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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第4章 ラ・マンチャの男は幸福なりや
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1 監禁

「……だ、だめ、です」


 場所は現世堂、時間は夜。「家に上がってもいいか」と帆沼さんに迫られたオレは、必死で彼の体を押し返していた。


「オレ、家主じゃないですし、夜とか遅いですし。居候のオレが、勝手に人をあげちゃいけないと思います」

「……」

「あの、代わりにご飯一緒に行くのとかどうですか!?」


 けれどオレの提案に、帆沼さんは無反応だった。それどころか、オレを優しく押しのけるといそいそと靴を脱ぎ始める。


「ちょ、ちょっと帆沼さん!」

「大丈夫だよ。檜山サンなら、俺が上がり込んでても許してくれる」

「え、帆沼さんと檜山さんって仲良しなんですか?」

「ふふ」


 革靴の紐を緩めながら、彼は口元だけで笑った。


「仲良しどころか。恋人同士だよ」

「え……ええええっ!?」

「うん、俺と檜山サンは愛し合ってる。……ちょっと事情があって、今は会ってないけど」


 衝撃の情報に、オレは一気に血の気が引いていた。お腹の底がやたら冷たくなって、貧血みたいに目の前が暗くなって。

 認めがたい事実に、自分はその場にへたりこんでいた。


「で、でも……オレ、檜山さんから帆沼さんのこと、聞いたことないです……」

「へぇ、そうなんだ」

「あ……だから、えっと、知らなくて……」

「気にしないで。俺は慎太郎が檜山サンと一緒に暮らしてたこと、気にしてないから」


 帆沼さんは、スタスタと台所まで行った。水の跳ねる音がする。そして彼は、オレに水道水の入ったコップを持ってきてくれた。


「飲んで」

「あ……ありがとうございます……」

「……俺ね、俺と慎太郎は、すごくよく似てると思うだ」


 両手でコップを受け取ったオレの前に、帆沼さんはしゃがみ込む。厚い前髪だと、やっぱりどんな表情も隠れてしまうようだ。


「優しい所、明るい所……特に檜山サンのことを好きな所なんか、すごくよく似てる」

「えっ!? ななななななんでオレが檜山さん好きなの知ってるんですか!?」

「見てたら誰でも分かると思うけど」

「うわあああああ嘘ですよね!? 冗談ですよね!?」

「そんでさ、実は檜山サンも慎太郎のことを好きなんだ」

「へ!!? マジですかやった本当に!?」

「うん」


 オレが帆沼さんの言葉に翻弄されている間に、彼の手がコップに添えられる。そして傾けられ、半ば無理矢理オレは中のものを口に流し込まれた。

 ――なんだか、変な味の水を。


「ッ!? ほ、ほぬま、さ……!」

「ほら、ちゃんと飲んで。早く飲まないと、檜山サンが帰ってきちゃうだろ」

「やっ……嫌だ! これ何ですか! やめてください!」

「あれ、思ったより飲んでくれなかったな。……仕方ない」

「うわっ!」


 押し倒され、抵抗する間も無く首筋に鋭い痛みを差し込まれる。すると、急激な眠気が襲ってきた。

 ……この感覚は、あれだ。いつか帆沼さんの家に行った時も、同じようなことが――。


「……怖がらなくていい。少し眠るだけだよ」


 穏やかな声が、視界に満ちていく暗闇の中で聞こえた。


「おやすみ、慎太郎」


 ――そうして意識を失う直前、一つ思い出したことがあった。

 鵜路さんの事件の際、VICTIMSが日本人によって書かれたものだという決め手になった「Read the air」という表現。そうだ、どこかで見たと思ったら、帆沼さんから借りてた漫画に載っていたんだ。


『それ全部初版本だろ? 特に一巻は表現ミスが見つかってね、初版本は殆ど出回ってないはずだ』


 目にした檜山さんがそう言うぐらい、珍しい漫画に載っていたミス。それとVICTIMSの文言が重なるなんて、単なる偶然とは思えない。

 そして、それの意味する所は――。


 ……ああ、オレ、ほんと馬鹿だ。


 だけど抗う術も無く、オレは夢も見られないほど深い眠りに落ちていった。











 ――起きなければ。帆沼さんを止めなければ。もし自分の考えが正しければ、きっと檜山さんに危険が及ぶ。

 そんなこと、あっちゃいけない。


「……」


 固いベッドの上で、オレは目を覚ました。部屋は湿っぽくて、妙に明る過ぎる。光源は、天井からぶら下がった豆電球だけらしい。

 知らない場所だった。


「……帆沼さん」


 口をついて出たのは、恐らくオレをここに連れてきた人の名。けれど、声は打ちっぱなしのコンクリートの壁に跳ね返るばかりで終わった。


「……」


 現在時刻は分からない。ただ、酷く喉が渇いてる。察するに、かなり眠ってしまったのではないだろうか。

 持ち物を確認する。服は気絶させられた時のままだが、当然というかスマートフォンや財布はポケットから失われていた。

 でも……。


(……拘束されていない?)


 オレの手足は、まったくもって自由そのものだった。


(だったら、逃げられるかな)


 視線はドアへと向かう。コンクリートに合わせた、薄汚れた鉄の扉。恐る恐るベッドから降り、真下に揃えられていた靴を履いた。

 ドアの元まで向かう。息を殺して、ドアノブに手をかけようとする。


 ガチャリと、くすんだ銀色が回った。

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