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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第6章 奇書たる人
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3 舞台装置

「慎太郎の存在を知った時の帆沼の動揺は、筆舌に尽くし難いものでした」


 ぽつりと、雨粒が葉を叩くように帆沼は言う。


「幼い頃から檜山に愛され、慈しまれた子。当初、帆沼はそんな彼が羨ましくてならなかった。何故なら、帆沼にとっては自分こそが檜山のそういった存在でありたかったから」

「……そうだね」


 対する檜山は、こめかみを指で押さえたまま言う。


「しかし帆沼は、そんな自身の激情を隠して慎太郎に近づいた」

「ええ。彼に成り代わる為には、彼を知る必要がありましたので」

「……成り代わる?」

「はい。帆沼は、帆沼呉一という外側を捨てて慎太郎になるつもりでした。故に、慎太郎を隈なく知り得たあとは……彼を、殺す予定だったんです」

「……」

「ですが、慎太郎と長く共にいる内に、少しずつ帆沼の心情は変わっていきました。慎太郎を気に入った帆沼は彼を排除しようとはせず、むしろ肉体的に同一となることで、彼の精神をその身に宿そうとしたのです」


 ここで、物語の行を追っていた帆沼の手が止まる。彼は数秒悩んだあと、指を栞にして本を軽く閉じた。


「……少し、雑談をかまいませんか」

「雑談?」

「はい。……檜山サン。あなたは、何故一度慎太郎を突き放したんですか?」


 彼の問いに、檜山の瞼がピクリとする。


「当時、あなたの精神は、カルト教団に心酔する両親の虐待により酷く傷ついていました。そんなあなたを癒したのが、慎太郎とその家族だったはずです。だとしたら、どうして心の支えである彼らを突然切り捨てるようなことをしたんですか」

「……君の物語には関係無いことだ」

「いいえ。帆沼呉一は、檜山と慎太郎にただならぬ繋がりがあると察して行動を起こしました。よって、俺の物語に二人の別離の詳細は必要不可欠だと主張します」


 帆沼は、檜山の大きすぎる眼鏡の向こうに必死で訴えかけた。


「教えてください、檜山サン。……本当に分からなかったんです。俺のありとあらゆる時間を使って調べても、この穴だけは埋まりませんでした。檜山正樹が、どういう理由をもって自分よりも大切にしていた慎太郎から離れたか。それだけが、帆沼呉一の作り上げた世界で埋まらない唯一の穴なんです」

「……」

「帆沼の世界の多くは、檜山正樹に向けられたもので構成されている。けれど肝心の檜山の世界には、慎太郎がいる。だから、その不可解な穴を理解できないことには、俺の物語は完成されないのです。……どうか……」


 少しずつ小さくなる声に、檜山は腕を伸ばす。そして、栞代わりにしていた帆沼の手の上に自分の手を重ねた。


「……僕の物語は、あくまでサイドストーリーでしかない」


 檜山にまっすぐ見つめられ、帆沼の頬が赤くなる。


「この物語の主人公は君、帆沼呉一だ。それを忘れちゃいけない」

「でも……」

「……どうしても必要だと言うのなら、語ろう。けれど、今は」


 和綴じの本が開かれる。檜山は、そこに帆沼の手を置いた。


「君の物語を終わらせるのが、先だ」


 そして物語は、再び帆沼呉一の世界へと戻った。









「――帆沼は、檜山が自分から離れた原因が彼の残酷な過去にあると思い込みました。過去が檜山に歪んだ愛を持たせ、自分に冷たく当たらせるのだと。だから帆沼は、檜山を“矯正”することで正しく愛を得ようとしたのです」

「……なるほど。その矯正への道筋が、VICTIMSという舞台装置だったというわけか」

「はい。帆沼はVICTIMSという台本を書き上げ、その通りに事件を起こさせることで段階的に檜山を自身の世界へと巻き込もうとしました」


 カチカチと、時計の針が絶え間なく動いている。そのか細い音と程近い声量で、二人は言葉を織り合っていた。


「まず第一の犯人には、本に引きずりこまれる者の役を与えました。そして第二の犯人には捨てられた愛情が産む悲劇を知らしめる役を与え、第三の犯人には、愛する人に執着する醜さを見せる役を与えたのです」

「……それも全ては、檜山を予定調和の愛へと導く為に」

「ええ。ですが、実際は少し帆沼の予想と違っていました。檜山のもとに送り込まれた“役者達”は、皆檜山に事件を解決され、それどころか物語の世界から連れ戻されていたのです」

「だから帆沼は、悠長に全ての物語を檜山に見せることをやめた。物語の魔法が解ける前に、帆沼は慎太郎を誘拐することにしたんだ」


 ――事件が解決し明るみになれば、帆沼呉一が目をつけられ逮捕されるかもしれない。焦った帆沼は計画を前倒しし、最終段階へと移ることにした。

 それが慎太郎を攫い、一つになることだったのだ。


「……帆沼呉一の計画は、悪辣だったと言わざるをえない」


 檜山は、言う。


「罪の無い人を唆し、殺人へと駆り立てる計画。確かに帆沼は、加害者となった彼らについて調べる中で同情もしたのだろう。だが、結局のところは檜山正樹へ辿り着く為の舞台装置として利用したに過ぎない。……君の計画のために人は利用され、殺されたんだ」

「いいえ、ただ利用したのではありません。彼らもまた、帆沼の計画を利用し、自らの目的を成し遂げた。関係としてはWIN-WINでしょう」

「だが、人が死んだ」


 責めている口調ではない。何の感情も込めず、檜山は帆沼の物語を語り直していた。


「被害者は恐怖を与えられ、殺された。君達が殺したのはモンスターじゃない。人だ。そして人を殺すことは、少なくとも現代日本においては人の一生を深く傷つけるに十分な力を持つ。被害者は勿論……その周りの人や、加害者まで」


 檜山の手が開かれた本の上に添えられる。長い指が、頁へと繰られた。


「例えば、知ってるか? 第一の被害者は、匿名でとある児童発達支援センターに多額の寄付をしていた」

「え……」

「知らないよな。知るわけがない。何故なら、帆沼達にとって被害者は断罪すべき咎人でしか無かったのだから」


 檜山の手が動きを止める。そこは、殆ど最初のページだった。


「……安いフィクションのように、善人と悪人がはっきりと分かれている世界なら楽だったんだけどね。人は多角的な存在だ。そういうわけにもいかない」

「……」

「今から、君の知り得ぬ二つの物語を語るとしよう。聞いてみるといい」


 鋭い檜山の言葉に、束の間、帆沼の息が止まった。

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