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第八話:ベラはお子様

(結婚してたんだ……)


 夜、ベラは机で魔術書を眺めながらも、その気持ちはアントンのことを思っていた。

 アントンは薬指に指輪をはめていないし、まるでそういう気配を感じさせないから、彼が結婚していたことなど考えもしなかったし、相手の女性が他界しているとも思わなかった。

 いつもつかみどころのない表情と、ぼんやりした口調で、色々な物を煙に巻くのが得意なアントンが本当に隠しておきたかった内面の傷に、ベラは土足で踏み込んだ。

 それも、自分が認められないと思い込んでしまった我儘な勘違いによって。


(あたしって……ほんと、子供だな)


 ベラは嫌悪感に顔をしかめる。自己嫌悪に身を焼かれながら、これまでのことを振り返っていくと、自分の言動全てが実に幼稚だったと歯がゆく思えてくる。

 そもそも、親の反対を振り切り、家出して魔術師を目指したことすら幼さがにじみ出る拙い行いであったと思える。

 本当に、きちんと魔法に向き合いたいのだったら、父親をなんとしても説得し、きちんと公認を得るべきだったのだ。それを、認められないから見返すために実家を棄てるなど、なんと無責任な行いだろうか。

 こうして王宮魔術師に採用されてからも、同様だ。

 第二部署に配属されたことに不満を持って、もがいて足掻いて、第一部署の魔術師に見下され――。


 そして、部長に甘えるように我儘を言った。自分の実力を示したいから、一人でやらせてほしいと言いながら、それでもアントンに相棒としてこちらを認めてほしいからと、墓参りの話をしてくれなかったことを責めた。

 ――なんと、情けないことだろう。

 これまで自分がどれだけ自分勝手な言動を取っていたのか、今頃になって分かってしまった。

 それでも、アントンはそのことを責めたりはしない。寧ろ、逆でそんな火球のように扱いにくい自分のことを後ろできちんと支えてくれていた。


 アントンは墓参り――、彼の妻が亡くなっていることをあまり他人に言いたくない様子だった。

 その姿を見て、ベラはアントンのあの不明瞭なグレーの瞳の意味を少し分かった気がした。

 彼はまだ、自分の中で、妻の死に向き合えていないのかもしれない。妻が亡くなっていることを周囲に告げ、周りがアントンの妻が他界していることを認めれば認めるだけ、アントンもそれを認めざるを得ない。

