幕間45(黒一福路)
12月25日3下巻発売!
探索者監察署は、犯罪を犯した探索者を取り締まる機関である。
採用される者は、ダンジョン40階を突破した者と決められており、実質探索者のトップ層が集まる場所となっていた。
そんな探索者監察署だが、人員不足に陥っている。
これまで通りの犯罪率ならば、問題なく間に合っていたのだが、昨今の探索者の増加に比例するように、犯罪が増加傾向にあるのだ。
おかげで、探索者監察署に所属する探索者は、休み無しで働いていたりする。
そんなブラック企業真っ青な労働環境の中、悠々と歩く男の姿があった。
コツコツと音を鳴らして歩く。
己の存在を知らせるように歩く。
死神が来たぞ、お前達の罪を見ているぞと知らせるように歩く。
これだけで、監察署に所属する探索者は犯罪を犯そうとは思わない。稀に、恐ろしさに気付かない阿呆が暴走するが、その時は粛清するまでである。
目的地である署長室に入ると、そこには以前とは違った人物が立っていた。
「忙しいところ、呼び出してすまない」
「いえ、お気になさらずに」
以前の署長は、身内が犯罪を犯してしまい左遷されてしまったのである。
因みに、署長は犯罪をもみ消そうとしていたが、「粛清の対象ですよ」と優しく忠告して改心させたのは黒一である。
そんな前署長の代わりに来たのが、年若い上司だ。
若い署長は、まだ三十代ではあるが、プロ探索者だった経歴を持つ猛者でもある。
「緊急事態が発生した。黒一さんに対処してもらいたい」
「緊急事態とは、また穏やかではありませんね。どのような事態が起こったのですか?」
「中東に向かった職員と音信不通になりました。恐らく、失敗したと思われます」
失敗。
つまり、死亡したということ。
ダンジョン40階を突破した者が、何者かに殺された。
俄には信じ難いが、署長が言うのであれば真実なのだろう。
「……中東といえば、同盟国から情報が入っていましたね。その件でしょうか?」
「そうです。この写真の若い男が、各地の武装勢力をまとめ上げていると知らせを受け、現地に派遣したのですが……」
スッと渡してきた資料を手に取り、内容を確認する。
資料には、数ヶ月前に突然現れた若い男が、武装勢力の一つと接触。その後、他の勢力とも接触してまとめ上げて行く過程が書かれていた。
男はそれだけに留まらず、政府の要人にも接触。
安全を保証する代わりに、ある土地の使用を要求。最初こそ断っていたようだが、二度目の接触で要求を呑んだ。
これは一度ではなく、隣の国に男が移動しても同様のことが起こっている。
同盟国は、当然男を警戒して素性を探る。
東アジア特有の顔立ちと体格、物腰柔らかい雰囲気、銃弾が通じない強靭さ、魔法による超常の力を見て、日本人の探索者と判断した。
これらの情報を受けて、武装勢力と政府の要人の変化は、探索者のスキルによる洗脳だと予想される。
同盟国はこの男を危険視して、日本に制圧要請を出す。
日本政府の要請を受けて、探索者監察署から一つのパーティが中東へ出発。
派遣されたパーティは、探索者監察署でもベテランで、日本の治安維持に大いに貢献してくれたパーティでもある。
実績も実力も申し分なく、人格も優れた者達だった。
だからこそ、これでこの件は片付くだろうと思われた。
だが、残念ながらそうはならなかった。
ある日突然、定時連絡が途絶えたのだ。
探索者監察署所属の探索者が海外で活動する場合、定期的な状況報告が義務付けられている。それを守らない者もいるが、このベテランパーティは違う。
何度も海外派遣を経験しており、この規則も遵守していた。
そのパーティからの連絡が途絶えた。
「それで、私が向かうのですか」
「そうです。ここで最も強い黒一さんが調査するのが適任だと判断しました」
目的は、パーティがどうなったのかというのと、男の粛清。
黒一は写真を手に取り、若い男の顔を眺める。
その顔に見覚えがあるような気もするが、思い浮かべた人物は老人。
他人の空似だろうと判断して、黒一は署長の要請を受けた。
◯
目的地までは飛行機で移動後、通訳の運転する車で現地へと直行する。
