サムシング・フォー #1-2
マリックは早速ミアを王宮へ連れ帰った。正しくは拉致か誘拐だと罵られるべき行動だったが、民たちにとってマリックは特殊な立場だ。それらはたちまち一種の婚約儀式あるいは運命の恋愛物語として昇華された。
呼びつけた駱駝車にミアを押し込め、隙間風すら許さぬようにきっちりと荷車の扉を閉める。直後、マリックは二十年の人生において今日は最も素晴らしい日だと実感した。
――したはずだった。
「おい、なぜそんな不満そうな顔をする」
王宮につき、ミアに侍女をつけ、風呂に入れ、着飾らせ、自分の部屋へと連れて来させたところまではよかった。
だが、肝心のミアがそれはもう大層な困惑と悲哀、そして怒りをマリックに向けたのである。
「なぜ、このようなことを」
ミアは最小限の言葉で不平を口にした。
ミアは美しいだけではなく、聡明で勇敢だった。
だからこそ、権力にたてつき、マリックの機嫌を損ねてしまっては命がなくなってしまうことも理解している。しかし、だからと言って黙っていられるほど自分を卑下してもいない。ミアはまっとうに自分を大切にする方法も知っている。
彼女の批判はそれらを包括した口ぶりであった。
残念なことに、マリックのほうがそこを理解していなかった。自分に言い寄られて嫌がる女性などいないと信じて育ってきたし、自分の思い通りにならないことなどこの世にはないと疑ってこなかった。
だから、彼はミアの言葉の裏側を察しようともしなかった。
「お前のことを気に入ったからだ」
あっけらかんとマリックは言い放つ。さらには、なるほどこの女は俺を前にして緊張しているのだなと、勘違いすることで自身の心の平静を保った。
「なに、緊張することなどない。ああ、もちろん、照れる必要もない。お前がそうなる気持ちも理解はしてやれるが、俺が望んでいるのはそういうことではないのだ」
すぐにでもミアを妻にし、両親のように愛し愛される関係を築きたい。自分本位な願いであるとも知らずに、マリックはそう願っていた。
ミアの笑った顔が見たい。ミアのことをもっと知りたい。彼女を自分だけのものにしたい。声も、笑みも、触れるものすべて、彼女の愛を自分のものに。
自分勝手な欲望を隠しもせず、マリックはミアの滑らかな肌に触れる。遮るものがなく夏も冬も関係なく陽の降り注ぐサラハ、その国民が有する焼けた色ではない。なにをどう磨けばそれほどまでに艶が出るのだろうと不思議に思うほどミアの肌は白い。なにより、指先が触れるとまるで男を誘うように吸い付いた。
ミアの紫の目がすっとマリックを見やった。微塵も寵愛を受ける準備をするつもりがない、強い意志のこもった視線に射抜かれる。
「っ……」
ドキリとマリックの胸が高鳴る。言いようのない興奮にマリックは触れた手を引っ込めた。彼女を壊してはいけない。大切にしなくては。畏怖の混ざった理性と本能がそうさせた。
マリックは手持ち無沙汰になった右手でグラスを弄び、話題を変えようと頭を回す。
「ミア、おっ、お前、何か欲しいものはないか?」
問えば、ミアはそこで初めて何かを思案するように目を泳がせた。沈黙に耐え切れず、マリックはまくしたてる。
「な、なんでもいいぞ! 俺はこの国の王子だからな。お前が望むのであれば、どんなものでも必ず手に入れよう」
なんでも。あるいは、必ず。そのどちらに反応したのかはわからない。しかし、ミアの眉間がピクリと反応を示した。マリックはその変化に安堵し、喜び、さらに言葉を紡ぐ。
「お前は俺の嫁になるんだ。つまり、王女だ。わかるか? 王女というのは美しく着飾ることすら仕事になるという。服でも、靴でも、宝石でも。なんだっていい。ああ、花が好きなら用意させよう。水が欲しいならお前専用のプールも建ててやれる。お前がどこから来たのかは知らんが、サラハじゃなんでも手に入るんだ。ここは交易の中心だからな」
自信満々に述べるマリックをミアはどう思っていたのだろう。ただ静かにマリックの話を聞いていたミアは今度こそ表情ひとつ変えずにうなずいた。
「なるほど、よくわかりました。つまり、あなたはこうおっしゃりたいのですね? あなたは私が欲するものを与える。その代わりにあなたへ私の人生を捧げよ、と」
商人らしい損得勘定だった。
そうだ。マリックがやっていることは命令にすぎない。けれど、格別の命令だ。次期国王とその妻にだけ与えられた特権でもある。望めばすべてが手に入る地位は人生を捧げるに相応しい。
マリックが「そう捉えてもいい」とうなずけば、稀代の商人、ミアもついに破格の申し出にのった。
「それでは、みっつほど手に入れたいものがございます」
交渉成立の合図だ。
マリックの顔に喜色が溢れる。すっかりミアを手に入れたような気になって、彼は仰々しく両手を広げて歓迎を示す。
「もちろんだ、何がいい? みっつでよいのか? あっという間に終わってしまうぞ」
物の売り買いに長けた商人がこう易々と手に入るなんて何か裏があるに違いない。通常はそう考える。特に、ミアをよく知る人物であればなおさらだ。しかし、マリックは当然、そんな考えに至る思考回路すら持ち合わせていなかった。
意気揚々と鼻を鳴らし、身を乗り出す。世界のすべてを手に入れられる、何もかもがうまくいくと信じて疑わない幼子にも似た純粋さがマリックを構成するすべてだった。
ミアは客相手にするようにニコリと人好きする笑みを浮かべて「では」と前口上を告げる。
「ひとつは金鳥の涙と呼ばれる石にございます」
「なんだそれは?」
「説明に変えて、これにまつわるお話をひとつ聞いていただくことにしましょう。今まさに滅びようとしている小さな国の、少年と少女のお話です」




