縋る手
選んだのは、冒険者枠の予選後、小崎と共に入った店。護衛の昼食に合わせただけだが、飲み物位は飲もうと席を探していると、見知った顔を見つけた。
「吉野?」
肩を震わせ、吉野はカップに落としていた視線をあげる。私の姿を認めた彼女は、小さく息を吸った。
「……こん、にちは。椎奈さんも、お昼、ですか?」
途切れがちな返答、揺らぐ視線。それに強烈な危機感を覚えた私は、自分に許される限りの柔らかい口調を心がけて、尋ねる。
「同席しても、いい?」
「……え」
戸惑ったように瞬く彼女の向かいには、先程の神官。彼は微かに眉を上げると、吉野に声をかけた。
「同郷同士、話でもおありですか?」
言葉は丁寧ながら、声に嫌みがある。明らかに吉野を見下すような声に眉が寄りかけるのを堪え、吉野が首を振るより先に言葉を挟む。
「そう、互いの学校の事を話したくて。2人だけで食事を摂っても良いでしょうか」
「……貴方も、勇者殿でしょう?」
護衛を外す気かと当てこする彼に、平然と頷いてみせる。
「2人勇者が揃っている状況で、絡んでくる輩もそういないでしょう。ご不安でしたら、別の席から警戒していていただいて構いません」
尚も何か言いかける彼に、頭を下げた。
「すみません、我儘である事は承知しています。ですが、神官殿の評判は伺っています。貴方と私の護衛達でなら、離れた場所からの護衛でも大丈夫でしょう。少しだけでいいのです。お願いします」
下手に出て、思ってもいない事を並べ立てる。普段は絶対にやらないが、意思を通す時にはこういう態度が有効な時もあると指摘され、身に付けた技術だ。
——あんた普段の態度デカイから、少し無理があっても上手くいくんじゃねえのか。
奴の声が蘇るが、辛うじて不穏な感情を押し殺した。貴様が言うな、と記憶の中の奴に言い返してから、顔を上げる。
神官は、複雑な表情を浮かべていた。賞賛に対する満足、勇者である私が下手に出た意外さ、裏を探ろうとする疑念、そんな所だろう。後一押しか。
言葉を重ねようとしたその時、メイヒューが口を挟んだ。
「シア殿でいらっしゃいましたね。もしよろしければ、貴殿の精霊魔術について、少しご講義賜りたいのですが」
彼が席を離れる、口実。それを彼の自尊心を満足させるものにする事が、彼の腰を浮かせる決定打となった。
「……分かりました、それではしばし。ヨシノ殿、エルド国の勇者殿と親交を深めて下さい」
「……はい」
小さな声で答える彼女と1度目を合わせ、シアと呼ばれた神官は席を離れる。そのまま数席離れたテーブルに3人で腰を下ろすのを横目に見つつ、先程まで彼が座っていた椅子に腰掛けた。
「飲み物を頼んでも良いか? 勿論、自分で払う」
「え?」
戸惑った顔の吉野には少し悪いが、慣れない演技に喉が渇いている。近くにいた店員に紅茶を頼んで、吉野に向き直った。
「すまない、喉が渇いているんだ。不快に思ったなら、吉野達の分も払う」
「い、いえ、そこまでしてもらわなくて大丈夫です。その……、そうじゃなくて……」
不自然な挙動を取った吉野に目で問うと、彼女は遠慮がちに訊いてきた。
「あの、お、お昼ご飯、食べないんですか?」
「……ああ」
護衛達に目を向ける。案の定、既に昼食を食べ始めていた。彼等が食べるなら私も食べる筈だろうにと、疑問に思ったのか。
「私はいつも、昼食を食べないんだ。習慣だから、気にしないで」
「は、はい」
身を縮こまらせる彼女に、内心溜息をつく。どうも怯えられているようだ。瀬野も同席するタイミングを狙った方が良かったか。
「あの……」
迷うような声と同じタイミングで、注文していた紅茶が届く。店員が去るのを見届け、護衛達が会話で神官の気を引いているのを確認してから、魔術を発動する。
「え、これって……」
「精霊魔術による、防音障壁。知ってる?」
瀬野の口調に似せて、語調を柔らかなものにして。「男」である私の最大限の優しい口調で、吉野の警戒心を解きほぐしていく。
少しは上手くいったのか、吉野は軽く頷いた。
「はい。……あの、でも……」
けれどそこで神官に目を向けるから、彼女はまた表情が硬くなる。柔らかさにほんの少しだけ意識を向けざるを得ないものを込めて、語りかけた。
「同じ世界の者にしか言えない事もあるかと思った。迷惑だった?」
「あ、いえ。ありがとう、ございます」
幸か不幸か、他者の言動に常に意識を向けている彼女には、効果がはっきり出た。つられるように視線を私に向け、頭を下げる。
やや空気が緩んだ所で、本題に入ることにした。……この本題で、また空気が悪化するかもしれないが。
「午前の試合、見させてもらった。吉野の魔術は、凄いな」
やはり、吉野の表情が暗くなってしまう。小さな、弱々しい声が、答えた。
「……いえ。私のせいで、負けましたから……」
「違う」
思わず強く否定してしまい、吉野がびくりと震えた。心の中で自身に舌打ちしながら、柔らかな口調を心がけ、続ける。
「……吉野はよくやっていた。かなり良い所まで追い詰めていたじゃないか。最後の魔術が間に合わなかったからって、自分を責める必要は無い」
事実、吉野は1人で彼等を追い詰めていた。あのまま彼女が攻撃を続けていたのなら、試合の結果は違ったものになっていた可能性が高い。
