熊の親切
鉱山都市ペトロツク。
それはモースコゥヴ王国の辺境に位置する国最大の鉱脈が広がる山間の街である。
春が訪れ雪こそないものの、まだ山地は寒気が強く、冷たい空気に背筋が固まりそうになる。
「ここがペトロツクなんですね」
レイラはキャラバンから降り、長い旅の疲れを身体に感じながらも、やっと到着できた目的地に少しばかり気持ちが高鳴った。
「見ただけなら岩と石の殺風景な街。でも銀が最もよく産出されるんで、ここのシルバーアクセなんかはとても質がいいものばかりだそうよ」
ベラが街並みを眺めながら、店先に飾られた銀細工の出来栄えを指さしレイラに説明してくれた。
街に並ぶ建築物はどれも無骨な印象で、暖かみのない石と鉄で造られている。鉱山の街であり、細工師や鍛冶師たちの聖地とすら呼ばれる厳かな雰囲気がある。
しかし、至る所に目に入る銀細工の美しさは、その無骨な街の雰囲気を豪勢にも魅せていた。銀は、魔力を符呪しやすい金属で、魔術師達からも愛用されることが多い。
レイラはやはりこの街ならば、魔器開発のヒントになるものが見付けられるようにも思えた。
「今日はゆっくりしていていいから、明日から本格的にカミツレ隊の活動開始よ。旅の疲れをしっかりと解しておいてね」
ベラはこの後、アントンと共に、騎士団のニキータと共に明日以降の打ち合わせをするために、シャムシン家のマルクを交えて、会議をするらしく、足早に立ち去って行った。
そんなベラの姿はレイラから見て、とても格好良く映っていた。
女性として、一線級の場に立ち会い、会議のサポートをするというのだから。
いつか自分もそんな女性に――、魔術師になりたいと思いながら、レイラは疲労が溜まった身体を休ませるため、宿へと足を向けるのだった。
これからカミツレ隊が利用する、宿舎はそれなりの広さを持っていた。
部屋も一人一人に割り与えられ、神経質な魔術師たちへの配慮もきちんとできているようだ。
魔法の研究は、どうにもこうにも精神を使う。自分独りの時間で、じっくりと物思いに耽り、想像と空想を働かせ、魔法を形作るのが魔法使いという職業だ。だから、精神を落ち着かせるための一人部屋は魔術師達には必須とも言えた。
レイラは、早々に自分の部屋に落ち着いて、旅疲れを癒しながら、魔術書でも読み解いていこうと考えていた。
馬車の中ではやはりきちんと考えを纏められず、散漫になっていた研究をきちんと整理整頓して、具体的な研究の形を作っていかなくてはならない。
「あ、なぁそこの魔術師の女の子! ちょっといいか?」
「えっ」
自室に引っ込もうと計画していたレイラに、不意に声が掛かった。
一瞬自分が呼ばれているとは思わずに、ぼんやりしていたが、声の主はレイラのほうに顔を向け、手をふって近づいてきた。
若い青年で、赤毛をツンツンと立てている快活な声の持ち主はヴァギトと名乗ったカミツレ隊に合流した騎士の一人だ。
レイラに向け、手を振るその様子は厳格な騎士というより、気さくな少年という印象があった。
少しだけ、昔のユーリに似ていると思った。外見はまるで違うが、なんというか、『男の子』という感覚が似ていた。
明るい笑顔を見せ、レイラの前までくると、ヴァギトは改めてと、自己紹介をした。
「俺、ヴァギト。途中で合流した騎士だ。よろしくな」
「は、はい。よろしく、お願いします」
「えーと、君の名前は?」
「あ、その……レイラ、です……」
少し鼻声をしているレイラは、男性と面と向かって会話する経験が少なかったため、ヴァギトの挨拶に小さく口を開き、舌をもつれさせないように、囁くくらいの小さな声で応えた。
「ん? なんだって?」
「れ、レイラ、です……」
「レイラか、ワリぃな、いきなり声かけて。何せ魔術師たちは大勢いるだろ。中々カミツレ隊のメンバーの顔と名前を覚えられなくてさ」