「ねえ、海外は嬉しいんだけどさぁ、どうして私だけなの?」
愚痴を言うのは、腰に小瓶を装備した操理遊香である。
「申し訳ありません。他の方は忙しく、手空きが遊香さんしかいなかったんです」
他の仲間も連れて行きたかったのだが、別の任務に当たっており、今回は遊香と二人での行動となった。
「二人っきりって……もしかして、私に何かしようとしてない?」
「あはは、反吐が出ますね」
遊香の軽口に唾を吐きかけながら車は進んで行く。
到着した先は、開発途中の町だった。
町には活気で満ち溢れており、人々には笑顔が浮かんでいた。とても武装勢力がいるとは思えない光景で、銃火器はどこにも見当たらなかった。
人種も様々で、服装も多種多様。宗教色の強い物から、キャラクターがプリントされたTシャツなど様々だった。
恐らく難民と思われる者達も数多くおり、彼らにも暗い雰囲気は感じ取れなかった。
「へー、なんか良さそうなところじゃん」
「油断しないでくださいね。すでに警戒されているようですから」
周囲を見渡すと、外からやって来た黒一と遊香を警戒しているようだった。その視線に紛れて、値踏みをするような物まで混じっており、何とも居心地の悪い。
視線を集めながら、通訳の案内で進んで行くと、見慣れた物を発見する。それは巨大な洞窟ではあるが、日本にある物と比べると横長な形をしていた。
「へー、ダンジョンを中心に発展してるんだ」
「周りには何も無い所ですからね。ここが発展するには、豊富な資源があるダンジョンのような場所が必要なのでしょう」
ダンジョンに続く道沿いには、沢山の屋台が並んでおり、まるでお祭りをしているように見えた。
また、その近くには大きな建物が建築途中になっていた。
「あれって、ギルド作ってんのかな?」
「そうでしょうね。それよりも今は、ここを統括する方の所に向かいますよ」
「はーい」
この町を統括するのは、現地の老人だった。
顔に獣の爪痕はあるが、ごく普通の老人だった。
元政治家ではあるが、探索者でもなく、武装勢力の関係者でもなかった。
ただの老人が、この町を取り仕切り発展させている。
それだけ優れた手腕を持っているのかと思ったが、話を聞く限りそうではない。
「私は言われた通りにしているだけだ」
そう老人は口にしていた。
誰にという問い掛けにも、「使徒様からだ」という意味不明の回答を得るだけだった。
写真を見せて、この男が誰かと尋ねてみても、「使徒様だ」という言葉だけで、やはり何者なのか判明しなかった。
老人の家を出ると、多くの人に囲まれた。
その声は怒りと、懇願の思いが込められていた。
「私達はやっと生きる道を見つけたんだ」
「邪魔しないでくれ」
「ここが俺達の希望なんだ」
「やっと人らしい生活が出来るんだ」
「ここから出て行け! 俺達の町だ!」
各々が声を上げて、黒一達に訴えた。中には攻撃的なものもあったが、黒一がひと睨みするだけで息を潜めた。
「んー……ここでうちの職員が消息を絶ったんだよね?」
「違いますよ。ここは、最後にこの男が目撃された場所です。派遣された方達は、別の町で消息を断ちました」
「ええー、仲間を先に探すんじゃないの?」
「彼らほどの猛者が連絡を断つというのは、すでに死んでいるか洗脳されているかの二択でしょう。ならば、元凶を当たった方が早い」
「そうかも知んないけどさー……」
もう少し人として情を持ち合わせていないのかと、遊香は上司の黒一に言いたくなった。
その日は、持って来ていたテントで一泊することになる。
遊香が「えー、お風呂無いのー」と不満を漏らしていたので、「水浴びくらいなら出来ますよ」と水の魔法陣を展開してお手伝いを申し出る。すると、「やっぱ狙ってんじゃん」と不名誉な認定をいただいた。
「ねえ、その使徒って人、捕まえる必要あるの?」
「どうしてです?」
「いや、どう見ても良いことしてんじゃん。私が言うのもなんだけど、絶対良い人だよ」
「関係ありません。粛清するよう指示を受けているんです。仕事は完遂するまでですよ」
「冷たっ、ちょっと温度上げてよ。そうかも知れないけどさ、残された人達が困るじゃん」
「優しいですね」
「揶揄わないでよ。って今度は熱すぎるって⁉︎」