それなのにあっさりと負けてしまったのは、とどめを刺そうとした神官の、魔術の選択ミスが大きい。この国の神官相手に火の精霊魔術で勝とうなど、敵方を侮りすぎている。
そして、その後の反撃への対処も問題だ。後衛は前衛が魔術攻撃に晒された時、防御に努めるのが常。より早く攻撃に晒される状況にあって魔術を構築するのは無理がある。それを吉野に丸投げするなど、気が知れない。
——見る者が見れば、吉野を使うだけ使って、決め手、つまり手柄を自分のものにしようとしているのが丸分かりだった。
だから、余計な事までつい口走ってしまう。身内を悪く言うようだが、止められなかった。
「吉野に落ち度はない。敗因は、神官の中途半端な手出しだ」
「……良いんです。私が悪いんです、本当に」
けれど、吉野の否定の言葉は、彼女が本心から紡いだ言葉だった。今までで1番意思を感じさせる言葉の続きを、黙って待つ。
それを察した吉野は、しばらく視線を彷徨わせていたが、やがて決心したように私の目を見つめた。
「あの、椎奈、さん。私、貴方の昨日の試合、見てたんです」
「……そうか」
少し、予想外だ。決勝までぶつからない私の試合を見に来ていたのは、どういうつもりだったのか。
「魔術も、武術も、すっごく強くて。相手に向かって走って行くのを見た時、思ったんです。椎奈さんは、ちゃんと、戦えるんだなって。……どうして、戦えるんですか」
その言葉が、その縋るような眼差しが。初めて出会った時の感触を、はっきりと裏付けた。
やはり、彼女は——
「私は、こんなに、怖い、のに」
——ずっと、戦いに怯えていたのだ。
「……怖い、か」
絞り出された言葉に、静かな声が、答える。それを、どこか客観的に聞いていた。
吉野はくしゃりと顔を歪ませ、今まで胸に押し込めていただろうものを、吐き出す。
「怖いです。だって、魔物って、生き物、ですよ? 動物みたいな、ものです。それを、何で、殺すって……人を殺すから、殺せって、何ですか? 動物だって、縄張りに入った人を殺すけど、人は縄張りに入らないとかして、なるべく殺しちゃだめって、お母さん、そう、言ってた」
つっかえながらも必死で訴えてくる言葉は、古宇田と神門の言葉でもある。2人が口にしなかった訴えが、今吉野の口を通して私に投げかけられる。
「……それは、あちらの世界の常識だ」
当たり前の事を、ただの誤魔化しを、口にする。吉野は更に泣きそうな顔になって、尚もまくし立てた。
「でも、同じ人、なのに! 生き物を殺すのは怖いって言ったら、臆病者って言われて! 止めを刺すのに躊躇したら、卑怯者って! お前なんか、自分が目立つ踏み台になれって、道具みたいに! みんな私のこと、ダメな勇者だって……私は、勇者になんか、なりたくなかったのに!」
「——なら、やめれば良い」
自然と口から溢れ落ちた言葉に、吉野が凍り付く。どうせ会話内容は聞かれないのだ、遠慮なく続けさせてもらおう。
「戦いたくない。戦うのが怖い。……なら、何故戦うんだ?」
「っ、だって、私は……っ」
必死で何かを言おうとする吉野を無視して、尚も続ける。
「やめたければ、やめれば良い。逃げたければ、逃げれば良い。吉野が戦わなくても、魔王に挑む人間は沢山いる。この大会を見れば分かるだろう?」
「椎奈、さん」
目を見開いて、凝視するのは、私の本心を探るためか。やはりどこか遠い所から、冷静な声が冷徹な言葉を紡ぎ出すのが聞こえる。
「恐怖しない人間などいない。命の取り合いに恐怖を覚えないのは、それはもう人間ではない。誰もが怖いと、出来れば戦いたくないと、そう思っている」
古宇田も神門も護衛達も、小崎も。恐怖を覚えない事などあり得ない。
——だからこそ、戦いに恐怖を感じない私は、化け物、と呼ばれるのだけど。
「恐怖を押し殺し、恐怖に負けた人々の期待を背負い、正義を信じて敵と戦う。縋る人々の弱さが故に、道具のように扱われる事があっても、誇り高く顔を上げて前に進む——それが出来る人間を、人は勇者と呼ぶ」
「……わた、し……!」
何か訴えかけようとする吉野の言葉に、これ以上耳を傾けることは出来ない。手を差し伸べることは許されない。彼女が縋る先が、私であってはならないのだ。……それこそが、破滅への道筋だから。
「勇者は、選ばれし者。それは確かだ。誰もが勇者になれるわけではない。なれないからと言って、責められる謂われはない。逃げたいのなら、それでいい。私は勇者などではないけれど、魔王を倒して、元の世界に還る」
もう十分だ。そう思い、紅茶を飲み干して立ち上がった。
「勇者をしなくても、元の世界に戻る術を探す道はある。決めるのは吉野だ。ただ、逃げるなら今のうちだぞ」
自分で立っていられる間に。迷っていられる間に。迷いながら傷付くのは、傷付き続けるのは、心が保たない。
彼女が本当に壊れてしまう前に逃げられたら、と。そう願いつつ言葉を投げ掛け、吉野達の分の勘定も済ませ、神官に一言かけて立ち去った私には、分からなかった。
——本当に弱った人間は、手を取り導かれなければ、何も出来ないのだと。
——追い詰められた人間は、例え道を示されても手を取ってもらえなければ、見捨てられた、と思うのだと。
——見捨てられた人間が、手を差し伸べられれば————
————それがどんな手であろうとも、縋ってしまうのだ、と。