 アントンはそれが怖いのではないだろうか――。だから、あの曇天のような瞳はいつも誰かを捜しているように、他者には読み取れない彼の胸中を映し出している。


 そんな風に考えるのは、ローザが教えてくれた『心の傷』を自分も持っているからかもしれない。

 認めたくないのだ。ベラも、あの夜の出来事を。

 だから、不思議とアントンの気持ちは理解できるような気がしていた。


「ごめんなさい……」


 こんなところで謝罪の言葉を零したところで、誰にも伝わりはしない――。だけれど、ベラはあまりにも身勝手だった自分のことを許せず、まつ毛を伏せた。


「成長しなくちゃ……」


 もう、子供でいるのは嫌だ。責任感ある大人になりたいと、ベラは拳を握った。

 アントンがベラを相棒として信頼できるだけの器にならなくては、どのような顔で彼に、『相棒として認めてほしい』などと言えるだろうか。

 彼とは大きな差がある。それは当然だし、仕方ないことなのかもしれない。

 だが、ベラは思うのだ。

 アントンだって、一人の人間だ。心に傷を負い、その傷を隠そうと怯える姿は、自分と何も変わらない。

 彼に相棒だと認められたいのなら、自分だってアントンのそのトラウマを気遣ってやれるだけの人間性がなくてはならないのだ。

 そうでなくては、ベラはアントンの隣に並び立てはしないだろう。


「心の……傷に、向き合う」


 ベラは、これまで隠そうしていた傷跡に、もう一度きちんと向き合ってみようと決意を抱いた。

 自分が抱える心の弱さや目を背けたくなるような傷跡をきちんと見て、それに対してどうしたらいいのか、考えよう。まずはそこからだ。

 ベラは明日の休日、ローザと雑貨屋を見回る約束をしていた。その時に、ローザにきちんと相談してみよう。


 ――翌日。その日はベラは休日であり友人のローザと共に、街の雑貨店を見て回る約束をしていた。

 四番通りはお洒落な小物や仕立て屋、美容院などが並び立ち、貴族の令嬢や王族も贔屓にするような店が多数あるため、この通りはベラはお気に入りであった。

 通りの入口で待ち合せていると、コツコツと心地のいい足音を響かせながら、長身の男性がベラに声をかけてきた。


「またせたな」

「……え?」


 てっきり軽薄な男がナンパ目的で声をかけてきたのかとベラはその相手の顔をきちんと確認していなかった。しかし、投げかけられてきた声にベラは相手の顔を見返す。

 スラリとした長身の男性だと思っていた相手は、ローザだった。

 王宮で見る彼女とは違う出で立ちに、ベラは一瞬停止して、言葉を失ったのである。


「ろ、ローザ?」

「そうだよ。なんだ、変な顔して」

「い、いや……想像してない姿だったから」


 ローザは王宮では白衣に身を包む冷静沈着な女性という風貌をしている。しかし、今日この場にやってきた彼女の姿はどういうことか、まるで麗しの貴公子のようではないか。細身の体を包むコートはシックな色で統一され、長く伸びる脚を演出するようなパンツスタイルであった。、

 そして、銀縁の眼鏡を凛々しい表情にかけ、ブロンドの髪を短く揃えている。それはまさに『男装の麗人』と呼ぶに相応しい風采であった。


「そういうのが、好きなんだローザ」

「凛としていたいという気持ちで自分を追及していった結果だな」

「そ、そうなんだ……」


 ――ちょっとかっこいいと思ってしまったベラは、友人に対して変な感情が燃え上がりそうになった事実に首を振った。


「今日は色々情報交換しよう」

「いいわよ。それじゃまずあたしからね」


 以前ローザが気にしていた雑貨屋を案内するため、ベラは四番通りを歩いていく。その隣には背筋を伸ばして悠々と歩くローザが付く。後ろから見ると、それはまるでカップルのようにも見えてくる。

 ベラも今日は普段の魔術師の黒いローブを脱ぎ、お気に入りのサラファンを纏い、人気店のコートを羽織ってやってきた。二人は互いに素敵な女性になることを目標に、互いの魅力や客観的評価などを言い合いながら、服や小物を合わせてショッピングを楽しんでいった。

 二人は互いに遠慮をしないコメントで、お世辞抜きの評価で語り合った。それは時には痛く図星を突くし、自分では気が付けなかった魅力を再確認させてくれたりした。

 やがて、二人は休憩のために小さな喫茶店に入り、テーブルにつくと、他愛ないおしゃべりが始まった。


「ローザは具体的に、どんな女性を目指してるのよ」

「どんなって……?」

「思い描く自分の理想。私は凛々しい女でありたいと思ってるわ。騎士にも負けないそんな自分」


 そう言って青い瞳をきらりと光らせ、胸を張っている姿はローザの言葉を体現している。ベラはそんな彼女を見て、己の理想たる姿を今一度、明確に考えてみた。


「……そうね。あたしは……これまでの自分から変わりたい。大人になりたいの」

「ふぅん、まぁ確かにベラってちょっと幼稚だもんね」

「むっ――。……いや、その通りよ。あたし、そういう自分が、今嫌になってる。多分、これまでずっと、お父様があたしを守ってくれていたから、甘えていたのよ」

 我儘な自分は、これまで誰かから守られていることも自覚できずに、甘えることが当然のように生きてきた。それが染みついている自分は社会に出て、打ちのめされて愚痴を零す――。自分が甘やかされてきていたのだとその時に気が付いた。


