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 久々に戻った部屋は、出発した時と何ら変わりなかった。旭が丁寧にテーブルの上の魔術書を部屋の片隅に纏め置き、座るよう促してくる。

「それで」

 全員が座るなり旭が尋ねてくる。先に王都での事を話すつもりだったが、この様子だと昴の件を優先した方が良さそうだ。


 ……それにしても、昴と契約していると察している様子だというのに、何故これ程詳細に拘るのだろうか。神獣と契約した——この世界での縁が増えた——事を批難しているというよりは、もっと別の感情を感じるのだが。


 訝しく思いつつ、簡潔にあらましを説明する。あちらが半ば強引に契約を押し通した事まで話し終えると、古宇田がひっくり返った声で叫んだ。

「えぇえっ、椎奈、さっきのあの子ユニコーンだったの!? ユニコーンと契約!」

「り、里菜落ち着いて?」

「だって詩緒里! ユニコーンだよユニコーン!」


 神門の宥めも甲斐なく、古宇田が何度もテーブルを叩く。普段なら宥める側に回るだろうサーシャも、どこか上の空だ。


 女性陣の反応に溜息をつきつつ、努めて淡々と話す。

「今後どうするのかはおそらく王との折衝が必要だろうな。無断で所持していたとなれば、国に責が向かう」

「国の評価はどうでもいいだろう」

「それはそうだが、昴を預かるのは城の厩舎だ。国の事情によっては拒絶されても致し方ないと思っている。その場合は北山にいてもらうのが無難だろうな」


 旭が軽く眉を寄せて押し黙った。彼がこれ程感情的なのは本当に稀だ。珍しいものを見る意外感に、しばし眺める。


「ねえ椎奈、後でもっとゆっくり見たい!」

「もう、里菜……」

 どうやら古宇田は一角獣に余程関心があるらしく、随分とはっきり言ってくる。私は全く構わないので、注意事項と共に許可した。

「問題無いが、一角獣は人に余り懐かない事は念頭に置いておいてくれ。古宇田は少女だし、昴も子供だから相性は悪くないが、状況次第ではかなり怯えるから気を付けろ。本気で怯えて反撃すると、周囲の被害が大きい」

「う……分かった、気を付ける。慣れたら触れるかなあ」

 やや怯みつつも目を輝かせている古宇田に、肩をすくめる。

「古宇田も神門も大精霊と神霊の加護を受ける身、聖獣にとっては親しみやすい条件が揃っている。割と人懐こい方だから、焦らなければ可能だろう」

「わーい! 詩緒里も行こうね!」

「うん」

 両手を挙げて喜ぶ古宇田に誘われ、苦笑気味に神門が頷く。神門もどうやら興味はあるようで、苦笑しながらもどうやら嬉しそうだ。


「……そろそろいいか」

 旭の声が割って入る。視線を戻し、表情を引き締めて頷いた。


「スーリィア国での顛末だろう。順を追って話す、少し長くなるぞ」


 古宇田と神門が直ぐに浮かれた様子を消して背筋を伸ばす。明らかに以前と異なるその様子を複雑な気分で受け入れつつ、言葉を選んで説明を始めた。



 村々の襲撃。王太子の異様さ。街に仕掛けられた罠、闘技大会の狙い。勇者達を巡るトラブルは軽く触れるに止め、魔族の企みとそれを潰すまでを、出来るだけ敵の情報を詳しくこちらの動きは簡潔に説明していった。


