1 監禁
「……だ、だめ、です」
場所は現世堂、時間は夜。「家に上がってもいいか」と帆沼さんに迫られたオレは、必死で彼の体を押し返していた。
「オレ、家主じゃないですし、夜とか遅いですし。居候のオレが、勝手に人をあげちゃいけないと思います」
「……」
「あの、代わりにご飯一緒に行くのとかどうですか!?」
けれどオレの提案に、帆沼さんは無反応だった。それどころか、オレを優しく押しのけるといそいそと靴を脱ぎ始める。
「ちょ、ちょっと帆沼さん!」
「大丈夫だよ。檜山サンなら、俺が上がり込んでても許してくれる」
「え、帆沼さんと檜山さんって仲良しなんですか?」
「ふふ」
革靴の紐を緩めながら、彼は口元だけで笑った。
「仲良しどころか。恋人同士だよ」
「え……ええええっ!?」
「うん、俺と檜山サンは愛し合ってる。……ちょっと事情があって、今は会ってないけど」
衝撃の情報に、オレは一気に血の気が引いていた。お腹の底がやたら冷たくなって、貧血みたいに目の前が暗くなって。
認めがたい事実に、自分はその場にへたりこんでいた。
「で、でも……オレ、檜山さんから帆沼さんのこと、聞いたことないです……」
「へぇ、そうなんだ」
「あ……だから、えっと、知らなくて……」
「気にしないで。俺は慎太郎が檜山サンと一緒に暮らしてたこと、気にしてないから」
帆沼さんは、スタスタと台所まで行った。水の跳ねる音がする。そして彼は、オレに水道水の入ったコップを持ってきてくれた。
「飲んで」
「あ……ありがとうございます……」
「……俺ね、俺と慎太郎は、すごくよく似てると思うだ」
両手でコップを受け取ったオレの前に、帆沼さんはしゃがみ込む。厚い前髪だと、やっぱりどんな表情も隠れてしまうようだ。
「優しい所、明るい所……特に檜山サンのことを好きな所なんか、すごくよく似てる」
「えっ!? ななななななんでオレが檜山さん好きなの知ってるんですか!?」
「見てたら誰でも分かると思うけど」
「うわあああああ嘘ですよね!? 冗談ですよね!?」
「そんでさ、実は檜山サンも慎太郎のことを好きなんだ」
「へ!!? マジですかやった本当に!?」
「うん」
オレが帆沼さんの言葉に翻弄されている間に、彼の手がコップに添えられる。そして傾けられ、半ば無理矢理オレは中のものを口に流し込まれた。
――なんだか、変な味の水を。
「ッ!? ほ、ほぬま、さ……!」
「ほら、ちゃんと飲んで。早く飲まないと、檜山サンが帰ってきちゃうだろ」
「やっ……嫌だ! これ何ですか! やめてください!」
「あれ、思ったより飲んでくれなかったな。……仕方ない」
「うわっ!」
押し倒され、抵抗する間も無く首筋に鋭い痛みを差し込まれる。すると、急激な眠気が襲ってきた。
……この感覚は、あれだ。いつか帆沼さんの家に行った時も、同じようなことが――。
「……怖がらなくていい。少し眠るだけだよ」
穏やかな声が、視界に満ちていく暗闇の中で聞こえた。
「おやすみ、慎太郎」
――そうして意識を失う直前、一つ思い出したことがあった。
鵜路さんの事件の際、VICTIMSが日本人によって書かれたものだという決め手になった「Read the air」という表現。そうだ、どこかで見たと思ったら、帆沼さんから借りてた漫画に載っていたんだ。
『それ全部初版本だろ? 特に一巻は表現ミスが見つかってね、初版本は殆ど出回ってないはずだ』
目にした檜山さんがそう言うぐらい、珍しい漫画に載っていたミス。それとVICTIMSの文言が重なるなんて、単なる偶然とは思えない。
そして、それの意味する所は――。
……ああ、オレ、ほんと馬鹿だ。
だけど抗う術も無く、オレは夢も見られないほど深い眠りに落ちていった。
――起きなければ。帆沼さんを止めなければ。もし自分の考えが正しければ、きっと檜山さんに危険が及ぶ。
そんなこと、あっちゃいけない。
「……」
固いベッドの上で、オレは目を覚ました。部屋は湿っぽくて、妙に明る過ぎる。光源は、天井からぶら下がった豆電球だけらしい。
知らない場所だった。
「……帆沼さん」
口をついて出たのは、恐らくオレをここに連れてきた人の名。けれど、声は打ちっぱなしのコンクリートの壁に跳ね返るばかりで終わった。
「……」
現在時刻は分からない。ただ、酷く喉が渇いてる。察するに、かなり眠ってしまったのではないだろうか。
持ち物を確認する。服は気絶させられた時のままだが、当然というかスマートフォンや財布はポケットから失われていた。
でも……。
(……拘束されていない?)
オレの手足は、まったくもって自由そのものだった。
(だったら、逃げられるかな)
視線はドアへと向かう。コンクリートに合わせた、薄汚れた鉄の扉。恐る恐るベッドから降り、真下に揃えられていた靴を履いた。
ドアの元まで向かう。息を殺して、ドアノブに手をかけようとする。
ガチャリと、くすんだ銀色が回った。




