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現世堂の奇書鑑定  作者: 長埜 恵
第3章 新百鬼夢語
33/99

5 嫌がらせ

 紫戸さん側の話は、すぐに終わった。

 父方の祖父がとある狩野派の画家と親しくしていて、その人が持っていた妖怪画集に心を奪われた彼が、なんとか譲ってくれるよう説き伏せたのだという。だけどその際、「どうか他には見せないように」と重々言い含められて渡されたのだとか。


「で、見てみたら不気味なバケモノばかり描いてる絵ですよ。祖父は良かったでしょうが、持ってるこっちとしたらなんとも嫌なもんで」


 肘をついてお茶を飲みながら、紫戸さんは言う。


「だから、それなりに値がつくなら買い取ってもらいたいぐらいなんです。家具と違って、外において人に見せられるようなもんじゃないですしね」

「分かりました。ですが、そんな貴重な本を高校生の子にお貸しして良かったのです?」


 オレのペンを持つ手がピタリと止まる。檜山さんの声は、あくまで穏やかなままだ。対する紫戸さんは、言いにくそうに口をモゴモゴとさせている。


「ああ……古本屋に来た子ですよね。まあ、あの時期は色々なことに興味を持つものですから」

「本は傷つきやすいものです。しかも相手は、まだ成人すらしていない子でしょう。恐れながら高値で売ろうと思うのであれば、早急に本を取り戻した方がよろしいかと」

「あー……ちなみに、本の傷はどれほど値を変えるもんなんです?」

「一概には言えませんが、経年劣化による汚れなどでしたらそこまで影響は出ないでしょう。しかし最近つけられた、かつ明らかに本の内容を侵す傷となると分かりませんね」

「む、そうですか……」

「何でしたら、小生からあの少年に話をして預かりましょうか?」

「いや、それは」


 紫戸さんは身を乗り出した。けれど一瞬見せた焦りはすぐに引っ込み、また朗らかな笑みを作る。


「いえ、そこまでお手を煩わせるわけにはいきません。明日学校で会った時に、直接頼もうと思います」

「わかりました」

「ちなみに、鑑定はどれぐらいの時間でできますか?」

「そうですね、大体……」


 それから少し鑑定に関する会話をして、オレ達は紫戸先生の家を後にすることになった。紫戸さんは、すっかり檜山さんに本の鑑定をしてもらう気になったようである。こうなると、とても最初本を見せることを渋っていた人とは思えない。

 そして最後に。門前まで見送りに来てくれた紫戸さんに、檜山さんににこやかな笑みを向けた。


「それにしても、教師と生徒という間柄でありながら秘蔵であった本の貸し借りをするなんて。心を通わせられているのでしょう。まさに理想の師弟、素晴らしい関係ですね」

「は、はは」

「事実古本屋に来た彼も、とても利発そうな子でした。紫戸様は見る目がおありです」

「……」


 檜山さんの褒め言葉に、また紫戸さんの目が曇る。その時、彼の口からぼそっと漏れた呪詛をオレは聞き逃さなかった。


「……あんなの、ただ賢しいだけですよ」

「何かおっしゃいましたか?」

「いえ」


 紫戸さんは首を横に振る。オレは何か言おうとつい口を開いたが、その前に檜山さんに手首を掴まれた。


「……」


 眼鏡の向こうの真摯な視線に、黙って頷いて返す。そうだ、オレは檜山さんの助手を徹底するとそう約束したじゃないか。

 けれど、これではっきりとした。やっぱりこの人は、つかさのことをよく思っていないのである。


「それでは、本日は貴重なお時間をありがとうございました」

「こちらこそ。……で、本の件に関しては……」

「はい。紫戸様が回収されましたら、その名刺に記載されております現世堂の電話番号にまでお知らせください。では」


 檜山さんが軽く一礼をし、慌ててオレもそれに倣う。そして、オレたちは紫戸さんの元を去った。


「……?」


 だけど角を曲がる直前、黒いコートをまとった人が家に戻ろうとする紫戸さんを引き止めているのが見えた。なんとなくもっとよく見ようとしたオレだったけど、檜山さんに呼ばれたせいでそれは叶わなかった。


「ごめん慎太郎君、すぐにつかさ君に連絡できる?」

「あ、はい。できます」

「お願いしていい? ……あれは、ちょっとまずいかもしれない。念には念を入れて、彼からもう少し話を聞いておこう」

「まずいというのは、本の呪いが本物っぽいから危険を知らせておきたいってことですか?」

「いや? 単純に、つかさ君が呪いの本にかこつけて狙われているかもって話」

「え!?」


 驚いたけど、すぐに自分の発想の貧困さに恥ずかしくなった。そうだ、呪いなんて非科学的なものを頼るより、人の手で嫌がらせした方が確実で現実的に決まってるじゃないか。


「彼が言うには、植木鉢まで落とされたそうだしね。大袈裟かもしれないけど、もし紫戸さんが本の呪いと称してつかさ君に危害を加えようとしているなら、早めに手を打たないといけない」