「へえ。父親のこと、そういう風に言えるくらいには成長できたか」

「……上から目線」

「物理的な意味でも」

 ローザはそう言って胸を張って仰け反るようにしてベラを見下ろしてくる。確かに並び立つと、ローザのほうが背が高いので、彼女はベラを見下ろしてくることが多い。そういう意味で悪戯な表情を浮かばせ笑う。ベラはそんな笑顔が、意外と嫌いじゃなかった。

「まぁ、本当にあたし、まだまだがきんちょだって思い知ったからさ……。成長したいのよ。大人として、周りの人に並び立てるくらいに」

「……大人か。具体的に目標になるような人物はいるの?」

「うーん? ……そうね、理想の姿とは少し違うけれど、魔術師として尊敬している人がいるわ。第一部署の女部長」

「ああ、あの人か。ピリピリしてて近づきがたい雰囲気だね」

「うん、でもそれだけ実力と威厳に満ち溢れている。女性でありながら、王宮魔術師のトップにいるのは素直に尊敬するわ」


 ベラは一度しか会っていない第一部署のナディア部長ではあったが、その尊敬の念は紛うことなき事実である。

 ローザの言う通り、近づきがたい雰囲気はあるものの、それは裏返せば畏怖されるほどの気配を持っているということでもある。そんな雰囲気を見に纏うことができれば、男性に見下されたり、襲われるようなことだってないだろう。

 ベラは少しだけ悩み、言葉をつぐんでいた。ローザに、トラウマの相談をしようと思っていたのだ。

 今、ちょうどいいタイミングだと思えた。己の弱さを認め、傷口を見なくては、どんな治療をしなくてはならないかも分からない。ベラは覚悟を決めるように、一度息を深く吸い、短く吐き出した。


「ローザ。相談したいことがあるの」


 声が震えていた。やはり、怖い。誰かにあの日のことを語るのが、嫌でしょうがない……。

 何時までも自分の体の中に、シビレが残り続けるような感覚が舌をもつれさせ、身体の力を奪っていくようだ。

 呼吸が落ち着かなくなりそうになるが、あの時、救ってくれたローザの瞳を覗き見ることで、ベラはその恐怖に一歩を踏み込んでいく。

 ローザは小さく頷いてくれた。

 何も言わずとも、ベラがあの夜のことを語ろうとしているのだと察してくれたらしい。

 その瞳に誘われるように、ベラはこれまでにあったことを語った。

 第一部署の魔術師に襲われたこと、危ないところを部長に救られたこと、それ以来、自分の中にトラウマが生まれていることを――。


 ――赤裸々に全てを語るというより、途切れ途切れになるベラの言葉をローザがゆっくりと整理して飲み込んでいく。

 全てを語り終えた時、自分が涙を零していることに気が付いた。

 ローザはベラにハンカチを手渡し、涙を拭うように言ってくれた。

 不思議なもので、自分の体験を語り終えると、自分の気持ちは涙と一緒に流れ落ちてしまったように、すっきりとしていた。


「……なんか、ローザに聞いてもらったら少し楽になった」

「なら良かった」

 トラウマは誰かにきちんと話すことができれば随分と心の傷を癒すことに繋がりやすくなるのだという。

 受け入れることは恐ろしいものであるが、それをきちんと知っておくことで、心の傷の仕組みが分かり、問題に対処しやすくなるらしい。

 そのように、人の脳と心はできているのだと、ローザは錬金術師の顔で言った。


「安心を手にすれば、ベラの苦しみは解放されるはずだよ」

「安心?」

「うん。それは、きっと今のベラなら必ず手に入れることができるはずさ」

「……でも、まだ相手は同じ王宮にいると思うと、不安になる」

「私が守ってやるよ」

「彼氏かよ」

「友達だろ」

「……」

「友達じゃなかったっけ」

「…………友達です」


 なんだかむず痒かったので、ベラはハンカチに顔を埋めて、もごもごと唸った。ローザのハンカチは、やはりどこか鼻を突きぬけていく爽やかな香りがした。

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