サムシング・フォー #1-6
両親から怒られるかもしれない。ミアに嫌われてしまったらどうすればよいだろう。そんなマリックの心配は杞憂に終わった。
そもそも、わがまま放題に育った王子が愛する女性のために旅に出たというだけで両親にとっては喜ばしいこと。そのうえ、少々手荒な手段ではあるが、破滅を余儀なくされていた他国の民を救ったのだから誇らしいものだ。国を治めているものがいなかったのもよかった。危惧すべき政治的問題が何ひとつ起こらないのだから。
両親はマリックの手柄を褒めたたえ、サラハの民たちもマリックを見直した。
鼻高々なマリックをさらに喜ばせたのは、なによりミアの存在であった。
考えないようにしていただけで、実際のところ、それが最も気がかりだったのだ。旅の最中、ミアが城から逃げ出しているのではないかとすら思っていた。彼女の護衛と称して見張りをつけたが、ミアなら彼らを容易に買収してしまうだろうと推測もしていた。
しかし、ミアはマリックのいない間も逃げることなく王宮へとどまり、律儀にマリックの帰りを待っていたのだ。彼女の誠実さにマリックの心がキュッと締め付けられる。
「おかえりなさいませ」
数週間ぶりの愛らしいミアの姿がマリックの疲労をすべて忘れさせた。マリックは棒のようになった足を根性だけで動かし、ポケットに入れていた蒼鋼をミアに見せつける。
「採ってきたぞ」
マリックはミアの手を取り、その手のひらに一粒蒼鋼をのせてやる。ちょうど指輪かペンダントによいサイズだ。蒼鋼はミアの真綿のような肌によく映えた。
ちらと彼女の様子を窺えば、ミアは心底驚いたような顔で蒼鋼とマリックを見比べた。
「……本当に、採ってきたのですか? マリック王子が?」
「ああ。結局、国ごと買い取ることになったがな。まあ、それはよいのだ。どうせあのままでは滅びるだけの国。ならばサラハのために働かせたほうがマシだ」
喜びと嬉しさを素直に表へ出すことに恥ずかしさを覚え、マリックの口調は不愛想になる。両親には武勇伝として旅の道中の話をいくつも聞かせたのに、ミアに対してはそうした行動が幼稚に思われた。
「言っておくが、小さくてもれっきとした本物だからな」
マリックが付け加えると、蒼鋼を室内灯に透かしていたミアが「たしかに」とうなずいた。さすが商人。鑑定もお手のものらしい。
マリックの体は、ミアに認められたことで安堵し、いよいよ疲労を思い出した。彼女の隣に並び座る。羽毛がぎっしりと詰まったソファは優しく体を包みこみ、そうだ、ソファはやはりこれでなくてはとマリックは安らかな気持ちを抱いた。
「なんだか、夢を見ているようです」
ミアは蒼鋼を握りしめた拳をそっと胸元にあてがい、泣きそうな顔ではにかんでいた。
「まさか、本当に採ってきてくださるとは思いもしませんでした。それも、残されていた国の人々まで救ってくださったなんて。マリック王子、本当にありがとうございます」
ミアの礼は、今までの誰からかけられた称賛の何倍もマリックの心に響いた。目頭が熱くなる。マリックはミアを直視できず、
「べ、別に! 大したことではない! この程度、俺にかかれば造作のないことだ!」
と無駄に強がる。マリックの心臓はバクバクとうるさいくらいに音を立て、全身にとてつもないスピードで血液を送っていた。
クスクスと楽しげな笑い声が隣から聞こえる。ミアの声はそれこそカナリアの歌声のように可憐だ。笑った顔が見たくてそっと彼女に視線を戻せば、ミアは慈愛に満ちた瞳で蒼鋼を見つめていた。
ふと顔をあげたミアと視線がかち合う。と、ミアはまっすぐにマリックを見つめる。
「一生、大切にします」
まるでプロポーズのようだとマリックは思う。気が早いとはわかっているが、ミアの願いをひとつ叶えたことで彼女を妻にするという夢に一歩近づいたことは事実だった。少なくとも、そう実感させるには充分な言葉だった。
マリックはいよいよ涙が溢れそうになって、天井を見上げる。片手で顔を覆い、呼吸を整える。
だが、まだ終わりではない。
ミアの要求はみっつ。蒼鋼はその内のひとつに過ぎない。まだふたつある。ミアのことだから、またも蒼鋼のように無茶を言うに違いない。残りの夢を叶えなければ、彼女はこの城を去って行くだろう。せっかく大変な思いをして蒼鋼を手に入れたのだ。ここで引き下がるわけにはいかなかった。ミアに話を持ち掛けられたころよりもむしろ、今のほうがよりその思いは強くなっている。
次の要望を想像するだけで恐ろしいような、高揚するような形容しがたい感情がせりあがってきて、マリックはうんざりとした。
やるべきことはまだ山のようにある。わかっている。
しかし、今は。今日だけは。この幸福と充足感に浸っていたい。
マリックはミアの横顔を目に焼き付け、やがて、眠気に襲われるがまま青緑色の目を閉じた。




