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サムシング・フォー ~花嫁に贈る四つの宝物~  作者: 安井優
第1章 金鳥の涙

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サムシング・フォー #1-5

 蒼鋼が採れなくなったにも関わらず残された国民が生きながらえているのは、わずかに残った蒼鋼を大切に切り売りしていたからだとシュヤは町を歩きながら教えてくれた。


 マリックが町中に転がる死体から目を逸らすと、その視線の先には死にかけている子供や老人が目に留まる。先ほどからその繰り返しだ。この国についてからずっと。サラハとここではあまりにも生活が違う。嫌でも分からされる。今この国から蒼鋼を奪えば、今度こそここの人間はみな飢え死にするだろう。さすがのマリックとて、自分のせいで死人が出ては目覚めが悪い。


 サラハでは、マリックの前を横切った人間を衛兵に捕まえさせ、蹴りの一発でもいれろと指示してきたが、それはその程度で人が死なないことを理解していたからこそ当たり前にできたのだ。だが、死臭漂う町を目の当たりにしては、そんな気すら起こらない。仮にそんなことをすれば、命ひとつなど軽く弾けてしまいそうである。


 しかし、サラハでもそうだったのだろうか。マリックは、もしや自分はそれくらいのことを当たり前にしてきてしまったのではないかと自身に問うた。


 彼らの虚ろな目に見つめられると、そんなことばかり考えてしまう。


 マリックは自らの凄惨な行いに少しの罪悪感を抱き、しかし、プライドを守るために余計な考えを薙ぎ払う。


 と、シュヤが町の一角、大きな井戸の前で足を止めた。


「蒼鋼はここに残っているものですべてです」


 言いながら、シュヤは井戸の蓋を何度かくるりくるりと回した。どうやら簡単に盗まれないよう細工されているらしい。何度か井戸の蓋を回し終えたところで、シュヤは蓋を持ち上げた。


 井戸は浅く、水ではなく蒼鋼が点々と星屑のように輝いている。ほとんど底をつきかけていて、微々たるものだが人を魅了するには充分だった。


「これが……」


 マリックは目を見開く。なるほど、たしかに蒼鋼とはよく言ったものだ。空とも海ともつかぬ青は透き通っている。煌めきは鋼のように鋭利で、割れた形状を見るに加工もしやすそうだ。


 マリックがしげしげと見つめていると、シュヤは投げやりに「どうぞ、いくらでも」と顎で蒼鋼を示した。貴重なもののはずだ。少なくとも自分たちの命を繋いでくれるはずの。


 だが、シュヤはもうどうでもよいとすべてを諦めたような顔でマリックを見つめている。


 その態度に後ろ髪を引かれたのはマリックであった。


「……お前、惜しくないのか?」


 マリックの問いにシュヤは肩をすくめる。


「そりゃ、あなたに渡さずに済むならそれがよいでしょうね。でも、もうこりごりなんですよ。死までのカウントダウンをするのは飽きました。蒼鋼に囚われ、死ねずに生きているだけの日々にも疲れたんです」


「だが、生きてさえいれば」


「いいえ。その生きることすら誰も望んでいない。生から解放され、自由になりたいのです。ただ、僕らは臆病なカナリアですから。自ら命を絶つことができないだけです。みな、順番を待っています。毎日、死神の迎えが来るのを待っているだけなのです」


 シュヤの笑みは儚い。そのことが生きていることになんの疑問も持たぬマリックの心をしたたかに突き刺した。いっそ死にたいと思うような人生などマリックは歩んだことがない。だが、国のありさまを嫌でも見せられた今、その気持ちに共感できないほど能天気でもなかった。元来、マリックは子供と同じ素直さを持ったまま生きているような人間である。痛みだけがずっしりとマリックの心に積もっている。


「……一粒で、いくら、生き延びられる?」


 マリックが井戸に手を伸ばし、最も小さな欠片を採って見せるとシュヤは考えるような素振りを見せた。頭の中ではなんらかの計算をしているらしく、しばらくすると


「その欠片で赤子ひとり、一日分です」


 と明確な答えが返ってくる。あまりに端的な命の計算に、訊いたマリックのほうがたじろいでしまった。この国では、蒼鋼と人命を天秤にかけることが常識になっている。その事実がマリックに畏怖の感情を抱かせた。


 小指の爪ほどの蒼鋼で赤子が一日生きながらえる。その計算が正しいかどうかなど誰にもわからない。だが、裏を返せば小指の爪ほどで赤子がたった一日しか生きられないのだ。蒼鋼はもう底をつきかけている。町にいた人間を、目の前のシュヤを、これから先も生かすには足りない。


