奈落22(迷いの森⑨)
人が気を失い倒れていた。
この奈落の世界に人が居たのだ。
倒れている人物は男性で、俺とそう歳は変わらない。
男は探索者らしき装備をしているが、大きく欠損しており、体には命に関わる傷を負っている。その傷は、体の一部が潰れており片腕を失っていた。普通なら、とても助かるものではない。
なので、治癒魔法を使い肉体を治療、再生させて一命を取り留めた。
男の呼吸が安定したので、一安心して屋敷に連れて帰ることにした。ここに放置すれば、モンスターに襲われるだろうし、それだと助けた意味がなくなる。
一応、この男に仲間がいるかもしれないと思い、辺りを探ってみたが、いるのはこの男ひとりだけだった。
男をフウマの背に乗せる。
ヒナタは俺以外の人間を初めて見て、興味深々と言った様子だ。だからか、俺にいつもするように魔力を放とうとしたので、そりゃあかんとヒナタを肩車して制止した。
眠った状態で、魔法攻撃を受けて対処出来るのは俺やフウマくらいだろう。そして、ヒナタの魔法を受けても平気なのは、ト太郎くらいのものだ。
普通は無理。
感覚からして、この男はその領域にいないので無理。
つまり、普通の探索者の男が何故か奈落の世界にいる。
しかも生きた状態で。
この程度の実力でどうやって?
そう疑問に思うが、その答えは男が目覚めてからで良いだろう。
男が目を覚ましたのは、奈落が夜になり闇に染まってからだった。
夜になると、ヒナタはあまり外には出たがらない。
屋敷には照明の魔道具と、光を発する石を設置しているので、それなりに明るく漫画を読むのに最適なのだ。
だから出ない、外は暗くて漫画が読めないから。
ヒナタは完全な引き篭もりと化していた。
少しは外に出て体動かさんかい!
流石に体に悪過ぎるので、漫画を取り上げてヒナタを掴んで外に向かう。
外ではト太郎が首を長くして待っており、ヒナタの姿を見ると嬉しそうにしていた。
むすっとした表情のヒナタは、仕方ないかと諦めたのか短剣を引き抜いて体を動かし始めた。
最初はゆっくりと動きを意識したもので、体の調子を確かめているようだった。それも終わり、段々と速度を上げていく。地面にどっしりと腰を落としたものから、翼を羽ばたかせて空を舞い、空から強襲するように短剣を突いたりもした。それも、俺に向かって。
アホかと手刀で短剣を逸らして、ヒナタの手を掴み上空に放り投げる。
くるくると回り、空中で体勢を整えるヒナタ。
そして、また俺に向かって突撃して来る。
その表情は満面の笑みで、今のくるくる回るのが楽しかったようだ。
まあ、何度か付き合ってやるかと手を伸ばすと、ト太郎が混ざりたそうにしているのに気付く。
突撃して来たヒナタを掴み、ト太郎の方に放り投げると、フウッ!と大きく息を吐き出してヒナタを上空へと巻き上げた。
おいおい大丈夫かと心配するほどの高さまで上がったヒナタだが、今のが楽しかったのか、テンションMAXで再度突撃して来る。
俺がヒナタを掴みト太郎に投げ、上空に舞い上がるヒナタ。楽しいのか、キュアッ!と喜びの声を上げて何度も繰り返す。
側から見たら、俺とト太郎がヒナタを投げて遊んでいるように見えるだろうなぁと思いながらやっていると、屋敷の方から声が上がった。
「あんた何やってんだ!?」
どうやら、屋敷の二階で寝かせていた男が目を覚ましたようだ。
ようやく目覚めたのかと、片手を上げてようと挨拶をする。すると、窓枠を超えて二階から飛び降りた。
探索者ならば怪我する高さではないが、長く眠っていたせいか、男の体は鈍っており、着地と同時に転んでしまった。
おいおい大丈夫かと駆け寄ると、思っていた以上に体が衰えていたのか、驚いた表情で自分の手を見つめていた。
念のために治癒魔法をかけて怪我がないかトレースして調べるが、どうやら問題ないようだ。