ニッカリと白い歯を見せて笑うヴァギトは、『悪い』と言いながらも、明朗快活な明るい声で人懐っこい笑顔を見せていた。レイラには到底できない表情だ。
初対面の人と、すぐに打ち解けることができない性格のレイラにとって、ヴァギトの快活さはなんだか、委縮してしまうほど明るいオーラを纏っている。
「やっとペトロツクに着いたんで、改めて魔術師たちと打ち解けていこうと思ってさ。これから一緒に街を回らないか?」
「えっ? 私とですか……?」
「俺の相棒にも声かけてるんだけど、どいつもこいつも付き合いが悪いんだよ。魔術師にも数人声をかけたけど、疲れているとか、研究があるとかで断られてさ。君が俺のラストチャンス」
ヴァギトは参ったという表情を眉で作り、それでも口角は上がっていて、楽しそうだった。
「カミツレ隊ってのは、これからみんなで協力し合っていこうって組織なんだろ。騎士とか魔術師とか無関係に。だから、俺、それを率先しようと思うんだ」
ヴァギトの言葉は尤もだ。カミツレ隊は、これから騎士と共に、仕事をしていかなくてはならない。人々の中にある魔法への偏見を拭いさるためにレイラたちは、胸のカミツレのブローチに誓いを立てている。
ここで、レイラがヴァギトの誘いを断ることは、カミツレ隊の方針に背くことになると言っても過言ではない。
それに、レイラはつい先ほど見た先輩女魔術師の姿を思い浮かべていた。
ベラは今、男性たちに混ざり、騎士のニキータと、商人のマルクと共に会議をしているのだろう。
せめて、自分もそこに近づくための一歩を踏み出していたいと思わずにいられなかった。
「分かりました。私で良ければ……」
「ありがとな! じゃあ、早速行こうぜ! 街の様子も知っておきたいし、酒場でもどうだ?」
「あ、あの、私、お酒、得意な方じゃないんですけど……」
「身体を温めるだけだよ。酔っぱらおうってわけじゃない。まぁ、オレは酒は強い方だけどなっ」
レイラは少し躊躇したが、ここで気持ちを引いてしまったら、これまでの自分から変わることができないと思った。
立派な魔術師の女性として、成長するために。
これも一つの経験だろう。
「そ、それでは、私も相棒の魔術師を呼んで行ってもいいですか?」
「ああ、勿論だ」
流石に……一人は無理そうだとレイラは思った。なにせ相手は男性だし、苦手な騎士なことに変わりはない。
ヴァギトも、相棒に声をかけていると言っていたから、レイラはレオンと一緒なら、と半歩だけ踏み出してみた。
きっと、レオンもあまり、こういう場は得意な方ではないだろう。レイラから、一緒に親睦会に付き合って欲しいと言われても乗り気にはならないだろうと思ったが、レオンになら、ちょっとだけ素直になることができるくらいには、信頼関係もある。
レイラは、レオンの部屋まで行くとノックをして声をかけた。
「先輩、今大丈夫ですか?」
「ん? レイラさん?」
意外そうな顔をして、扉を開き出て来たレオンに、レイラはぺこりと一つ、お辞儀をした。
「すみません、これから、一緒に付いてきてくれませんか」
「……どうしたんだい? 付いていくのは構わないけど」
「実は――」
かくかくしかじか、レイラはレオンに事のあらましを伝えた。
レオンは、その途端、少し頼りなさそうなぽよんとした頬を、引き締めて強く頷いた。
「行くよ。っていうか、声かけてくれて、良かった……」
「え? どうしてですか?」
てっきり、レオンは迷惑がると思ったのに、声をかけて来たことを、ほっと一安心している様子だった。
「男同士の約束があるんでね」
レオンは、それだけ言うと、凛々しく眉を上げ、親指を立てて見せた。
意味が分からないレイラは、きょとんと首を傾げたが、レオンはそれ以上何も説明してくれなかった。そして、手早く用意を済ませると、「行こうか」と何やら妙な決意に満ちた目をしていた。
レイラはやっぱりよく分からないままに、それでもレオンが付いてきてくれることに安心して、宿の出口で待っているヴァギトの元へと向かった。