「本当にいいのか?」


 マリックの口からついて出た疑問は、シュヤに対しての投げかけというよりもマリック自身の心に響いた。


 ここで蒼鋼を手に入れ、多くの人を殺すことになってもよいのだろうか。シュヤの言うようにそんな覚悟が自分にはあるだろうか。答えは否だ。そんなことをすれば、マリックは今晩から毎日この国の夢を見るだろう。蒼鋼を失い、食料が底をつき、飢えて死んでいく者たちの最期を想像して吐いてしまうかもしれない。愛のために国を裏切った英雄シュヤの名を冠した生贄の青年、彼が死ぬことに喜びを見出しているさまを繰り返し思い出して気が狂ってしまうかも。


 脳内で想像した瞬間、ゾワリと全身に鳥肌が立った。やはりこれを奪うことはできないなどと今更口にすることははばかられたが、譲り受けたところでよい未来はひとつも思い浮かばない。なにより、そうして蒼鋼を手に入れたとて、ミアが喜ぶとは到底思えなかった。


 しかし、ならばなぜミアはこの蒼鋼を欲しているのか。商人ならば一度は目にしたいと言ったが、彼女は聡明だ。浅はかな自己利益のためにこの国の民を犠牲にするだろうか。


 遠回しに婚約を諦めろと言われているのだと気づきたくなくて、マリックは必死に代案を探る。


 国を治める王は、国の民を守る責務がある。この国に住む人々を救い、かつ、蒼鋼を手に入れるすべはないだろうか。マリックは、人生で初めてそのようなことを考えた。王族としての真の意味での自覚が芽生えたのである。


 マリックは考えに考え、ようやくひとつの結論に達する。ある意味では横暴なマリックに相応しい答えであった。


「気が変わった」


「やはり、おやめになりますか?」


「いや、この国をまるごと買い取る」


「は?」


 目を丸めたのは周りにいた従者たちであった。シュヤも声にこそ出さなかったものの、驚いてはいるようだった。


「俺は蒼鋼が欲しい。だが、お前たちを殺すつもりはない。ならば、この国を俺が買い取り、お前たちを俺の国の住人とすれば、お前たちをサラハに住まわせることができる」


 とんでもない理論であるが、筋は通っている。マリックは自らの政治的手腕がこれほどまでとはと自惚れつつも話を進める。


「王族は逃げ、この国はもはや誰の所有物でもない。お前はこの国を代表しているようだが、しょせんはただの生贄だろう。俺に逆らう権力も金もない。そうだな?」


 だから、蒼鋼ごとこの国を買い取る。マリックは再度宣言した。


 マリックが持っているのは王族の血とそれ由来の権力と金。それを存分に活かして何が悪いとマリックはもはや開き直っていた。従者たちの抑止もとりなすような声も気にせず、今度は町を見回して現実に向き合う。


 マリックはこの提案を勢いのまま事実にしてしまおうと声を張り上げた。


「おい! いいか、よく聞け! この国は今日から俺のものだ! お前らは俺の国の住人となった。ここはすでに死んだ国だ。滅びた国なのだ。俺の民がこのような場所で死に絶えることは許さん。俺はお前たちをみなサラハに連れ帰り、サラハの民として扱う。異論は認めん! 今すぐに立ち上がれ!」


 マリックの宣言にその場はいよいよ非難轟々となった。さすがの従者たちもマリックの意見に反対の声をあげざるをえなかったのだ。それも仕方のないこと。いくら一国の王子といえ、国を丸ごとひとつ買い取るなど前代未聞なのだから。


 だが、マリックは聞く耳を持たず、それどころかお得意の癇癪と専横っぷりで従者たちを黙らせると、彼らに住人たちをひとり残らず連行するように命令を下した。それから、井戸に残った蒼鋼を集めさせ、マリックはあっという間に国ひとつを手中に収めてしまった。


 いまだ異を唱える従者たちには今しがた思いついた適当な理論でねじ伏せた。


 ミアには一粒あればいい。残りは売って金にし、その金で連れ帰った住人たちの家をあてがえばなにも問題はない。食い扶持を与え、働き口の斡旋をすればさらにサラハも発展するだろうと。


 実際にそうなるかはわからない。本当にうまくいくのかも。そもそも国に戻ったら、勝手なことをしたと両親に咎められるかもしれない。ミアにも嫌われるかも。


 だが、マリックは空っぽになった国を見て思う。


 きっと間違いではなかった。


 頭上には青々とした空が広がっている。


 蒼鋼に閉じ込められていた国。以来、その門戸が閉まることは二度となかった。

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