 語るにつれ、サーシャや古宇田、神門は何度も息を呑み何事かを言いかけた。けれど言葉にする事はなく、話し終えるまで黙って耳を傾けていた。


 旭は最初から最後まで表情を変えず、口も挟まなかった。分析しながら聞いているのだろう、常の癖で微かに瞼が下りていた。



 やがて話し終えた時には、窓の外の日の光が次第に夕のそれになり始めていた。サーシャが動き、茶を淹れる。


 カップを傾け、話し続けて乾いた口内を潤す。旭が口火を切った。


「疑問が残る」

 視線で促すと、旭は抑揚に乏しい口調で淡々と語る。

「明らかに人員が欠如している。ギルドが目くらましにあっていたとしても、事情を説明して協力を仰ぐくらいは出来たはずだ」

 厳しい評価に、肩をすくめた。

「時間が足りなかったのと、敵に警戒されるのを恐れた。状況が切迫していたから、敵か味方かも判然としない他人を説得する余裕はなかったな」

 旭が眉を寄せる。しかしそれ以上言わず、内容を変えた。

「それでも椎奈1人で事が進みすぎている。魔族の襲撃が中途で挟まれればひとたまりもなかっただろう」

「まあ……、その点は賭けだった。最悪、街は全滅で魔族を退けられただけ御の字、となってもおかしくない状態だったからな」

 神門が息を呑む。古宇田は何故か、険しい顔でカップの取っ手をきつく握っていた。旭もくっきりと眉を寄せているのを見て、溜息をつく。

「後手に回ったのはどうしようもないだろう。距離の不利は埋められない。足を踏み入れたことすらない土地への長距離転移魔術など、私でも無理だ。後は……まあ、協力者に恵まれた」


 正直、小崎がいなければより多くの犠牲が出ていただろう。彼の異能はあらゆる意味で特別だ。ふと浮かんだ予測に、夢宮に会った時に話しておくべきだったと密かに悔いる。


「……その、協力者だが。今後そいつが俺達と相対する可能性は有るのか」

 旭が目を細め、鋭く問うた。他の3人が顔を強張らせる中、少し考えて正直に答える。

「無い、とは言い切れないな。彼の国の勇者は少々思い込みが強く、状況によっては敵対に近い状態となってもおかしくはない。そしてその場合、彼はあちら側に付くだろう」

「え、男なんだ」


 古宇田の今更な呟きは無視して、尚も続ける。


「ただ、本格的に敵になる可能性は、今の所低い。彼の希望は元の世界への帰還。その手段を私が持っているのを知っている以上、自力で他の方法を見つけるまでは敵対を避けるだろう。利害の計算は出来る人間だ」

「勇者と敵対した場合は?」

 旭の問いかけに、自然眉が寄った。

「……おそらく、あちらの勇者に害が及ばない範囲で落とし所を求めてくるな。こちらから仕掛けない限りは手出しはないだろう。それに……なんというか、彼は勇者を随分信頼しているようだ。放っておいても死なないと思っているように見えた」


 旭とサーシャが怪訝な表情になったが、何故か古宇田と神門が顔を見合わせて頷いている。少し驚いて、尋ねた。


「古宇田、神門。理解出来るのか?」

 聞かれるとは思っていなかったのか、古宇田が肩を跳ねさせる。しかし、やや間を置いて答える。

「うーんと、怒らないでね。私達が椎奈や旭先輩見てて思うのと同じだなあって思った」

「力量差故の信頼という意味か?」

 旭の問いかけに頷くも、古宇田は困ったような表情で首を傾げた。

「でも、椎奈の話聞いてると、その勇者さんは非常識ってレベルで強いわけじゃなさそうだよね。寧ろあれじゃない、殺しても死ななさそうなタイプ」

『……ああ』

 旭と声が重なって、顔を見合わせる。どうやら互いに、その手の人間と出会った事があるようだ。


 ……流石に奴ではないだろう。旭と奴の相性は最悪だ、話題に上ってこれ程冷静でいられるとは思えない。


「へー、2人にもそういう知り合いいるんだ」

 興味津々な様子の古宇田に肩をすくめ、話を戻す。

「まあ、それはいい。彼はひとまずは気にしなくて良いだろう。他に何かあるか?」


「魔族の情報が曖昧なのは何故だ?」

 旭の問いかけには、溜息をつくしかない。

「それは、直ぐ倒してしまったから分からないの一点張りだった。こればかりは居合わせていないから確認のとりようがない。ただ、何重にも重ねられた魔法陣は相当な威力があった、と言っていた」

「それを見ても尚死なず、あまつさえ直ぐに倒してしまったとは、やはりその方は相当な力量の持ち主のようですね」


 サーシャが感嘆の声を漏らす。確かに、小崎は戦い方が妙に上手かった。己の能力を的確に評価し使いどころを見極めているという印象が強い。だからこそ、厄介だと感じたのだが。