「治癒魔法? なあ、あんた!何がどうなってる!?他の奴らはどうした!?どうして俺は生きているっ!?」
鬼気迫る面持ちの男は、俺に縋り付いて捲し立てた。
まあまあ落ち着けよと男の肩を叩き、背後から迫るヒナタをくるんと去なして、ト太郎の方に投げた。
「おおーい!?何やってんだ!子供だろうが!?」
五月蝿いなこいつ。
耳元で騒がれて、耳がキーンと鳴る。
一度、気を失わせて後で話でもしようかと考えたが、ヒナタを心配しているだけだしなぁと思い止めておいた。
落ち着けって、家の中で話しようぜ。
そう言って、親指で玄関を差し示した。
屋敷に入ると、エントランスにある椅子に腰掛ける。
一応、椅子はテーブルを囲うように置いているが、これまで使う機会がなかったので、今回が初めての使用となる。
向かいの席に腰掛けた男に、収納空間から取り出した茶を渡す。
どこから取り出したんだと驚いた表情をするが、茶を一口飲むと、はあっと吐き出し質問して来た。
「なあ、ここは何処なんだ」
何処と言われてもなぁ、ダンジョンの何処かだな。
「ああ、言い方が悪かったな。迷宮なのは分かってんだ、迷宮の何階なのかってのが知りたいんだよ」
知らん。
「はあ?」
だから知らんっつってんだ。前にここに来た奴は、奈落って呼んでたみたいだが、正式に何階なのかは知らん。
「……そうか。じゃあ、あんたはここにどうやって来たんだ?」
うーん、襲撃されて、暗闇に落ちたら奈落に居たな。お前はどうなんだよ?
「俺も似たようなもんだ。仲間助ける為に庇ったら暗闇に落ちて行った」
……そうか、大変だったんだな。
「ああ、もうダメかと思ったぜ。落ちた先には翼を生やした何かがいてよう、デケー狼もいるしよう……そうだ!?あいつらだ!おい、俺の仲間、ーーっ?ーーーっ?」
ん?どうした?声が出てないぞ。
「いや、おかしいんだ。あいつらの名前を呼ぼうとすると、声が出なくなるんだ」
はあ?なに言ってんだよ?普通に喋れてるんだから、そんな訳ないだろう。もしかして、仲間の名前忘れたのを誤魔化してるのか?
「そんな訳ないだろう!本当に名前が呼べないんだよ!!」
「キュイッ!!」
おう、すまんな。 五月蝿いってさ、声量落としてくれ、えーと、名前何だっけ?
男の大声に反応したヒナタが、うるさいと怒っている。
静かに漫画を読みたいのに、近くで騒がれたくないのだろう。てか、自分の部屋で読めよ。わざわざエントランスのカーペットに寝そべって読む必要はないだろうと思わないでもない。
まあ、それは置いておいて、男の名前を聞いてないことに気付く。それに、俺も名乗っていなかった。普通なら一番最初に自己紹介するのだが、何故か普通に会話に入っていた。
少し気持ち悪さはあるが、改めて男に名前を尋ねる。
「あっ?ああ、名乗ってなかったな。俺はっーーーーっ!?」
どうした?
「本当に名前が呼べないんだ! 何だこれは、あんたがやってるのか!?」
何言ってんだ?普通に名乗れるだろう。俺の名前はーーっ!? ーーーーーっ! ーーーーー!! マジか!マジで名乗れないじゃん!?
「だから言っただろう、どうなってる? 状態異常の攻撃か!?」
すげーな、どうなってんだ? ーーー、ーーー、ーーー、コイツらの名前も呼べないじゃん。
そんな反応をしていると、フウマが近付いて来た。
どうした、お菓子くれって?違う?
なんだよ、お前たちも名前呼べなくなってんのか?
試しに俺の名前呼んでみてくれ。
「ヒヒーン」
呼べてるじゃん。
「馬の言葉分かんのか!? あんた凄いな!」
パッションだよ、パッション。こういうのは心で理解すんだよ。 まあ待ってろ、名前が呼べないなら身分証がある。
俺は収納空間からマイナンバーカードを取り出そうとするが、何故か取り出す事が出来ない。眉を顰めて、今度は運転免許証を出そうとするが、それもダメ。次は保険証を取り出そうとするが、どうしても出て来ない。
どうなってんだこれ?
