幕間46 世樹マヒト(No.4 )③
12月25日3下巻発売!!
勘兵衛との戦いに敗北した。
それ自体はいいのだが、なぜ生きているのか疑問に思っていた。
迷宮で仲間達が殺された光景は、今も夢に見る。それほどショックな出来事であり、勘兵衛の禍々しい姿も目に焼き付いていた。
あの時の勘兵衛であれば、マヒトを殺していたはずだ。
「……元に戻っている?」
そんなことがあるのか?
だとしたらどうやって?
これまで何度も、迷宮で人を殺し魔人になった者を見て来た。
その誰もが破壊衝動、力を渇望する欲求に抗えず襲い掛かって来た。
あの頃の勘兵衛も、正にこの状態だった。
もしもそれが、時間の経過と共に治まるのなら……。
そこまで考えると、No.4から否定の声が上がる。
No.4もまた、同族を殺して堕ちた存在だ。理性が保てているのは、No.4の能力が憑依というものだからだ。
だがその理性も、破壊の衝動に侵食されていき保てなくなるという。
これは、どれだけ時間が経っても変わることは無い。
ならばなぜ?
更に思考しようとすると、世界樹の枝を通じてミューレから初めての連絡が入った。
その内容は、娘のマヤを地上に送るという物だった。
都ユグドラシルで何かあったのかと心配になるが、それは杞憂だった。
マヤが地上に送られるのは、あの世界の環境がマヤに適さなかったから。魔力が体内に滞留して、その身を壊してしまうというのだ。
「……マヤが来る? 私は……」
マヤと会うのが嫌なわけではない。マヒトからしたら、二十数年ぶりの再会だ。嬉しいに決まっている。
だけど、本当に良いのかと考えてしまう。
この手で、この血みどろの手で、あの子に触れていいのかと。
それに懸念すべきことがある。
「……No.4、君はどう思う?」
『僕に聞かないでくれ』
勘兵衛との戦いで、No.4との境界が曖昧になって来ている。イルミンスールの杖があっても、マヒトが受け入れてしまった以上、その効果を発揮出来なかったのだ。
他者に対して無感情になり、誰かが傷付いても興味を持てない。曖昧になる己を自覚しているが故に、衝動に任せてマヤをこの手に掛けてしまわないか心配だった。
「……」
重い腰を上げ、迷宮の24階、湖の中央にある祠に向かう。
ここは、前の世界で世界樹の枝が植えられていた場所で、ユグドラシルと強い繋がりがある場所でもある。
しばらく待っていると、祠の中から光が溢れ出し、小さな赤子が姿を現した。
別れてから二十年以上経っているというのに、マヤの姿はあの時と変わらない。
それだけ、時間の流れに違いがあるということだ。
穏やかに寝息を立てるマヤを、そっと抱き上げる。
その手にある温もりは本物で、懐かしい都ユグドラシルの匂いがして来るようだった。
マヤが胸元には、一通の手紙が添えられていた。
不恰好な字で、『マヤをよろしくお願いします』と。
「ミューレ……」
確かな温もりが、その手の中にあった。
◯
マヤは、世樹麻耶と日本語で名付けられた。
麻耶は大変可愛がられた。
教祖の娘であり、その神掛かった容貌と合わさって、信徒からとても大切に育てられた。
故に歪んでしまった。
いや、元から歪みがあったのだ。
マヒトがそれに気付いたのは、麻耶が二十歳を前にした時だった。
麻耶が上手く隠していたのもあるが、マヒトが麻耶に触れるのを恐れ、距離を置いていたのも理由だろう。
他者を見下し、破壊することに躊躇は無く、他人の感情に一切の興味が無い。
麻耶の目は、まるでこの世に生きていないかのようだった。
話し合おうとした。
だが、逃げられてしまい中々捕まえることが出来なかった。
それに、この頃のマヒトは迷宮の攻略を進めており、時間を作れなかったのもある。
そんなある日、事件が起きた。
麻耶が殴られて帰って来たのだ。
治癒魔法で治したのか怪我の痕は無いが、服が血で汚れていた。
ミンスール教会は、それはもう大騒ぎになった。
犯人を見つけ出して、八つ裂きにしてやると男だけでなく、女性の信者も騒ぎ出したのだ。
だが、麻耶はまるで人が変わったかのように、
「私は大丈夫です。皆、心配を掛けて申し訳ありません」
と、微笑みを浮かべて皆を制した。
皆が何があったのかと問われても何も教えてくれず、マヒトが直接問いただして、やっと教えてくれた。
ある少年に襲われ、そして、母に会ったと。
ここで、ようやく歪みの正体に気付いた。
麻耶はこの世界で生きていない。麻耶の心は、常にユグドラシルにあったのだと。
それからの麻耶は、更に演じるようになる。
良い人を、人に愛される人を、他者を魅了する人を演じ続ける。
◯
麻耶を襲った少年が誰なのか、直ぐに判明した。
黒一福路。
若干十四歳にして、たった一人で迷宮20階まで到達しているという。
件の少年に、マヒトは会いに行った。
そして、凄まじく警戒された。
まるで野良猫のように、怯えながらも必死に抵抗しようと構えている。
それだけ怯えていれば、逃げ出しそうなものだが、まるでその様子は無い。
マヒトが一歩近付く。
同時に黒一は壁際まで下がり、荒い呼吸を繰り返して必死に思考を巡らせているようだった。
「逃げないのかい?」
「……貴方から逃げられるイメージが湧きません。というか、どうしてモンスターが地上にいるんですか?」
その言葉は衝撃だった。
黒一は、マヒトの中にいるNo.4を見抜いている。
いや、はっきりと理解しているわけではないだろう。ただ、本能で感じ取っている。
