幕間46 No.4 ①
No.4の肉体が消滅してから、わずかに残った意識は世樹マヒトの肉体に移り住んだ。
直ぐに体を奪おうとしたが、残念ながら巨大な力に阻まれてしまいそれは叶わなかった。
その巨大な力の源は、マヒトの持つ杖にある。
杖に宿った意思は、No.4を「メッ!」と幼子をあやすように叱りつけて抑え込んでしまう。
それでも、マヒトが杖を手放した時は、少しずつ侵食することが可能だった。
侵食されていることに気付いたマヒトは、当初ひどく怯えていた。
その様子を見て、No.4は少し悪いことをしてしまったなと思ってしまった。
いつもなら、恐怖を感じさせることもなく一瞬で乗っ取れるのだが、今はジワジワとしか侵食出来ない。無用な苦痛を与えてしまっている。
せめて、邪魔な杖がなければ……。
そう思わずにはいられなかった。
No.4はマヒトの目を通して外の世界を見る。
そこには高度な文明が築かれており、様々な種族が共生していた。
世界樹ユグドラシルという神を中心に生きており、誰もが平穏を手にしている。
素晴らしい世界だ。
そうマヒトが評価しているのが伝わって来る。
素晴らしいと、理想郷だと絶賛している。
だけど、No.4は何も感じなかった。素晴らしさが一切伝わって来なかった。
ここにいる弱者は、僕には無かった物を全て持っている。
それだけの感想しか持てなかった。
この体を奪ったら、まずは血祭りに上げよう。そんな血生臭いことを考えていたら、マヒトが意識を内側に落としてやって来た。
これは一気に奪うチャンスなのだが、それは出来ない。
近くには、杖の意思でもあるイルミンスールがおり、マヒトの護衛をしているのだ。
「君がNo.4?」
問い掛けて来たマヒトは、酷く恐れているようだった。
「そうだ。それで何の用だい? 命乞いに来たのか?」
そう告げると、マヒトは明らかに怯えていた。だが、マヒトはNo.4から逃げなかった。
「話をしないか? 君のことが知りたい。それに、私のことも知って欲しい」
予想外の提案だった。
提案を無駄だと無視することは出来た。
でも、興味が湧いてしまい、
「暇だし、いいよ」
と、つい返答してしまった。
それからマヒトは、意識を深く沈めて会いに来るようになる。
今日の出来事や、何気ない対話をして帰って行く。そんなつまらない毎日が繰り返される。
きっと、話がつまらなかったからだろう。
No.4が己の過去の話をしてしまったのは。
話をしていて、改めて下らないなと認識してしまった。
無抵抗で、従順で、気付いた時には全てが間違っていた。そんな己の話に、嫌気がさしてしまった。
全てを話し終えると、マヒトは涙を流していた。
辛かったねと、これからは共に生きて行こうと下らないことを言い出した。
「ああ、これからもよろしく頼むよ」
和かな笑みを浮かべながら答えるが、内心では油断したところを食い尽くしてやろうと考えていた。
何もない、無意味な時間が過ぎて行く。
マヒトは異種族であるミューレという天使と番になり、幸せそうな日々を送っていた。
ミューレは、マヒトの中にいるNo.4にも気付いており、排除する方法を探しているようだった。
無駄なことだ。
No.4とマヒトの魂は絡み合っており、どちらかが呑み込まれない限り消えることは無い。現に、ユグドラシルでも分離することは不可能なのだ。その眷属ごときが出来るはずもなかった。
だから何も気にせず、No.4は肉体を乗っ取るチャンスを伺っていた。
そんなある日、小さな命がマヒトの腕の中にあった。
とても弱く、一人では生きることも出来ない小さな赤子。
大したことないはずだった。
それなのに、No.4はその赤子を見入ってしまっていた。
赤子が愛おしいのではなく、生まれた命の輝きが美しいと思ってしまった。
初めて体験する感情で、どう言葉を発すればいいのか分からなくなってしまった。
この赤子はマヤと名付けられ、マヒトとミューレの手で育てられる。No.4はそれを眺めながら、この命の輝きを見られるのなら、現状も悪くないと思い始めてしまった。
だが、それも唐突に終わる。
あまりにも強大な存在が現れたのだ。
その名をアクーパーラと呼び、世界樹ユグドラシルすら簡単に葬ってしまえるほどの圧倒的強者だった。
アクーパーラの狙いにはマヒトも入っており、この時のNo.4は大いに焦った。
だがそれは、己の命が終わることではなく、小さな輝きが消えてしまうかも知れないという危惧からだった。
マヒトの中で叫ぶ。
戦えと。僕と変わって戦えと。
