バッテリーの残量を外部に知らせるため。アンリはそのことに気づき、彼女の首からネックレスだけを外してカプセルの中に放り込んだ」
充電が完了した満月は再び青く灯る。それをセシルの首にもう一度かけた時の喜びと言ったら。
ミアはまるでアンリを憑依させたかのように、大げさなほど感激した様子で虚空を見つめた。あまりにも演技がうまいので、マリックにもセシルが目の前にいるのかと思ったほどだ。
「セシルは目を覚まし……、すべての記憶を思い出しました」
カプセルを起動させる際、アンリは充電装置の操作方法を知らなかった。そのため、あらゆるスイッチを押してみたのだ。そして、偶然にも過去のデータを復元させることに成功してしまった。満月の中にエネルギーだけでなく、消し去られたはずの情報すべてを復元して保存した。
と、ミアの顔が曇った。マリックは「どうした?」とミアを覗き込む。
「なぜそのような顔をする。喜ばしいことではないか。どうせ、その後はこう続くのであろう? ふたりは幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、だ。どうだ?」
だが、ミアは悲しげに首を左右に振る。
「思い出してみてください。セシルには待ち人がいた」
その一言に、マリックは彼女が言わんとすることをようやく理解した。たしか、話中でセシルはこうも語っていたはずだ。待っている人のことを好いていたかもしれない、と。
「それは……、つまり……」
マリックはやはり悲しい話ではないかと憤りを覚え、ミアの口を塞ぐ。みなまで言われてはせっかく止まったはずの涙がまた溢れてきそうだ。
「もういい。わかった。記憶を思い出したセシルはつまり、あれだな。想い人のことも思い出してしまった。アンリの初恋はついぞ叶わなかった」
できるだけ感情移入せぬよう、端的に推定される物語の顛末を予想する。
どうだと披露すれば、ミアは小さくうなずき正解を示した。
マリックが彼女の口から手を離すと、ミアもまた、マリックの気持ちを汲み取ったか語り部の口調をやめて残りの物語について教えてくれた。
「お話の結末は、おおよそマリック王子のおっしゃる通りです。失恋したアンリはセシルとの思い出を胸に国を去ることを決めました。残されたセシルは戻らぬ想い人を待ち続けております。今もなお水に沈んだ国の、小さなカフェアンドバーの中で」
ミアは宝石のように澄んだ菫色の瞳を儚げに細めて、話をまとめる。
後味の悪さにマリックは顔をしかめ、納得がいかないと抗議の声をあげた。
「セシルの想い人とは誰のことなのだ? なぜ戻らぬとわかる? 戻ってくるかもしれないではないか」
「彼女の想い人についてはいくつかの説があります。彼女を製作した研究員だとか、彼女とともにカフェアンドバーで過ごした店員だとか。さまざまです。ですが、それは語られていません。ただ、戻らぬことはたしかなのです。国は内戦で滅びた。すべての命が一瞬にして葬り去られたという絶対的な過去があります」
生き残ったのはセシル、ただひとりだった。
断言するミアにいよいよマリックは閉口する。
サラハは王族と民の努力によってこれまで平和が保たれてきた国だ。派閥や村同士の小競り合いはあるものの内戦にまで広がったことはない。たいていが話し合いや金品によって解決される。砂漠のど真ん中にある交易地点という地域柄、他国の侵略もない。そもそも文化や価値観の違いを認め合わねばサラハの繁栄はなかった。
つまり、マリックは戦いというものの悲惨さを目の当たりにしたことがない。その場にいる全員が、一度に大量の人間が死ぬという事実がまるで実感を伴わないのである。
ミアはそんなマリックの甘さを眩しいものでも見たような、尊ぶような一種の敬意と崇拝のこもったまなざしで見つめ、マリックの悲しみに寄り添うように優しく語る。
「でも、そうですね。マリック王子のように、セシルも想い人が戻ってくることをずっと、ずっと永遠に願って生き続けているのです」
ミアはすっかり氷の解けてしまったアイスティーを飲み干して、商人らしい明るい声に切り替える。
「ある国ではこんなお話があるんですよ。ペーパームーンとは紙で作られた月のこと。つまり、偽物の月です。ですが、それを写真に収めるとまるで本物の月のように見える。それを喜んだ人々はこぞって偽物の月と写真を撮ったそうです。偽物でも信じればそれは本物のように思える。作り物でも、まがいものでも。信じることによって真実や価値が生まれる、と」
彼女なら紙製の月も見事に高値で売るのだろう。マリックは感心し、ミアのこういう教養の深さも好きだと惚れ直してしまう。一体彼女に何度心を奪われれば気が済むのだろう。最初はただ見目麗しいものを側に置いておきたいだけの気持ちで、飾り物を買うような気持ちであったはずなのに。
ミアを知れば知るほど、彼女とずっと一緒にいられたらどれほどよいだろうかと思う。
そのことを考えて……、マリックは自らに待ち受ける未来を嘆いた。
試練の時である。
「それで……、お前、今度は永遠の月を俺に望むと言ったな? 永遠の月とは、紙の月か? それとも、セシルそのものを口説けと?」
マリックが苦々しさを隠しもせずにじとりと湿度のこもった視線をミアに送ると、彼女は笑みに陰りを見せる。
「いいえ。私が欲しいものは、セシルの持つ満月のネックレスです」
ミアの声にはわずかな震えがあった。




