第3連
◆
何事も無かったかのようにあっさりと2学期が始まった。あれ以来、勇磨は家に戻っていなくて、捜索願が出されたそうだった。俺は、例の件は誰にも言えていなかった。
いつもと変わらない喧騒の中、俺は自分のクラスを目指す。まだ残る蒸し暑さのせいで、うっすらと汗ばんだ背中が気持ち悪い。
「おはよ」
俺は、クラスに入った瞬間に空気が変わったのを確かに肌で感じだ。クラスが白黒になったような気がした。なんだ、何かが違う。
そして気が付く。みんなが俺を見ているんだ。しかも、少し遅めに登校してきた同級生を見るような目ではなく、そう、もっと冷ややかな、のけ者を見るような目で。
「え」
俺が何も言えずに立ち尽くしていると、クラスメイトはあっという間に元に戻る。
「…ねぇってば!」
はっと我に返ると、クラスメイトの直弥が俺の腕を引っ張る。
「っおい、なんだよ急に」
「いいから」
サッカー部の中でも比較的華奢な体形の直弥がどこに秘めていたのか分からないほどの力でカバンを背負ったままの俺を男子トイレまで連れていく。
「痛てぇって、離せよ」
俺が渾身の力で直弥の腕を振り払う。
「なんだよ、朝から。クラスのやつらもそうだし。意味わかんねぇ」
「いや、意味わかんないのは僕たちの方なんだよ。洸佑くん、どうしちゃったの?」
「は?何の話だよ」
そこで直弥は何かに気が付いたように目を丸くする。
「まさか知らないの…?」
「え、何のこと」
直弥は行内では禁止されてるはずのスマホをポケットから取り出すと何やら操作し始める。
「これだよ」
目の前に突きつけられたもの。それは、LINEのトーク履歴だった。
◆
中等部2年 池田勇磨くんの失踪の真相!
中等部3年 玉置洸佑、村松賢哉、高等部2年 ジェイク=カーライル
この3人は偽の幽霊話で池田君の失踪を隠ぺいしています。
この3人組は警察にまで駆け込んで嘘話をして公務執行妨害までしました。
こいつらは翔陽の敵です。みなさん、関わらないようにしましょう。そして、拡散してください。これが証拠の写真です。
◆
そこにはご丁寧に警察署へ駆け込む俺たちの姿をおさめた写真が添付されていた。
「なんだよこれ…」
俺はそれ以上言葉が出てこなかった。
「回ってなかったんだね」
そこからの直弥の説明はおおよそこんなものだった。
このLINEは夏休みの間に翔陽に通う生徒に無作為に送られていて、夏休みの間にあっという間にLINEやTwitter、そして学校非公式の掲示板で瞬く間に学校中に広がったということだった。そりゃあの化け物を見るようなクラス全体の視線にも納得がいく。そのうえ、俺たちの個人名までばっちり載っている。学校は私立ということもあって波風を立てたくなかったのかもしれない。見て見ぬふりを突き通していたわけだ。
「こんなの濡れ衣だ。確かに、勇磨はいなくなっちまったけど、俺らのせいじゃないんだって。本当にあいつは呪われて…」
そこで俺は八と自分の口を押える。でも、もう遅かった。直弥が悲しそうな表情をしていた。
「そっか、僕にも本当のことは言えないってことなんだね」
「いや、違くて、これが本当なんだよ」
俺の悲痛の叫びがタイル張りのトイレに響く。
「ごめん。とりあえず、クラスにいる間は話しかけないで。僕もみんなにはぶられたくはないからね」
そう言い残して、直弥は俺の肩をすり抜けるように出ていった。
まさかこんなことになっているなんて…そして、直弥の足音を入れ替わるように誰かの足音がして振り向く。見たことのない奴だった。
「唯一の証拠だとかっていう動画だって消えてなくなっちゃったとかいう話じゃないか。それじゃあ誰も信じやしないよ」
誰だこいつ。
「なんでそこまで…」
そうなのだ。そのことはあの時俺たちと話した警察しか知らないはずの事実。ジェイクの案で警察署に駆け込んだ俺たちは事情を説明した。狼狽した様子の俺たちを落ち着かせながら若い婦警さんが話を聞いてくれたんだ。
◆
「まぁ、落ち着いて。お友達が行方不明で幽霊に襲われたですって?」
「そうなんです、見てください。証拠があって…」
そう、あの時俺が送られてきた動画を再生しようとLINEのトーク履歴を開くと、
「え、ない…」
ジェイクと賢哉が横で動揺するのが分かった。でも、どんなに探しても、再読み込みをしてもさっき見たはずのおぞましい動画は現れてこなかった。
「こんなことはあんまり言いたくないんだけどね、夏の時期は多いの。君たちみたいに警察署に駆け込んでくる子たち。でも、その半分ぐらいが嘘だったり、悪質なデマをつかまされてきた子たちばかりでね。それに行方不明って言っても、家出の可能性だってゼロじゃないわ。特にこの夏休み期間はね」