「椎奈」


 その時、旭に名を呼ばれた。顔を上げた先、闇色の瞳が鋭く見据えている。


「何を隠している」


「……どういう事だ?」

 動揺を押し隠して素知らぬ風を装い聞き返すと、旭は僅かに目を細める。

「協力者の情報ばかり曖昧だ。何故隠す?」


 視線が集まる。その中で一際食い付くように見つめてくる黒の瞳に、困惑を押し込んで溜息をつく。


「……隠している訳ではないんだ。彼の事情についてはほとんど触れていない、話す事は少なかった。ただ……」

 そこでしばらく悩んだが、話すまで引き下がりそうにない様子に腹をくくって続ける。

「……おそらく彼は、同郷だ」

「え? 椎奈、最初から日本人って言ってたよね」

 きょとんとした様子で言う神門に首を振ってみせた。それで誤魔化したいが、旭が許しそうにない。


「違う。私達と……私達が住んでいた街の、出身だ」


 静かな驚きがさざ波のように広がった。最初に言葉を取り戻したのは、やはり旭。

「根拠は?」

「戦いぶりが場慣れしすぎている。本人は今までに経験があるような物言いをしていたが、今の日本でそんな生活を送る高校生がどれ程いる? 到底想像が付かない」



 ——そして、あの街以外で異世界へと移動出来る地は、おそらく無い。



 結びの言葉は、口にしなかった。術師魔術師の世界は、古宇田と神門は関わらずとも良い。

 旭は目を細め、小さく顎を引いた。言葉にしなかった部分まで伝わったようだ。


「……えっと、待った椎奈。それってさ、私達の住む街ならありって事だよね?」

 古宇田が小さく手を上げ、微妙な表情で尋ねてくる。それには頷いた。

「あの街は場所によってはかなり治安が悪いぞ。人通りの少ない場所は避けた方が良い」

「そ、そうなんだ……知らなかった。還った後気を付けないとね」

「そうだね」

 古宇田と神門が顔を見合わせて頷くのを、表情を変えないよう細心の注意を払って眺めた。


 ——気付かれるわけにはいかない。


「言う必要も無いと思っていたから黙っていた。相手は赤の他人だ、変に自分の住む場所を知られない方が良いだろうしな」

「えー。もし会えたら、地元ネタで盛り上がっても良いじゃん」

 暢気な古宇田に、少し顔を顰める。

「ネット上での関わりでも、住居を知らせないのは基本事項だろう。いくら何でも無防備にすぎるぞ」

「う……はあい」

 インターネット上での知識は学校でも十分に教わる。それを例に挙げれば直ぐに理解出来たらしく、古宇田は大人しく引き下がった。


「さて、こっちの話はこれで良いか?」

「……そうだな」

 旭が頷く。返答までにやや間が置かれたのは、まだ何か気になるのだろうか。後で2人で話をした方がいいかもしれない。


「ねえ椎奈。その魔族に騙されてた子って、大丈夫なのかな」

 心配げに問うてきたのは、神門だ。彼女らしい気遣いに、肩をすくめる。

「さあ。私はほとんど関わっていないから何とも言えないな。挨拶してきた時の様子を思えば、そう簡単に折れないだろうという気はした」


 瀬野と共に歩む事を定めた少女の後ろ姿を思い出す。迷わず彼を追って駆けていった彼女の背には、細くもしなやかな芯が通っているように見えた。


「そっか……良かった」

 胸を撫で下ろすように息を吐いた神門を眺め、改めて訊く。

「他には無いなら、そっちの話を聞きたい」


 3人が同時に頷き、旭が説明に入った。端的に纏められた王都襲撃の顛末を聞いて、そっと胸を撫で下ろす。


 ……まったく、危険な真似をしてくれる。


「空間接続か……厄介だな。結界をものともせずに繋げてこられると防御が後手に回る」

「全ての結界を弾けるわけではないだろう。結界は接続の妨害をするが、今回は妨害をすり抜けてきたということだ」

 旭の返答に頷く。空間に関わる結界については旭の意見が確かだが、術師の知識と照らし合わせても異論は無かった。