「ははっ、すみません。会話をしていたら、魔力の調節が狂ってしまいました」
それは嘘だなと、遊香は上からお湯を降らす黒一を睨み付けた。しかし、黒一は明後日の方向を向いており、遊香のことを気にも止めていない様子だった。
どうやら、本当に遊香の体には興味が無いのだろう。
別に襲ってほしいわけではないが、遊香は地味に傷付いてしまった。
そんな傷付いた遊香に、黒一は言う。
「それにしても、遊香さんは知らないんですか?」
「なにが?」
「悪い人ほど、他人には良い顔をするんですよ」
その言葉を聞いて、ああ確かにと納得する遊香だった。
◯
翌日、写真の男のことを聞いて回るが、名前は誰の口からも出て来なかった。
男の行き先は判明しており、別の武装勢力のところに赴き、交渉を行っているということだ。
その後を追い、黒一達は移動を開始した。
目的地は、武装勢力が潜伏していると言われている町。
到着するまでに一日掛かり、たどり着いた頃には真夜中になっていた。
海外で夜道を出歩くのは危険だと聞く。
それが、情勢が不安定な国ならば尚更だ。
車だって安心は出来ない。
このように、武装した集団に囲まれて、身動きが取れなくなることだってあるからだ。
銃を向けられて、通訳は顔を青くしている。
だが、探索者である二人にはまるで通用しない。
車内からでも、この連中を制圧するのは簡単だ。だが、それでは通訳に危害が及ぶかも知れない。
危惧した黒一が、一人車から出る。
さて、どうなるか。
笑みを深めながら、黒一はリーダーらしき人物を見る。
ただの人だ。
銃火器を持ち、多少の戦闘経験があるだけの人だ。頬に獣の爪痕があるが、それ以外特徴の無い人だ。
黒一や遊香からしてみれば、取るに足らない人物である。
何の用だ?
この国の言葉を片言でしか喋れない黒一は、睨むことで意思を伝える。
囲んでいる者達は、目の前の相手がどういう者なのか理解した。
この集団のリーダーでもある男は、冷や汗を流しながら、こちらに付いて来いとジェスチャーする。
それを見て、遊香も車から出て来る。
「付いて行きます?」
「ええ、あちらから接触して来るなら、好都合です」
自信があった。
己の力を過信していたわけではない。
ネオユートピアで強烈な経験をしたが、己が劣っていると思ったことは無い。
それに、あの時とは違い、田中ハルトより譲られた生命蜜を飲み力も増している。
田中ハルトのような規格外が相手でもなければ、何があっても対処出来る自信があった。
そう、規格外でなければ。
案内されたのは、この国では一般的な家だった。
扉を開け中に入った瞬間、黒一の体は最大限の警告を発した。
一緒に入った遊香は、特に気にしていないようで、突然立ち止まった黒一を訝しんでいた。
「やあ、君とこうして顔を合わせるのは何年振りだろうね?」
椅子に座っているのは、写真に写る若い男。
「……あなたと、どこかでお会いしたことありましたかね?」
精一杯の言葉だった。
目の前の男と会った記憶は無い。だが、この雰囲気に似た人物には心当たりがあった。
世樹マヒト。
憎い女の父であり、壊滅させたかったミンスール教会の教祖である。
黒一は、初めて見た時からマヒトの異常性には気付いていた。人の格好をしているが、その中には凶悪な獣を飼っている。その獣は決して飼い慣らせるような存在ではなく、鎖を断ち切れば全てを喰らい尽くす。そんなイメージを世樹マヒトに抱いていた。
この若い男は、そのイメージした獣そのものだった。
「分からないかい? 私だよ、君が警戒していた世樹マヒトだ」
黒一の背後で、驚く気配がある。
動く気配を感じ取り、黒一は遊香に止めるよう手で制する。
「私の知っている世樹マヒトは、老人だったはずですが……」
「若さくらいどうとでも出来るよ。君も生命蜜を飲んで、少しばかり若返っているじゃないか」
「では、あなたも同じですか?」
「私は違うよ、かなり昔に生命蜜を飲んでいるからね」
笑みを浮かべる男の姿が、年老いた世樹マヒトと姿が重なる。
どのような手段を使ったのか不明だが、若返ったのは真実なのだろう。
「わざわざ武装勢力を制圧して、配下にする目的は?」