警察は力になれない。それが、婦警さんが最後に言った結論だった。
◆
「なんでそれを知ってんだよ…」
入ってきた男子生徒は制服からして高等部の先輩のようだった。なんでまた中等部の校舎にいるんだよ。
「なんで僕がそれを知ってるかっていうのは今はどうでもいい問題だよ。それよりも、なんとかしないと次は君やお友達の番だよ。呪いを侮っちゃいけない」
「呪い?」
耳を疑うような言葉。勇磨はそんな空想的な非科学的なものに連れて行かれちゃったってことなのかよ。
「そう、これは呪い。お友達、ええと、勇磨くんだったっけ。彼は立ち入ってはいけないところまで入ってしまったんだ」
何者なんだよこいつ。目の下まで伸びた校則無視の髪型が余計に怪しさを増幅させる。
「なんで、そんなに詳しいんだよ。ってか、お前誰だよ」
たぶん先輩なんだろうけど、さっきからの物言いに多少腹が立っていた俺はついとげとげしい口調になっていた。
「ああ、ごめん。名乗るのを忘れていたね。僕は、伊藤尊。高等部の3年だよ。詳しい話をこんな場所でするのも何だし、放課後、僕の家においで。今日は始業式だけで学校も終わりだからね。正門で待ち合わせようか」
一瞬前髪を払った間から見えた目はどこか優しそうに見えたような気もしたけど、気のせいなような気もした。
俺はそこからの約半日を透明人間として過ごした。誰とも目を合わせず、関わらず風景の一つとして過ごす。直弥ももう俺に近づこうとはしなかった。
そして、あっという間に放課後になった。
賢哉のこともジェイクのことも心配だったけど、言われた通り正門の少し脇でさっきの3年生を待つ。同級生たちが連れ立って街へ繰り出していくのを遠い目で見ていた。
「ごめん、待たせたね」
声に振り向くと、さっきの彼がいた。確か、伊藤先輩か。
「いえ、大丈夫です」
「それじゃ、いこうか」
特に会話もなくしばらく並んで歩く。駅とは逆の方向に歩くということは、家は学校の近くにあるのだろうか。
「あの動画を見たのはいつが初めて?」
伊藤先輩が不意に話しかけてくる。
「え」
「だから、あの動画」
最初はジェイクに見せられたから…
「夏休みの真ん中ごろだったと思います」
「ふぅん、となると、あんまり時間がないか。それなら―――」
顎を掻きながら伊藤先輩は何やら一人で納得している様子だった。
「あ、あの」
俺は少し大きな声で声をかけてしまった。
「なんだい」
彼がこちらを向く。
「伊藤先輩はなんでこんなにあの動画のこと知ってるんですか。それと、俺たちのことも」
「ふぅ、君は何でも知りたいって様子だね。それじゃあ命がいくらあっても足りないよ。この世には知らない方が身の為になることもあるってことを学ばないと」
「え、どういうことですか?」
「ほら、また質問だ。君のその好奇心がいつか君自身を滅ぼさないことを祈るばかりだよ。『語られるべき物語は語られるべきが来た時に』って言葉があるんだ。さて、着いたよ」
いつの間にか、住宅街に入っていた。そして目の前にはごくごく一般的な二階建ての家が建っていた。
「ここが…」
「ああ、僕の家だよ。さ、入って」
家の中は無人だった。家族は全員仕事で夜まで帰らないとのこと。
俺は伊藤先輩の部屋に通される。エアコンが効いた部屋は快適だった。ただ、それを打ち消してしまうほどの異形さがその部屋にはあった。
部屋中に張り出された何かしらの記事スクラップ。顔写真。その他メモらしい走り書きに廃墟群の写真たち。
「なんだよこれ…」
飲み物を取ってくると言ってすぐに部屋を出ていった彼からは何の説明ももらえずだった。
俺は端の方からスクラップに目を通していく。古いものだと1990年代のものからある。
中学生の相次ぐ怪失踪。共通点は心霊動画?
心霊団地。行方不明の少年 消息掴めず。
関東心霊スポット15選。化け団地。
呪いはあった?団地に消える少年少女
「気になるものでもあったかい?」
「ひっ」
伊藤先輩が俺の真後ろにいた。いつのまに。
心筋が限界まで緊張したようで胸が痛い。
「あぁ、ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど。ほら、麦茶」
そう言って、先輩は大振りで涼しげなグラスに入った麦茶をくれる。俺は、それを一気に飲み干す。
「これって…」
一息ついたところで、俺は先輩に尋ねるべきことを尋ねた。
「ん、まぁそうか。どこから説明しよう」
そう言って伊藤先輩はゆっくりと話し出すのだった。