「き、危害ですか……! わかりました! え、でも紫戸さんに気をつけろって言えばいいんですか?」

「いや、これはあくまで推測の域を出ない話だ。加えて彼の担任の先生でもあるし、無闇に話して疑心暗鬼に陥らせるよりは情報が揃うまで伏せておきたい」

「なら……」

「ああ。まずはつかさ君本人から、誰かに狙われている自覚があるかどうか聞いておきたい」


 確かに、つかさはとても頭が良く勘が鋭い子だ。明確な敵意を向けられていれば、きっと気づけるだろう。

 そんなわけで、早速電話してみたのだけど。


『命の危機ぃ? いや別に。つーか植木鉢の件も、明らかに俺から離れた所に落ちてたし』


 1コールもしない内に出た弟は、そう言った。


『階段降りてる時に後ろからぶつかられたのも、本当に軽くだよ。女の人でさ、すごく謝られた。とび箱の踏切台なんかに至っては、完全に偶然じゃないかな。俺確か五番目に飛んだけど、あんなの狙って壊すのとか無理じゃん』

「どうかな……。植木鉢は落とした人を見てないんだろ? なら犯人がそこにいて、落とした可能性がある。階段の件にしたってそうだ。女の人にぶつかられたって言ってたけど、その女の人にもぶつかった人がいるんじゃないかな? とび箱のことも、つかさ君の番で壊れなくても、前後の人の番で壊れただけで自ずと本の引き寄せた呪いなんじゃないかと思い込むことは可能だ。そして、元よりそう思わせることが狙いだとしたら……」

『なぁ檜山の声がすんだけど。口縫えって言っといて』

「檜山“さん”だろ! おむつ替えといてもらって偉そうにするんじゃない!」

『べ、別に替えてって頼んだわけじゃないし! それに俺、生まれた時からパンツで過ごせてたし!』

「ンなわけないだろ!」

『と、とにかく、命の危険を感じた事はないよ。大和君はすごく心配してくれるけど……』

「分かった、教えてくれてありがとう」

『あ、兄さん』

「ん?」

『今日の晩御飯はハンバーグだって母さんが』

「だから帰らねぇってば!」


 半ば強引に電話を切っておいて、肩を落とす。我が弟ながら、なかなかしつこい奴である。


「……つかさ君は、本当に問題無いと捉えてるみたいだね」


 顎に手を当てて、檜山さんは言う。オレは反対方向の道を選ぼうとする彼の服を引っ張りながら、頷いた。


「はい。でも、オレはやっぱり紫戸さんが怪しいと思います」

「そうだね。だけど話を聞く限りだと、命までは奪われないんじゃないかと思うよ」

「え、そうですか?」

「うん」


 檜山さんは、オレの誘導に抵抗している。多分自分の道が正しいと思っているのだろう。違いますって。そっち完全に知らない住宅街行く道なんですって。


「彼の言う通り植木鉢はもっと狙って落とせたと思うし、階段では直接突き飛ばすこともできた。考えるに、紫戸さんが悪意を実行していたとしても、単なる脅しに留まってるようだ」

「脅し……ですか」

「呪いの本を渡し、彼の身の回りにちょっとした事故を起こして怯えさせる。嫌がらせとしては十分だろ」

「なるほど」


 そしてオレは檜山さんの馬鹿力に負けた。ズルズルと全然違う道に引きずられながら、オレはどう彼を自宅まで導こうかと考えていた。


「だから、つかさ君が本を返したら嫌がらせは終わるんじゃないかな。彼は本に紐づけて事件を引き起こしてるんだからね」


 オレは頷く。……檜山さんのこの推理は、正しいように思えた。実際、つかさだって全く危機感を覚えていなかったし。

 だけど、話はそう甘くなかった。この些細な事件は、それから三日後突然進展することになる。


「慎太郎さん!」


 夕焼けの陽が道に落ちる現世堂を訪れたのは、真っ青な顔をした一人の男子高校生。彼の背には、額から血を流した少年が負われていた。


「つかさが通り魔に襲われました! 助けてください!」


 大和君の一言に、ぐらりと世界が歪む。そんなオレの腕を、檜山さんはしっかり握って支えてくれていた。

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