No.4ならば、己の爪でアクーパーラを傷付ければ、その肉体を乗っ取れる技術がある。たとえ、乗っ取ろうとした瞬間に、アクーパーラから消されるとしても、やらなければならない。
それ以外に助かる方法があるのならいい。だが、無いのならば、無力な貴様は消えろと叫ぶ。
聞こえていながら無視するマヒトに殺意を抱きながら、助けてくれと願ってしまう。
その願いが届いたのか、アクーパーラから救われる選択肢を与えられる。
己の命と、この地を守る英雄の命、この二つを差し出せば小さな命は救われる。
ならば、迷う必要はなかった。
マヒトも英雄も考えは同じで、迷うことなく外に出て行った。
しかし、邪魔する者はいる。
危機的状況だというのに、群衆が止めて来るのだ。
今直ぐにマヒトを乗っ取り、殺してやろうとした。しかし、それさえもイルミンスールに邪魔をされてしまう。
「落ち着きなさい、あなたが足掻いたところで意味ないわよ」
「だからといって、動かない理由はない」
この時、どうしてこんなに必死になっているのか自分でも理解していなかった。
ただ、小さな命を思うと、何とかしなくてはと制御が効かなくなっていた。
世界に夜が訪れて、アクーパーラはその身を隠す。
この地が救われたのは奇跡だった。
だが、次にアクーパーラに狙われたら終わりだろう。なので、英雄は夜の世界に止まり、マヒトは地上に戻ることになった。
『権兵衛さんを連れて必ず会いに来ます。その時まで息災で』
『マヒト、無理はするなよ。お前の中には……』
『分かっています。それでも、いつか分かり合えると思うんですよ。では、ミューレ、マヤ、また会いましょう』
『ああ……』
二人の別れは簡単なものだった。
だけどマヤは、父親ともう会えないと思ったのか、大きく泣き始めた。優しくあやしながら、ミューレはマヒトを見つめる。
今生の別れではない。
杖と枝を通じて連絡も取れるし、マヤの姿も見せてもらえる。
だが、地上とこの地では時間の流れが違う。
単に早いとか遅いというものではない、こちらでの昼の世界が地上では十年が過ぎる場合もある。反対に、地上の一日でこちらの昼と夜を往復することすらある。
マヒトとミューレは、もう同じ時間を共有出来ないかも知れない。
それは、マヤもまた同じだった。
ユグドラシルが力を使い、マヒトを地上に送る。
その最後の瞬間まで、二人は見つめ合っていた。
◯
地上は、とても窮屈な場所だった。
ユグドラシルが守る地よりも、遥かに劣った文明。そこらを歩く人の虚弱さ。見せかけの秩序で平穏を手にした気になっており、虚像の平和の中で生きる無価値な者達。
それなのに、マヒトに向かって獲物を見るような視線を向けて来る。
その目は嫌いだ。
まるで、あの研究者どものようで憎しみが湧いた。
「落ち着いて」
マヒトが呟く。
言葉の向け先は、No.4ではなくマヒト自身。
No.4の憎しみの感情が、マヒトに影響を及ぼしていた。
これは徐々にではあるが侵食しており、イルミンスールでも完全には止められない証でもあった。
「おい、そこの坊や」
地上に戻って直ぐに、暴漢達に囲まれた。
彼らは何らかのスキルを持っているようだが、はっきり言って相手にならない。
「ここじゃ邪魔が入るから、そこに行こう」
マヒトが平然と言うものだから、暴漢達はたじろいでしまった。
ここで逃げ出せば、まだ賢かっただろう。だが、彼らにも面子があり、引くことが出来なかった。
その結果、暴漢達は地面に横たわることになる。
「……はあ、やってしまった」
マヒトはこうするつもりはなかった。
ただ、衝動を抑えられなかった。
暴漢達に治癒魔法を使い治療すると、暴漢達は怯えるように逃げて行った。
No.4はそれを見て笑った。笑って、何故か虚しくなった。
この気持ちが何なのか、よく分からなかった。
暴漢達の背中を見ながら佇んでいると、背後から新たな珍客が訪れる。
「何だ? 優男が連れて行かれたって聞いて来てみりゃ、おかしなことになってんじゃねーか」
振り返り、その男の顔を見てマヒトは固まった。
No.4は、これが怯えから来るものだと気付いた。
「……勘兵衛、さん?」
恐る恐る呟いた名前。
男はその名前に反応した。
「あんた、親父を知っているのか⁉︎」
「親父? ……君は、平次君かい?」
「俺のことも知っているのか? あんた、一体何者だ?」
訝しんでいるのは、天津平次という名の男性。
マヒトの恩人で、裏切り者でもある天津勘兵衛の息子だった。
◯
平次に連れられて向かったのは、彼の実家だった。
マヒトは以前にもお邪魔したことがあり、勘兵衛の嫁にもお世話になっていた。
勘兵衛の嫁と会うと、酷く驚かれた。
生きていたの?