「そしてこちらは魔族が見つかっていない、か。人に擬態しているのなら、中々に高位の魔族だろうな」


 自然眉が寄る。こうなれば、王の動きは考えるまでもないだろう。


「おそらく王は、俺達に魔族討伐を命じるだろう」

 果たして旭が明言した。古宇田が眉を寄せて意見を言う。

「でもそれって、厳しくないですか。沢山の騎士さん達が探しても見つからないのに、私達だけで探そうだなんて」

「神霊魔術や理魔術には探索魔術もある。それを突いてくるだろう」

「王宮の魔術師には難しくても、勇者の椎奈や旭先輩ならって事ですね」

 神門の相槌に、旭が頷く。どうも、言い逃れは厳しそうだ。


「椎奈、旭先輩は、どうするつもりですか?」

 古宇田が尋ねた。私よりも旭に重点が置かれているのは、ここしばらく旭が先生を担ってきたからだろう。良い傾向だ。


「元々の予定では、椎奈の貢献を盾にするつもりだった、が」

 旭が言葉を句切り、私に視線を向ける。

「……どうもはっきりと功績に残さなかったようだからな」

 旭の静かな指摘を、無言で受け止めた。


 おそらく、旭はこのまま還る気でいたのだろう。旭にかけられた呪いは条件を満たし近く自然消滅する。それを待ち、監視の目を縫って帰還魔術を発動するというのが、旭の筋書きだったはずだ。


 だが。


「……旭。そもそも私は、魔王討伐はもう避けられないと思っている」


 旭が眉を上げた。明らかに反論したげな様子に、溜息混じりに前提条件を提示する。


「私達は神に魔王討伐を命じられ、私達はそれを受けた。神との約を違える気か? 正気の沙汰ではないぞ」


 旭が視線を落とし、黙考に入った。その間に、古宇田が手を上げた。

「でも、椎奈。神様は魔王を倒せとまでは言い切ってないよ?」

「神相手に言葉遊びは許されないぞ、古宇田」

 ぴしゃりと言うと、古宇田は難しい顔で押し黙る。1つ息をつき、私は立ち上がった。

「まあ……その件は、近いうちに改めて御心を伺いたい所だ。ただ、旭にかけられた呪いは確実に消える。国の縛りは緩むな」

「そうだな」


 旭の同意に頷き返し、私は踵を返した。


「ひとまず、着替えてくる。荷物の整理もしていないしな」

「分かった。夕飯が来たら呼ぶねー」

 古宇田の返答に背を向けたまま頷いて見せ、私は久々に宛がわれた部屋へと戻った。


 閉じた扉にもたれかかり、静かに長く、息を吐き出す。

「……なんとしても」

 ぽつりと、言葉が漏れる。目を閉じて、天井を仰いだ。


 夢宮が接触に手間取ったのは、それだけ私と元の世界の縁が薄くなっているからだ。本来生まれ故郷は相当に強い筈のそれが急速に希薄になっている理由は、間違いなく。


 ——災いを、世界が拒絶しようとしているのだ。


 拒絶を振り切り強引に戻れば、世界の理が歪む恐れすらある。特にあの街は特殊な事情があり、不安定な土地だ。今災いが降りかかれば、街が沈む。

 あの土地に生まれてしまった事を、何度も申し訳なく思った。この上更なる災いを呼び込むのは、なんとしても避けなければならない。


 だから、私は還れない。還るわけには、いかない。


 勿論、古宇田や神門、そして旭は還れる。だが彼等の性格を考えれば、私1人を残し帰還する事に酷く抵抗するのは容易に想像が付く。

 それを許すわけにはいかない。これ以上彼等を、巻き込んでは、ならないのだ。


 ……旭との約束を、破っても。


 奥歯を噛み締め、閉じていた瞼を開いて天上を睨んだ。



「なんとしても」



 ——彼等の帰還……別れ、までは。


 隠し通せるよう。無事帰還させられるよう。


 …………彼らを、きちんと見送れるよう。



「……どうか」



 何を祈っているのか自分ですら曖昧な呟きを静かに落として、私は作業に取りかかるべく歩み出した。


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