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サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~  作者: 安井優
第2章 永遠の月

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ペーパームーン #4

 恩返しを考えたものの、アンリがセシルにしてやれることはふたつしかなかった。踊りか、セシルの記憶を取り戻す手伝いか。


 セシルは恩など売ったつもりはないとあしらったが、それではアンリの気持ちに収まりがつかない。


 踊りを舞い、もう一度セシルに頼み込んだ。


「お願い、セシル! どうしてもお礼がしたいんだ。もちろん、絶対に記憶が戻るかどうかはわからない。でも、ぼくができることはそれくらいだから」


 価値がなくなったら捨てられてしまう。幼少期からのトラウマもあってアンリは縋りつくように懇願する。


 セシルはいよいよ困った顔をした。考え込み、諦めたように嘆息する。


「……わかりました。では、お願いします」


「やった! じゃあ、早速外に出てみようよ! ずっとここにいても仕方がないし」


 カフェアンドバー『PAPER MOON』は安寧の地だ。だが、新たな何かを得られるわけではない。今までセシルがどうしてきたかはわからないが、食料だって飲み水だってそのうちに底を尽きてしまうだろう。そうなる前に調達も必要だ。


 旅に慣れているアンリはこの都市も通過点のひとつに過ぎないと考えている。もしかしたらこのままセシルと定住するかもしれないが、今のところそのようなビジョンは浮かんでいなかった。


 対して、セシルは旅になどまったく出たことがないのか不安げにアンリを見つめている。所在なく空をさまよった手が満月のネックレスへと吸い込まれて行き、彼女はそれをしっかりと握りしめた。


「ですが、外は危険です」


 控えめなセシルの忠告にアンリは声をあげて笑った。


「知ってるよ。わかってる。たしかに倒壊しそうな建物がいくつもあったし、誰もいなくて怖い街だなってぼくも思ったよ。でも、それだけだ」


 子供をあやすように大丈夫だとセシルに手を差し出せば、セシルはネックレスを握っていた手を開き、自身の手のひらとアンリの手のひらを見比べた。ためらいがちに手が伸ばされ、指先が触れる。


「では……、今日はアンリさんについていくことにしましょう」


 手と手が重なり、握られる。心まで繋がってアンリの気持ちが伝わってしまいそうだ。


 アンリは浮つく心を必死に抑えて店を出た。店の外にはやはり灰色が広がっている。セシルはまるで久しく外に出ていなかったと言うように、雲間から差し込むわずかな太陽光すら眩しいのか額を片手で押さえて庇を作っていた。


「どこへ行くのですか?」


「うーん、ぼくも全然詳しくないんだけど……、そうだな、こういう時は北に進むのが鉄則だって一座の人たちは言ってた」


 どうして北なのかはわからないが、とにかく方向をひとつに定めて向かっていくことが重要らしい。一度でも曲がれば、途端にどこをどの方向に曲がったかがわからなくなる。アンリの言葉にセシルは「なるほど」と納得したようで、早速北を割り出した。


「では、こちらですね」


 セシルが指さした先には大きな鉄塔が見える。アンリには何の役目を果たしているのかわからない代物だ。


「あれは何?」


「電波塔ですよ。かつてあそこから多くの信号が送られていました。今はもう動いていないようですが」


 きっと動かせる人もいなくなってしまったのだろう。アンリはあちらこちらに残る戦火の跡を横目にこの国の過去へ思いを馳せた。


「この国にはセシル以外にも誰かいる?」


「わかりません。いるかもしれませんし、いないかもしれません。戦争で多くの人が亡くなりましたので」


「なんで戦争したの?」


「さあ。西と東の分裂がきっかけだと想定されますが、詳しいことはよく」


「セシルって記憶を失ったんだよね、そういうことは覚えてるの?」


「これは記憶ではなく情報です。しばらくアップデートされておらず、今現在正しいものかどうかは確約しかねますが」


 セシルの話し方はまるで機械のようだった。アンリは最新鋭の機器に触れたことなどなかったが、代わりにたくさんの人間を見てきた。今まで出会った人の中でもセシルの口調は特に変だ。


 丁寧ではあるのだが義務的というか。会話というよりも問答をしているようだ。


「セシルって好きなものある?」


 アンリの問いにセシルは初めて悩むような仕草を見せた。これまで好きなものを聞かれて答えに詰まる人間はアンリの周りにいなかった。セシルはやはりどこか変わっている。


「わたくしには好きなものが設定されていません」


「設定って」


 やはり機械のようなことを言う。本来人間は設定などされずとも自ら好きなものや嫌いなものを見つけていくのだ。自然と好きになっていることもあるし、いつの間にか嫌いになっていることもある。


「本当にないの? 食べ物とか、なんでもいいんだよ。場所でも、人でも」


 セシルに好きな人がいたら嫌だなとは思ったけれど、記憶喪失になった彼女にはそうした人物も浮かばなかったらしい。


「……よく、わかりません」


 セシルの否定には落胆の色が混じっていた。


 思い出せないことへの気持ち悪さを胸に抱いているのか、見ればやはり彼女はネックレスに手を伸ばしていた。


 記憶を失っているのだから、好きなものや嫌いなものも忘れていて当然かもしれない。


 アンリも話題を切り上げた。


 ふたりで黙々と鉄塔に向かって歩き続ける。先ほどセシルは人がいるかどうかはわからないと答えたが、やはり街はシンと静まり返っていて人の気配など微塵も感じられなかった。


 鉄塔が近づいてくると、珍しくセシルから話を切り出した。


 天まで高く伸びている鉄塔を見上げた彼女がポツリと呟く。


「ずっと、待っている人がいると言いましたね」


「うん」


「その方のことは、好きだった、かもしれません」


 その目はまたも過去を見ている。

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