「配下? 勘違いしないで下さい、彼らは手下なんかではありませんよ。自由意志を尊重していますし、彼らの尊厳を傷付けるような行いはしていません。ただ、他者を傷付けないようお願いしているだけです」
扉の外からこちらを見ている彼らの目には、しっかりと理性が宿っている。恐怖はあっても、それは黒一に対する物で、マヒトには向けられていない。
黒一は魔力を練り上げながら準備を始める。
それを察した遊香も、小瓶に手を伸ばしいつでも動けるようにする。
「では、あなたの目的は何ですか? 何をしようとしているんです?」
その質問に、マヒトは更に笑みを深める。
「世界平和だよ。混沌とした世の中を正して、一人でも多くの命を救う」
「何とも高尚な活動ですね。では、私の同僚はどうなりました?」
「それは言わなくても分かるだろう」
黒一はトンファーを握り、マヒトに向かって振り下ろす。
その衝撃で家は破壊され、外にいた武装勢力も吹き飛ばされる。
唯一ここに残っていたのは遊香。
その遊香に黒一は告げる。
「遊香さん車まで走って下さい」
「え?」
「逃げますよ」
暗闇の中、迫る魔法をトンファーで消し飛ばす。
それを見て事態を察した遊香は走り出した。
魔法が飛んで来た方向を見ると、マヒトが何でもないように立っていた。
「まったく、家を破壊する必要はないんじゃないかな」
「あなたの目を眩ますには、これくらい必要でしょう?」
「君は極端過ぎるよ」
「あなたの変化に比べたら、大したことないでしょう」
「ははっ、そうかも知れないね」
真下から魔力を感じ取り、黒一はその場を飛び退く。立っていた場所が爆ぜて、明るい光に目がやられる。
だからといって、それでマヒトを見失うことはない。
迫る蹴りを受け止め、反撃をしようとトンファーを操る。しかし、反対側から迫る風の鈍器に、その手を阻まれる。
「ちっ」
受け止めた風の魔法の威力は思っていたよりも強く、このままでは体勢を崩される。
ならばと、その場を飛び退き体勢を整える。
そこにマヒトが追って来ており、殴打の乱打を浴びてしまう。
だが、肉弾戦は黒一の得意分野でもある。
見切りで正確に相手の動きを見抜き、得意の格闘術で対応する。
黒一は手甲とトンファーを装備しているのに対して、マヒトは素手。
側から見れば黒一が有利なのだが、圧倒的な身体能力の差で押されてしまう。
マヒトの拳が黒一の防御を跳ね上げ、ガラ空きになった腹部に蹴りが見舞われる。
凄まじい威力に踏ん張りが効かず、黒一は蹴り飛ばされてしまった。
幾つもの民家を破壊しながら勢いを殺して行き、完全に止まったのは車からほど近い場所だった。
「まったく、世界平和という割には激しいですね」
「それは君が抵抗するからだよ」
汚れた服を叩きながら呟くと、マヒトは側まで来ていた。
「人に迷惑を掛けてまで、やることでもないでしょうに……」
「君に力が無ければ、ここまでのことはしなかったんだけどね。……大人しくしてくれないかな?」
「するとでも?」
黒一は構え、マヒトを殺すべく本気を出す。
「……仕方ないか」
対してマヒトは、黒一を気にした様子もなく、自然体で歩いて近付いて行く。
黒一が宿地で動くより前に、マヒトの火属性魔法が放たれる。
青い炎の矢は黒一の進行方向を塞ぐが、構わずに突っ込む。
魔法により服が焼け、顔が炙られる。
だが、それだけの犠牲でマヒトとの距離を詰めるのに成功、己の間合いに入れた。
しかし、それはマヒトも読んでいた。
足元の魔法が発動し、火炎の柱が黒一を飲み込んだ。
鐘の音が鳴る。
「そうでした。君にはそれがありましたね」
言い終わるのと同時に、黒いトンファーがマヒトの頬を殴打する。
「福音」
連続して放たれる殴打は、正確にマヒトの急所を貫き破壊して行く。
顔は限界も残さないほど潰され、体は骨が飛び出て、それすら粉砕する勢いでトンファーは振られ続ける。
ボロ雑巾の方がマシなほど、原型を残さない状態で倒れるマヒト。
この状態から復活出来るとは思えないが、余りにもあっさりと終わってしまい警戒してしまう。
ゆっくりとマヒトだった物から離れ、車両まで歩いて行く。
