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Part4 3人の魔術師


 ネクロノミコンという一冊の本がある。


 死霊術の全てはその本を基礎として始まり、同時にその本を越える事はできないとも言われている。太古の昔から存在するその一冊は、誰によって書かれたかも知れない上、その内容にはまだ解読できていない部分も多い。


スパイダーリリーの叡智を結集させ、ようやく新たに解読できた箇所には、未だ知られていない新たな知識が書かれている事が多い。この本を越える事ができないと言われる所以がそれである。新しい技術を得たいなら、独自に研究を進めるよりもこの本を解読した方が早いのだ。


世界で最も優れた死霊術師に与えられる称号の名もまた、ネクロノミコン。これはその死霊術師の知識と影響力に敬意を表して、そう呼ばれるようになったという。

現在ネクロノミコンと呼ばれているのは、歴史上でもたった五人しかいない。存命しているのは一人だけで、その人物も既に高齢のため、現役を退いて久しい。


クロミツという男は現在、最もネクロノミコンに近いと目されている死霊術師だった。とうとう次代のリーダーが現れるのでは、と期待されている。しかし、本人が名誉や名声に興味がなく、表舞台に立つ事が滅多にない。そのほとんどは、謎に包まれている。


「と、言う事だそうだが」


薄暗い一室で、彼は木製テーブルに一枚の写真を置いた。へらへらした笑顔の男である。


「クロミツと呼ばれちゃーいたが……。こいつ、謎な感じが全然ないぞ……。控えめに言っても一般人って感じだった」


 対面にいるのは、赤い金属ブーツを装備している少女。


「マーファ先輩に対しても、全く反応出来ていませんでしたね。むしろマーファ先輩が言ったように、横にいた女の子の方がヤバい気がします」

「俺の作ったスケルトンもどきも爆破してたな……。あんな街中で手榴弾ぶっ放すとか頭おかしいんじゃねぇの?」

「正確には本物の手榴弾とは違う様子でしたけどね」

「関係ねぇよ。あれでマーファが興奮したんだろ? 冗談じゃねぇ。あいつ、何のためにスケルトンもどきを作ったのかわかってんのか?」

「何のために作ったんですか? すぐ壊されましたけど」

「お前も爆破してやろうか」


 彼は頭を振った。


「ネクロマンサーの身内の犯行に見せかけ、秘密の内に事を運ぶ……って指示として理想論すぎるだろ。マーファがメンバーに入ってる時点で不可能だ。協会の奴らも頭おかしいんじゃねぇの?」

「でもあの人、ぶっちぎりで最強ですよ」

「最強とか意味ねぇんだよなぁ……。直接戦闘になる時点で負けてるんだよ……。俺はゴーレム職人だぞ? 前に出て戦ったら死んじまうよ」

「ちょうど良いじゃないですか。ここ、死んでも生き返れるらしいですよ」

「お前が死んだ時には連中に頼んでやるよ」


 二人のやり取りの後、青いジャージを着た女性が部屋にやってくる。


「うはぁー! 見て見て! 屋台でお昼を買って来たよ!」


 どさどさとテーブルに置かれたのは、街のあちこちで売られている食事である。


「チキンの死骸焼きと、ビーフの死骸焼きと、ポークの死骸焼き! 死骸焼きの包み揚げもあったよ!」

「肉料理ばっかりじゃねぇか。……しかし何というか、この食欲のなくなる名前も何とかならんのかね? それとも何かしらの文化背景でもあるのか?」

「ならついでに、あのキモいマスコットも廃止した方が良いと思います」


 その後、黙々と食事を続ける三人。しばしして、辺りを見回しながら会話が再開された。


「そう言えば、ここ盗聴対策とか大丈夫だよな?」

「問題ありません。私の防諜魔法に異常はありません。この部屋は、監視という概念から切り離された状態にあるので、カメラも魔法的な監視も不可能です」


 そうして少女は、指先をクルクルと回して見せる。その小さい指先から、きらきらと火花のような物が散った。


「まぁ……」


 果たして、私はその様子を見ながら声を出した。


「全部見てるんですけどね」


 彼ら三人の様子は、がっつり見えていた。ぶっちゃけ、魔法など大した事ないのかも知れない。


「やっぱり三人ともマシューさんを狙ってたんですね……。そしてネクロンくんは決してキモいなどと言われるべきではありません。可愛いです」


 私はマシューさんやコレットと同室にて、大きなモニターを眺めていた。そこには三人の魔術師たちが映っている。


「すごいね、これ。どうやって映してるの? 魔術師の会話を映像付きで盗み聞きなんて、多分誰もできないと思うよ」


 マシューさんが訊ねると、コレットは得意げに解説してくれる。


「彼らの魔法は監視という概念を防ぐに過ぎませんの。ですからあの部屋には、このモニターと繋がった霊を配置していますの。そうする事で会話の監視ではなく、会話の参加者である、という事にしていますの。これで連中の様子は筒抜けですの」

「何だかズルいですね」

「連中よりマシですの」


 私たち三人は、昨日から一夜明けて会談に向けて準備を進めている所だった。

マシューさんがクロミツではないと知った直後、コレットの狼狽ぶりと言ったらなかった。


私としては、よくわからないクロミツなる人物よりも、あの素晴らしい一冊を書き上げたマシュー・マーロウがいてくれた方がずっと頼りになると思うのだが、コレットはそう思わなかったらしい。


本物のクロミツ様を出しますの! と大声を上げた所までは良かったが、本物はスパイダーリリーからの連絡を無視したらしい。マシューさんがクロミツを騙る事ができたのも、それが原因だ。本物はここに来ない、と知った後のコレットは方針を変えた。