すまん、なんか出て来ないわ。マジで何なんだこれ、本当に誰かからの攻撃か?
「なあ、前にここに居た人って言ってたが、そいつと会った時はどうだったんだ? 今みたいに名前は呼べなかったのか?」
ん?いや、知ってるよ。手帳に名前が書いてあったからな。
「じゃあ、書けば良いんじゃないか?」
おお!頭いいなお前。じゃあ、これに名前を書いてくれ。
男に紙とボールペンを渡して名前を書いてもらう。これで駄目なら、恐らく名前を知る方法は無くなるだろう。
紙とボールペンを受け取った男は、ジッとボールペンを見ており、いろんな角度から観察していた。そして、衝撃の一言を告げる。
「なあ、これどうやって使うんだ?」
はあ?ただのボールペンだろ、ケツの所押したら出て来るだろ。
俺もボールペンを取り出して、芯を出すと紙にぐるぐると円を描いていく。すると、おおっと男は驚いて、最近はこんなの使っているのかと感心していた。
いやいや、最近って。普段どんな筆記具を使ってるんだよ?
「ん?そりゃ鉛筆やら万年筆だろ?」
そっちのが一般的じゃねーよ。鉛筆なんて小学生以来だわ。万年筆なんて一回も触ったことねーよ。
まあ、いいや、人それぞれ人生はあるからな。それより、早く書いてくれ、話が進まない。
「ああ……くっ、やっぱ駄目だ。字も書けない」
はあ、とため息を吐いてボールペンを転がす男。
俺も名前を書こうとするが、どうやっても最初の一文字が書けなくなっていた。
無理だな、何がどうなってんだ。
ちょいーーー、名前書いてみてくれ。
フウマに呼びかけて口にボールペンを咥えさせると、器用に文字を書いて行く。それはミミズが這ったような字で、辛うじて読める程度のものだった。
ほら、これがコイツの名前だ。
「読めねーよ!あんたと俺を一緒にすんな!馬の文字も言葉も知らねーよ!」
テーブルをバンッと叩いてツッコミを入れる男。
その必死な表情に、なんだか嬉しくなってしまう。なんて冗談はここら辺にして、話を進めよう。
この際、名前はどうでもいい。俺はお前の事をナナシと呼ぶから、お前も俺の事を好きに呼べ。
「分かった。あんたの事は権兵衛って呼ぶことにするよ」
おまっ!?もうちょっと良い名前があるだろう!俺が名無しっつったから権兵衛なのか!?少しは捻れよ!
「あんたが何でも良いって言ったんだろ、権兵衛だ権兵衛。俺はナナシ、あんたは権兵衛だ。渾名なんだから何でも良いだろ?」
……くっ! そうだな、渾名を気にしても仕方ないな。じゃあ、話を戻すぞ。ナナシの仲間だったな。ナナシを見つけたとき周りを調べてみたが、人らしきものは何も見つからなかった。
「そうか、じゃあ生きてる可能性が高いってことだな。良かった。あとは俺が戻るだけだ」
戻る……か。
「そうだ。頼む権兵衛、地上に戻る道を教えてくれ!早く戻らないと、あいつらが危険かも知れない」
さっきも言ったが、俺もナナシと同じで落ちて来た身だ。帰り道を探しているのは俺も同じだ。だから、どこに行けば良いのか俺も知らない。
「そうか、そうだったな。くそっ!俺がもっとしっかりしてれば!」
ああ、それとな、悪い情報がまだある。
俺がそう言うと、ナナシは俯いていた顔をゆっくりと上げてこちらを見た。その表情は、まだ何かあるのかとショックを受けているようである。
こちらとしても、死体蹴りするようで心苦しいが、これだけは伝えておかねばなるまい。
あのな、ナナシ、この森からは出られないんだ。
ナナシの顔が絶望に染まった。




