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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第6章 奇書たる人
86/99

12 我慢

 ――帆沼さんが丹波さんに連行されて、その後。

 オレこと慎太郎は、現世堂で檜山さんと二人きりになっていた。


「……」

「……」


 ――空気が重い。戻ってきて、帆沼さん……!


「……え、と。それで、君はどこまで話を聞いたんだっけ」


 口火を切ってくれた檜山さんも、とても気まずそうである。……そうだよな。だって、ずっと秘密にしてた話を聞かれたんだもん。


 ……ずっと秘密にしてた……話を……。


「――ふぐぅっ!」

「え!? また泣いた!!?」


 思い出したら涙腺が緩んでしまった。鼻水をズビズビすすりながらしゃくり泣くオレに、檜山さんはオロオロと慌てている。


「ええええなんで!? なんで泣いてるの!? そそそそんなに僕の話が気持ち悪かった!? だよな!!」

「ちがっ……違いま……!」

「とととととりあえずティッシュ……うわーっ!」

「ああああああっ! なんでティッシュ取りに立ち上がっただけで何も無い場所でつまずいて頭から棚に突っ込めるんですか!?」

「もうこのまま死のう」

「ショック受け過ぎですよ!! しっかりしてください!!」


 檜山さんを棚から引っ張り出し、ふわふわの白髪に埋まった消しゴムなどの文房具を取り出してやる。なんでこうなったのかはよく分からないが、幸い眼鏡は割れていないようだった。


「……ほんと、情けない姿ばっかり見せて申し訳ないね」


 そして、ため息と共に弱音を吐いている檜山さんである。いつもは割と鷹揚な人なので、珍しい姿な気もした。


「……そんなことないですよ。第一、どうしようもないのはオレの方です。黙って檜山さんと帆沼さんの話を盗み聞きしてたんですから」

「そりゃあ、あんな話してたら誰だってそうするよ。君の話もしてたんだし、気になるに決まってる」

「……」


 ――ああ、ほら、まただ。この人はいつもそうなんだ。

 胸が苦しくなって、唇をぎゅっと結んで檜山さんを見る。けれど檜山さんは、オレがこういう顔をする理由が全然分かってないみたいだった。

 だから彼に伝えたいと思うなら、口に出すしかない。オレは決意を新たにし、拳で涙を拭った。


「……檜山さん。檜山さんは、なんでオレが泣いてたか分かりますか?」

「……養育係だった人が、十も離れた小学生相手に重すぎる感情を向けてたのが分かって気持ち悪かったから?」

「だから気持ち悪いなんて思ってません! オレは……!」


 気持ちが昂り、つい檜山さんの腕を掴んでしまう。拍子に彼の体がビクリと跳ね、眼鏡の向こうの目が怯えたように縮まる。その目を見た瞬間、オレの中にあった全部の感情がぶわっと膨れ上がってしまったのだ。

 言いたいことが喉に詰まって、顔ばかり熱くなって。挙句何を言うべきかすっかり分からなくなり、オレは固まってしまっていた。


「し、慎太郎君……?」

「……ッ!」

「大丈夫……?」


 向けられた優しい言葉と表情に、心が揺れる。……今、この人の胸に飛び込んで、甘えてしまえば。そうすればオレは満たされるし、檜山さんもいつものオレだと安心してくれるのだろう。

 でも、それじゃ嫌だ。オレは、彼と同じ目線に立ちたい。


「……よいしょーっ!」

「うわっ!?」


 だから、謎の掛け声と共に檜山さんの腕を引き、無理矢理胸の中に収めたのである。そのまま、彼が逃げられないようぎゅーっと抱きしめる。

 ――オレはもう、あなたの庇護下の男の子じゃない。あなたを好きな一人の人間なのだ。


「お、オレが泣いてたのは……気持ち悪いとかそういう理由じゃありません! 檜山さんが……! 檜山さんがずっと我慢ばっかしてたのがわかって、嫌だったからです!」

「え……?」


 だけど、言葉を吐き出すと同時に、洪水みたいに涙と鼻水が溢れてきた。こうなるともう仕方ないので、無視することにする。


「お、思い返せば、いつも檜山さんはそうでした! オレと話す時も、帆沼さんと話す時も……あの地下施設へ来てくれた時も! 本当は一番辛いのに、ずっと自分を後回しにして他の人のことばっかで!」

「……」

「しょ、小学生だったオレの前からいなくなった時もそうです! オレに負担をかけたくないから、傷つけたくないからって離れて!!」

「ち、違う! それは僕が自己嫌悪に耐えられなかったからで、そんな綺麗な話じゃ……!」

「ほらまたそういう風に言うー!!」


 身を離そうとした檜山さんに殆どしがみつくようにして、オレは訴えた。


「檜山さん! だからなんであなたは何もかも自分が悪いように言うんですか! 誰もあなたを責めてない! 何ならもっと人のせいにしたっていいのに! ほんと! ほんといっつもそうだ!!」

「え……え?」

「寂しいって思ったことないんですか! 幸せを願うとか言って勝手に人を遠ざけといて! 自分は自分のことをめちゃくちゃに嫌って! そんなら誰が檜山さんを好きになるんですか! あんたほんとにひとりぼっちになりたいんですか!!」

「……!」

「オレは嫌です! オレは檜山さんが好きだ! 幸せになるなら一緒がいい!!」


 ――肩で息をしながら、涙目で檜山さんを睨みつける。檜山さんは、ぽかんとオレを見ていた。

 後半は……というか全編にわたってオレの駄々が炸裂した形である。そう考えれば、わがままなオレと我慢しがちな檜山さんは結構真逆のタイプだなとふと思った。

 でも、夫婦って真反対の性格の方が結構うまくいくっていうし。やっぱ檜山さんはオレと結婚すべきだなとか余計なことを思いながら、でも言いたいことは言ったので気持ちはスッキリとし、ぐすぐすと鼻をすすっていた。

 そうしたら。


「……ほぇ?」


 突然、視界がひっくり返った。胸に収めていたはずの檜山さんがオレに馬乗りになり、無感情に見下ろしている。

 状況がわからなくて混乱する。……オレ、どうなったの?


「……だったら」


 血の気の無い唇が、開く。オレの口元のほくろを、彼の親指が撫でた。


「君になら……僕は我慢しなくていいのか」

 

 彼の声とオレの顔の横に降ろされた手は、細く震えていた。

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