コレットは、最後までマシューさんをクロミツとして押し通す事に決めたのだ。

既に街の人々にクロミツとして顔を売ってしまっているし、魔術師との会談を前にクロミツが逃げたなどと噂されてはスパイダーリリーの沽券に関わる。幸い、本物の顔を誰も知らないのでマシューさんが代役でも露見する事はないだろう。それこそ、私がうっかりでもしない限りは大丈夫である。


現在は会談を前に、三人の魔術師の様子を監視していた所である。三人の宿を手配したのはコレットらしく、監視体制はばっちりだった。


「魔術師はその多くが自信家と聞いていますの。まさか自分の魔法が通じないなんて考えもしないはず。死霊術師が相手ならこんな手は通じませんが、霊視の技術がない彼らに防ぐ手はありませんの」


 しかし驚いたのは、昨日に襲撃してきた魔術師と、会談に出席する魔術師が同じ三人であった事である。てっきり別口の魔術師かと思っていたのだが、彼らは思ったより露骨に敵意を持っているらしい。


「ブラウニー、ザッハトルテ、新しいお茶を持ってきますの!」


 コレットが使用人を呼びつけ、紅茶を要求。ちなみに私のティーカップにはお湯しか用意されていない。


「粗茶なんて当家にはありませんの。でも白湯ならありますの。まさか、あなたに当家の紅茶はもったいないですの」


 マシューさんの正体が明らかになった途端、手のひらを返したようにコレットがそう言ったので、私のカップには本当にお湯が入れられたのである。もっとも、それに困る事はなかったが。


「へーきですよう。お湯があれば十分です」


 コレットの名前で買った日用品にはお茶の葉もあった。無料でお湯が出て来る分だけ助かるくらいである。

 三人の魔術師が交わす会話を見聞きしつつ、しばらくすると日も沈んでくる。日が暮れれば会談の時刻である。


「さぁ、嘘つきマシューの本領を発揮して頂きますの」

「やれやれ……。それじゃあひとつ、彼らには騙されてもらいましょうか」


 マシューさんは結局、通報したり訴えたりしない事を条件に、コレットに協力する事になった。マシューさんもまた、コレットとの協力関係を口外しない約束になっている。

あくまでも、コレットがマシューさんに騙されていたという形を保つためだ。コレットとしても、クロミツの不在を誤魔化そうとした事が表に出てはマズいらしい。

 私とマシューさんはコレットの指示で服を着替える事になる。ネクロノミコン候補のクロミツと、その従者にふさわしい恰好をするべく、高級そうなドレスに袖を通す事になった。


「馬子にも衣裳だなんて言うけれど……」

「どうしました? 思ったよりも私が素敵で驚きましたか?」

「いや、驚いたよ……。まさかこんな良いドレスを着ても垢抜けないなんて思ってなかった。田舎娘は何を着ても田舎娘なんだな、と思い知ったよ」


 鏡にはドレスを着たお姫様ではなく、ドレスを着た私が映っていた。せっかくのドレスもみすぼらしく見える気がする。残念な感じだ。


「コレット……。私も出席しないといけませんか……? 買い込んだ材料で新しいゾンビを作りたいんですが」


 ちらりとコレットに目をやると、じろりと睨まれる。


「観念しますの。魔術師と会うのに戦力がなくては話にもなりませんの。護衛を用意しようにも、その護衛にクロミツの正体を知られる訳に行かないでしょう。あなたがやりますの」


 どうやらコレットは、私をいざという時の戦力と考えているらしい。


「連中はあなたを警戒しているようですから、牽制にもなりますの」


 おまけに魔術師は私を過大評価しているらしい。座って黙っているだけで良いから出席しろとコレットにすごまれた私は、買い物も寝床も頼ってしまっただけに断る事もできず、二つ返事で引き受けるしかなかったのである。


「でも……。せめて服装くらいは、その……。いつもの服じゃダメですか? ほら、クロミツと一緒に世界を旅している設定なわけですから、ドレスよりもそっちの方が、説得力があると言うか何というか……」

「ダメですの」


 コレットは私の両頬を挟み込むように手を伸ばしてきた。顔が縦に伸びてしまう。


「聞きますの。あなたも庶民なら、相応の輝きを見せなさい。服とは、身体で着るものではありませんの。その服を着るに足る、魂があるかどうかですの。あなたは一晩だけ世界一の死霊術師の弟子。そう自信を持ちますの。おわかり?」

「ほぁ……」

「間抜けな声を出さない」

「ふぇ……」


 そしてコレットは私から手を放すと、上から下まで視線を動かす。


「それに、嘘つきマシューの言う事なんて気にしても仕方ありませんの。意外と悪くない見てくれですの。豚に真珠ですのね」

「それは似合わない時の慣用句じゃないかい?」

「嘘つきは引っ込んでますの」


 もう一度だけ鏡を見た私は、ドレスには似合わないかも知れないが、カッコいいポーズを作ってみた。ここにいるのはお姫様の私ではないが、世界一を目指す死霊術師の私だ。それなら、いつもと変わりはしない。

 ぐい、とお決まりの棺桶をドレスのまま背負ってみる。いつも通り、いつもの私だ。

 腕を組んで、ひとつ頷いたコレットは裾を翻す。


「では行きますの。せいぜい連中を歓迎してやりますの」


 スパイダーリリーに夜の帳が訪れると、私たちはコレットの家が所有する高級車に乗り込んだ。

 男女一人ずつの使用人の内、男性の方、たしか名前はザッハトルテさん。彼が運転手を務める車内は快適だった。

 地面を滑るように、そして夜闇を裂くようにヘッドライトが流れ、私たちはスパイダーリリーにある迎賓館へと向かった。

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