サムシング・フォー #2-1
ミアから次なる要求が切り出されたのは、マリックが旅から戻って約一か月が経過したころだった。
これほどまでに間が空いたのにはいくつか理由がある。
まず、サラハへ戻った初日の夜からマリックは熱にうなされた。慣れない旅で疲れが出たのか三日ほど寝込むことになったのだ。意外なことにミアがつきっきりで看病をしてくれ、風邪をひくのも悪くないと思ったことは一か月近く立った今でもよく覚えている。おそらくミアにとっては自らの無理難題のせいで第一王子の身を危険にさらしてしまったことを引け目に感じての行動だろうが、マリックはミアの本心など知る由もない。ミアの優しさに触れ、ますます彼女を愛おしく感じたマリックはチャンスとばかりにミアに甘え、すっかり新婚気分を味わっていた。約一週間に及ぶ夢の生活だった。
体調が回復した後もしばらくは病み上がりだからと理由をつけ、マリックは三日ほど怠惰な日々を過ごした。ミアと出会う前のように日がな街を見下ろせるバルコニーで寝転がって民たちの様子を眺めていたり、時折マリックに気づいて黄色い声をあげる女性たちに手を振ってみたり。ミアとチェスもした。まったく歯が立たず、三回ほどプレイしたところでやめてしまったが。要求以外で面白い物語はないかとミアにせがんだこともある。ミアは商人として各地を旅していたためか吟遊詩人としても素晴らしい才能を発揮し、マリックを容易く眠りにつかせた。
その後は第一王子らしい仕事もいくつかこなした。王族だからと威張ることでもなく、自らのルックスを武器に女を手籠めにすることでもない。マリックにとって初めての仕事らしい仕事、国とともに買い取った住人達と蒼鋼の後処理だ。
蒼鋼に関しては、ミアのおかげですぐになんとかなった。商売人のミアとしても大きな金額の動く商売は面白かったようで、珍しく饒舌になりながらマリックにあれやこれやと商売の極意を仕込んだ。マリックも自らの手で蒼鋼を商人に売りつけるのは悪い経験ではなかった。自分の力で金を手に入れる行為というのは必然的に達成感をもたらす。これまで自分の人生は満たされていると思ってきたが、意外にもそうではなかったかもしれないとさえ思った。
蒼鋼でこしらえた金は買い取った国の住民達に使った。主に生活のフォローやアフターケアだ。ミアの勧めもあり、マリックは民のもとへ直接出向いて会話を重ねた。家を用意したり、仕事を紹介したり。これまで他人を自らの椅子か踏み台にしか思っていなかったようなマリックも、さまざまな人の考えや思いに触れたことでほんの少し考え方が変わった。特にシュヤとはよい友人関係を築けるようになり、今では時折街の酒場で杯を交わす仲になった。
この一か月でマリックは大きく変化していた。両親は目を見張り、従者たちはなにか怪しい薬を飲んだのではないかと騒ぎ立てるほど。しかし、当の本人はあまり自覚していない。自分のことは自分が一番わからないのだ。
さて、一か月の紆余曲折を経て、サラハの夏は盛りを迎えていた。窓の外、青々と茂った蔓草がカーテンのように日差しを遮る。鳥の鳴き声は活気に満ち、湿気を帯びた熱風が時折窓から吹き込んだ。
ほとんどの仕事も片がつき、後は従者たちがなんとかしてくれるだろうとマリックは久方ぶりの休暇を楽しんでいる。当然、隣にはミアを従えていた。ミアはいまだ他人行儀だが、それでも一か月もともにしているといくらか気心も知れるというもので。マリックは以前なら絶対に見せなかったであろうだらしない姿をミアにさらしている。ソファに寝転がり、自分のことを絶賛している新聞記事を探してペラペラと紙をめくっていると、
「そろそろ、ふたつ目のお話をしましょう」
ミアからそう声をかけられた。
現実はなんと無情なのだろう。いくら一か月の間身を粉にして働いたとて、ミアと結婚するためには彼女が用意した試練を乗り越えねばならないのだから。
一方で、そろそろあの冒険の楽しみをもう一度味わってもよいと思い始めていたマリックにとっても、ミアの申し出はちょうどよいタイミングであった。もしかしたらミアはこの時を狙っていたのかもしれない。
マリックは打算など気にせず、ソファから起き上がり姿勢を正す。
「ちょうど退屈していたところだ。話せ」
促せば、ミアはマリックのためにたっぷりの氷と紅茶を注いだグラスを手渡してうなずいた。
自らもグラスに口をつけた彼女は華やかな茶葉の香りを堪能した後、一呼吸置いて話し始めた。
「私が次に欲しいものは永遠の月です」
また要領の得ぬ品物の名だ。月とは空に浮かぶあの月のことだろうか。だが、考えるよりも話を聞いたほうが早い。マリックは口を挟まずに続きを待った。
ミアの語りが始まる。
「永遠の月について語る前に、水中に沈んだ文明国家で出会った少年と女性のお話をしましょう」