「何を言っているんだい? 私は見ての通り人間だよ」
「見た目だけでしょ?」
「……」
消すか? そうNo.4が提案して来るが、それは駄目だと首を振って拒否する。
「君はもう少し賢くなった方がいい。無用な言葉で、その命を縮めることがあるからね」
「……肝に銘じておきます」
黒一が頷くのを確認すると、マヒトはすっと離れて姿を消した。
彼はこれから、ミンスール教会の信者から攻撃されるだろう。だが、黒一ならば大丈夫だという確信があった。
まだまだ幼いが、その持って生まれた才能は道世をも凌駕している。そんな黒一を傷付けられる者は、今のミンスール教会の中でもそういない。
ならば、ここは何もせずに離れるべきだろう。
その後、ミンスール教の信徒が黒一を狙うが、返り討ちにあう。それでも諦めないので、戦闘が激化して行き、最後は本田源一郎が間に入って和解させた。
◯
きっと間違えていた。
ミューレからヒナタの命が危ないと知らせを聞き、迷宮を増やし権兵衛の出現を早めようと考えてしまった。
当初はマヒトが受け持つ予定だったネオユートピアの建設。だが、世界の変化の調査、権兵衛の捜索と忙しく、とても受け持てる内容ではなかった。
だから、麻耶に任せてしまった。
ミューレから指示が送られ、魔力を使った土地を作り上げた。その上に都ユグドラシルに似た都市を作り、迷宮化する魔法陣を描いた。
これはあくまでも保険。
たとえ発動したとしても、有象無象の命が散るだけ。世界への影響は、その中で暮らす人達の命で十分に抑えられる。
こうして作られたネオユートピアには、百万人以上の人が集まってしまった。
百万の命、それを前にしてもマヒトは動揺することが無くなっていた。
この頃になると、No.4と交わり過ぎており、壊れ掛けていた。表面上の感情は取り繕えても、心が動かされることは無くなってしまった。
その様子を見ていたイルミンスールとNo.4は、悲しいと思ってしまう。
No.4は、もうマヒトの肉体を手に入れようという気持ちは無くなっていた。魔人化した己の影響で、壊れて行くマヒトを見るのが、ただただ辛かった。
消えてしまいたかった。
でも、それはもう許されない。
あとは、権兵衛が早く現れるのを願うだけ。
それしか、やれることはなかった。
その願いが届いたのか、権兵衛は現れた。
見た目が少々、というか余りにも違い過ぎているが、その力は間違いなく権兵衛の物だった。
田中ハルト。
これが、権兵衛の本当の名前。
彼が現れてくれたおかげで、ヒナタは救われる。そして、ネオユートピアの人々も救われる。
そのはずだった。
「愚かな子だ……」
もう不要となったネオユートピアの仕掛けを、麻耶は発動してしまった。
ここはもう迷宮になる。
途中で止めたとしても、迷宮の侵食は確実に世界を蝕む。
ならば、少しでも人が犠牲になってくれた方が良かった。故に、多くを見殺しにした。
だけど、それを許さない奴がいた。
「権兵衛さん……」
心が騒つく。
彼の姿を見ていると、あの頃の日々を思い出して希望を見てしまう。
彼がいれば、何とかしてくれる。
彼がいれば、全てが上手く行く。
彼がいれば、全てが救われる。
そんな、途轍もないほどの希望を抱かせてくれる彼の姿が、そこにはあった。
都ユグドラシルがいる世界と繋がり、聖龍に似た龍を前にしても一歩も引かず、世界を守る為に戦い続ける。
まるで、アニメのヒーローのような存在。
不可能を可能にし、人々に希望をもたらす正に英雄のようだった。
彼に魔力を渡す時も、No.4と混ざり合ったマヒトを二号と受け入れてくれた。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
だからこそ、彼に殺されるなら本望だと思ってしまった。
適当な理屈をこねて、ダンジョンの恐ろしさなどと吹いていたが、そんなもの後付けの言い訳でしかない。
ただ、ヒナタを救いたい。
それだけが、マヒトとミューレの目的だった。
だが、救いたかったヒナタは死んでしまった。
その原因の一端にはマヒトもいる。
ならば、権兵衛に殺される理由は、十分にある。
「田中ハルトさん、私を殺して下さい」
そう願った。
だが、「ふざけんな」の一言で片付けられてしまった。
彼らしい。
実に彼らしい。
彼が病室から出て行くと、マヒトは己の手を見る。
皺くちゃな手には、これまでの歳月が刻まれていた。多くの命を奪い、それ以上の命を救って来た手でもある。
その手に雫が落ちる。
これはなんだと訝しんでいると、次々とこぼれ落ちて来て、それを自分が流した涙だと知る。
長い間忘れていた感情。
それが爆発して、ただただマヒトは涙を流し続けた。
◯
死期というのは、予め分かるものらしい。
高度な治癒魔法で怪我や病いは治せても、肉体を蝕む魔人化という呪いは止められない。
No.4の侵食は確実に広がっており、間もなく完了する。
すまない。
そうNo.4から声が届くが、仕方ないさと笑って受け入れる。
イルミンスールの杖を手放し、ミューレにヒナタの転生を告げると、ただ静かに椅子に腰掛けた。
体はまだ動く。
むしろ、今までにないくらい軽く感じるくらいだ。
いくらでも動ける。
それなのに、意識だけが遠のいて行く。
ただ静かな時間が過ぎて行き、ポツリと呟く。
「すまない」
それは、若々しくハリのある声だった。
こうして、世樹マヒトはこの世を去った。