今まで何してたの?
他の人達は?
あの人は無事なの?
様々なことを矢継ぎ早に聞かれてしまい、マヒトは答えることが出来なかった。
本当のことは話せない。
仲間達と仲が良かったのは、彼女も同じ。
もしも、勘兵衛に殺されたという真実を告げたら、彼女は責任を感じるだろう。
勘兵衛と関係の無い彼女に、これ以上の負担を掛けるべきではない。
そう判断したマヒトを見て、それが良いとNo.4は同意していた。
彼女には、「私一人を残して、みんな亡くなりました」と告げた。
今までダンジョンの中を彷徨っており、先日ようやく出て来れたのだと説明する。少しでも迷宮を知っていれば、嘘だと疑うような内容だが、何かを察したのか、彼女はそれ以上聞いて来ることはなかった。
彼女は勘兵衛の最も近くにいた人物だ。
もしかしたら、何か心当たりがあったのかも知れない。
しかし、平次は純粋な興味から己の父親のことを尋ねて来る。
「なあ、親父ってどんな人だったんだ⁉︎ 強いってのは聞いたことあるんだけど、それ以外知らないんだ。頼む! 教えてくれ!」
「……そうだね……勘兵衛さんは……最強だった。最強でとても頼りになる人だった……」
マヒトが思い浮かべている人物は、No.4を葬った男の姿だった。
強く、優しく、どこまでも頼りになる男。
命の恩人で、少し抜けた所があっても、それが魅力的だとも思えてしまうような人だった。
もしも彼が、勘兵衛の立場にいてくれたら、きっとあんな悲劇は起きなかっただろうと夢想してしまう。
そんな人物の映像が、マヒトを通じてNo.4に届く。
「やめろ! そいつを見せるな!」
No.4は恐怖する。
何をやっても、この男には敵わなかった。これまで積み上げた物の殆どを消滅させられた。
もしも、田中ハルトがいたのなら、No.4はマヒトの体を奪うのを諦めていた。
それだけの恐怖が、No.4の魂には刻み込まれていた。
マヒトの話を聞いた平次は、とても興奮しているようだった。
たった一人で、多くのモンスターを相手に戦い、強力なモンスターさえも簡単に葬ってしまう。そんな強い探索者が、自分の父親だと知って、とても喜んでいるようだった。
対してマヒトは嘘をついてしまい、とても心が痛んでいた。
そしてNo.4は怯えて、侵食の手を緩めてしまった。
◯
終戦してから二十年近く経っても、時代は混迷していた。
迷宮の近くというのもあり、飢えの心配が無い分マシな方だが、人の流入が多くなり過ぎており治安が悪化していた。
警察も動いているのだが、一部の不良警官が裏でヤクザと繋がっており、どうしようもない状況に陥っていた。
そんな地域で、平次は自警団を結成していた。
警察に頼らない、民間人だけの組織。
平次はまだ二十歳前だが、すでに30階を突破しており、かなりの実力者だった。
自警団のおかげで、この地域の治安は改善されて行く。
浮浪児は保護され、厄介者はなりを潜め、孤立した者には手が差し伸べられ、やり直したいと思う者にはチャンスを与えられた。
その成果もあり、事件と呼べる事案は減り、あっても酔っ払いの喧嘩くらいに落ち着いていた。
この地域に、新たな秩序が出来つつあった。
平次から、マヒトも仲間になってくれと頼まれるが、それよりも優先すべき事柄があり誘いを断った。
マヒトがするべきことは二つ。
一つは世界樹ユグドラシルの存在を世界に知らせ、数百年後に来るであろう世界の崩壊から人々を守ること。
もう一つは、マヒトを救ってくれた命の恩人である権兵衛を見つけ出すことだ。
彼がいなければ英雄は存在せず、マヒトも死んでいた。そして、これから先、世界樹ユグドラシルは死に絶えるだろう。
最優先は権兵衛を見つけ出すことである。
とはいえ、権兵衛の所在も不明で、生まれているかどうかすら定かではない。
なので、マヒトは世界樹ユグドラシルを信仰する宗教、ミンスール教会を設立した。
布教のために各地を巡り、治癒魔法で病気を癒やし、国の重鎮を蘇生魔法で復活させて恩を売った。
活動資金は教徒から徴収はせず、ユグドラシルから与えられた生命蜜を売却した金銭で賄っていた。
順調に勢力は拡大して行き、権兵衛が現れたら直ぐに情報が届くよう体制を構築して行く。
そんな中、ある情報が入る。
天津平次が、迷宮で行方不明になったと。