宿を出たところで、ヴァギトが「お、来たな」と手を上げた。隣には、もう一人の騎士の若者がいた。
黒い髪を短く清潔切りそろえ、鋭く厳しい目をしている男性の騎士は、確かその名をキールと言ったはずだ。
スレンダーながらに、引き締まっている腕と足が長身によく似合っている。気になるのは、ヴァギトと正反対に、非常に不愛想な表情を浮かべていることだ。
とても、こちらを好意的に見ているとは思えないような、しかめっ面をしていた。
「こいつが俺の相棒の、キールだ」
「……」
キールは自分では一言も口を利かず、ヴァギトが代弁をしていた。
レイラはぺこりとお辞儀をするが、レオンはジロリと騎士の二人を睨みつけていた。
「魔術師のレオン。レイラさんの相棒だ。騎士ってのは、一人きりの女の子に声をかけて酒場に誘うものなのかい?」
「せ、先輩っ!?」
レオンの喧嘩腰の口調に、レイラはドキンとした。親睦会をしようというのに、いきなり険悪な状態になってしまって、肝が冷えたのだ。
だが、ヴァギトはやっぱり変わらず、朗らかな笑顔でレオンに詫びた。
「悪りィ。他にも声はかけたんだぜ。でも、レイラだけしかいかなったんだ」
「僕は声をかけられてないけど」
「だって、魔術師たちはみんな眼を逸らして、こっちを見ずにそそくさ部屋に入っていっただろ。声もかける暇がなかったんだよ」
魔術師たちの、悪い癖が出ていたのだろう。
基本的に魔術師は、人付き合いが苦手なものが多い。加えて、王都では騎士に色々と酷い目に遭わされたことから、騎士団とは距離を置こうとしてしまったのかもしれない。
多目的共同開発隊という部隊に属しながら、その構成員もまだ、共同活動には馴染めていないのだ。
「一つだけ言っとくよ。レイラさんに手を出そうとしたら、僕が相手になるからな」
「へえ、魔術師にしちゃ、随分いい顔するじゃねえか」
「せ、先輩っ……」
レオンがレイラの前に躍り出て庇う。ヴァギトに眼光を向け、はっきりとそう宣言して、レイラは誰よりも驚いていた。
まさかレオンから、そんな言葉が飛び出るとは思いも寄らなかったのだ。
「もしかして、君たち、付き合っているのか?」
目を丸くしながら、ヴァギトはレイラとレオンのコンビを交互に見やる。
しかし、それにレオンはしっかりと首を振って否定した。
「違う。僕は、相棒だ。それ以上にもそれ以下にもならない」
少し前のレオンなら、こうも真っ向と騎士に対して口を開くことはなかっただろう。
出逢った頃のレオンは、レイラみたいに、俯き加減に話をする大人しい男性だったはずだ。
しかし、レオンはここ数日で随分と見違えるように姿勢が変わっている様子だった。
何か、男性として、自信を手にしているというか。素直に表現すると、男性として頼りになる、そんな気配が漂っていた。
「ふうん……。仲が良くて羨ましいな」
ヴァギトは言いながら、今度はキールの方にじろりと眼を向ける。嫌味な目線ににたりと笑みを作り、「それに比べて俺の相棒ときたら」と身体全体で表現している様子だった。
「仕事をするだけだ。なれ合いをするつもりはない」
低く、硬いその声が、キールの声だった。
表情をまるで変えず、冷たい眼をして、ヴァギトの視線をあしらう。
形のいい鼻先と、薄い唇は、貴公子のように美しいが、それは氷結した湖のようにも見えた。
「でも、今日は付き合ってもらうぜキール。そういう約束だっただろ」
「……お前の勝手な約束だろう」
「お堅い奴で悪ィな、二人とも。とりあえず、俺たちはまだお互いになんにも分かってない者同士なんだ。明日から仕事をする仲間として、最低限は宜しくやっていこうぜ」
ヴァギトだけが笑顔を浮かべ、キールもレオンも疑うような眼をしたままに、レイラはおどおどとどうしていいのか分からないで、ただ必死に作り笑いを組み立てていた。