車に到着すると、そこに逃げたはずの遊香の姿は無い。代わりに、死んだと思っていた人物の姿を発見した。
「……無事だったんですか?」
「ああ、なんとかな」
それは、連絡が途絶えていた探索者監察署のパーティだった。
見た限り彼らに目立った怪我は無く、全員無事なようだ。服装もラフな物で、初対面では探索者とは分からないだろう姿をしていた。
そんな彼らを、黒一は鋭く睨み付ける。
「……それで、どうして遊香さんを拘束しているんです?」
車の近くにいなかった遊香は、彼らに腕を拘束されて黒一の前に突き出された。
「大人しくしてくれ。あんたを傷付けたくはない」
「ご自分達が、何をしているのか理解しているんですか?」
「ああ、俺達はマヒトさんに付いて行く」
覚悟を決めた顔。
その選択が何を意味するのか理解していても、それでも決断したのだろう。
だとしたら……。
振り返り、トンファーで獣の爪を受け止める。
ギギッ‼︎ と硬質な音が鳴り、余りの重量に黒一は片足を突いてしまう。
見上げると、そこには獣の手を持つ世樹マヒトの姿があった。
先ほど殺したはずの男だが、黒一に驚きは無かった。何故なら、黒一にはそれが世樹マヒトとは思えなかったから。
「さて……あなたは、誰なんですかね?」
「見ての通り世樹マヒトさ。他の誰かに見えるのかな?」
「ただのモンスター、ですかね」
「……君は面白いね」
圧力が増す。
福音を使いたいが、ネオユートピアで長時間使ってしまっており、あと数秒がせいぜいだろう。
それでは、この場は乗り切れても、次は無い。
「仕方ありませんね……遊香さん」
決して大きな声ではなかった。
だが、遊香には黒一の呼び掛けが届いた。
顔を上げて、黒一を見る遊香。
目が合い、何を考えているのか察してしまう。
「必ず迎えに来ます」
再び福音が鳴り出す。
それを合図に、遊香は力の限り動き、自分の腰にある小瓶に触れた。
「ああーーっ‼︎‼︎」
「しまった⁉︎」
全ての小瓶は割れ、中に納められていたモンスターが現れる。
モンスター達は暴れ出し、遊香を拘束していた探索者達に襲い掛かる。しかし、装備が無くとも40階を突破した探索者。
たとえ素手でも、モンスターを倒してしまう実力は持っていた。
探索者を襲い、次々と制圧されて行くモンスター達。
だが、その中でも天闘鶏という鳥のモンスターだけは違う行動を取る。
一体だけが駆け出して、マヒトに向かって行ったのだ。
それは余りにも無謀な行動だった。
だが、今マヒトの近くにいるのは黒一である。
「黒影」
トンファーから黒い影が伸び、マヒトに襲い掛かる。
一つを避けても二つ三つと迫って来ており、マヒトは黒一を諦めて大人しく引き下がる。
福音はまだ鳴り続けており、マヒトは黒一を攻撃するのを無駄と判断したのだ。
助走を付けた天闘鶏は空に飛び立つ。
その勢いで黒一の上を通り、一気に上空へと上がった。
「まったく、面倒な相手が出て来ましたね」
天闘鶏の足に掴まり、黒一はその場を脱出した。
発動していた福音も、黒一の徳を使い切り鳴り止んでしまう。
これで、マヒトに対抗する手段は無くなってしまった。
また徳を積みなおさないといけませんね。
黒一はそんなことを考えて、完全に油断していた。
「やられっぱなしっていうのは癪だからね」
腹部に熱を感じる。
「ぐっ⁉︎」
下を見ると、獣の爪が黒一の腹に突き刺さっていた。
振り払おうとするが、それよりも早く爪は引き抜かれる。そして、溢れる血と一緒に、マヒトも地上に落下して行く。
「かはっ⁉︎」
力が抜け落下しそうになりながらも、黒一は懐からポーションを取り出し一気に飲み干す。
幸い致命傷にはなっていないが、傷は深い。どこかで大人しくしなければ、治るまでに時間が掛かりそうだった。
だが、それよりもマヒトに対抗する手段を考えなくてはと思考を切り替える。
己の身が無事なのを理解したのだから、この思考になるのは実に自然な流れだった。
しかし、思考した結論が黒一自身が導き出したものとは限らない。
「……彼に、頼むしかありませんかね」
己の思考にノイズが混じったのに気付かず、黒一は帰還を急いだ。




