呪われた女
「後で疲れるけど、仕方ないかぁー」
アクアは目を擦りながら、面倒くさそうに呟く。
「まりょくかいほー」
そして‥‥‥彼女は躊躇なく魔力解放状態へと入った。
魔力解放とは、簡潔に言えば自身の自強化。
アクアの場合‥‥‥得意な水魔法の性能を、大きく引き上げることになる。
「よいしょー」
その結果‥‥‥彼女がいる3階の一室が、勢いよく大破。そこから滝のように、大量の水が流れ落ちていく。
「ちょっ、待ってーーー」
すると下の方で悲鳴じみた声が聞こえ、アクアは首を傾げた。
『誰かいたのか』という意味では無く、『聞き覚えがある声の気が』という意味で。
そして、水の放出を中断するつもりは無かった。
「んー。まあ知り合いだったら呑まれないかぁー」
アクアは考えるのを放棄した。いや、普段から碌に考えてなどいないが。
「‥‥‥‥‥‥」
「空飛べるのいいな〜」
やがて、翼をはためかせて現れた‥‥‥魔族の少年と対峙する。
「魔力解放を使えるなんて‥‥‥ますます人と馴れ合っている事に怒りを覚えます」
少年が語気を強めて言い放った。少し感情的に声を出す今の姿は、年相応に見える。
「ふーん、すごくどうでもいい〜」
対してアクアは覇気の無い声を出すと、両手を下から上へと振り上げる。
「よいしょー」
するとーーー地上へと流れ落ちていた大量の水が重力を無視して勢いよく上昇する。
「っ!?」
少年は咄嗟に身体を捻って距離を取ることで、突き上がってくる濁流を寸前で回避した。
「ーーーなんですかこれはっ」
顔を上げた少年が、目を見開いて絶句する。
濁流が四方分散し、まるで自分を真ん中に置いた‥‥‥巨大な正方形を形成していたからだ。
それはまさに‥‥‥水で作られた小さな監獄。今はまだ枠組みの内部は空気であるため、辛うじて呼吸は出来る。
「こんな、無法なっ」
だが少しずつ、四方の水が空洞の内部へと流れてていく。まるで、箱に穴が空いた事で、外から水が押し入っているように。
「これで動けないよねー。あ、でもあーしと同じ種族なら水の中でも呼吸できちゃうか〜」
淡々と呟くアクアに対し、魔族の少年は隠せない。
「出来るわけないでしょう!?」
そして思わず、彼は自分から弱みを見せてしまうほどに狼狽していた。
「ならいいやー。これで終わりだねー」
「こんな水魔法の使い手、聞いた事がありませんっ‥‥‥まさかっ!!」
少年が続きを叫ぶよりも早く‥‥‥全方位から迫る水の濁流が押し寄せる。
「ぅぶばわぁふぁびあぶぁ!!?」
そして、呑まれていく。大量の水の中で、前後左右が不明瞭になるほどに。
「なんでみんな大声で何か喋るのー? 耳がキーンとするからやめてほしぃ〜」
そしてアクアは意に介さず、欠伸をしながら3階から飛び降りるのだった。
「あ〜疲れたぁ」
組織序列4位、『水禍』と呼ばれる実力を、如何なく見せつけて。
◆◇◆◇
王都ローデリア、中央地区。
「‥‥‥おかしいな。この黒白女は、呪力を持つ代わりに魔力は0。それなら、俺たちの攻撃は一撃でも致命傷のはず」
魔族の男、ロワが翼をはためかせながら呟く。
彼の視線は、地面に背中から仰向けに倒れ込んでいる少女‥‥‥ミアへ向いていた。
「まるで、魔力の耐性があるようにも感じるわ」
ロワの隣にいる魔族の女、シファも同様に彼女を見下ろしていた。
そんな2人を見下ろされ、ミアは眉を顰めて舌打ちをする。
「‥‥‥ウッザ。虫みたいにブンブン飛んできて、ほんとに気持ち悪い‥‥‥あ〜腹立つ」
ミアは口元に張り付いた血を拭いながら、愚痴をこぼして起き上がる。ロワとシファの話を全く聞いておらず、苛つきが加速している。
「絶対殺す‥‥‥絶対に殺す。ミアを邪魔する害虫は、醜く殺す」
愚痴が止まらないミアは、左手で横腹を抑えながら立ち上がる。そして刺し殺すかのような目付きで魔族を見上げる。
「貴様、なぜ魔力の耐性がある? 興味深いから死ぬ前に話せ」
するとロワが淡々と話しかけてきた。
ミアは当然腹が立ち、眉を顰めて口を大きく開く。
「はぁ!? ごちゃごちゃうるさいわね虫ごときが!! 今すぐ殺して黙らせてやるからーーー」
勢いよく言い放った瞬間に濡れている前髪が揺れ、滲み出した水滴がミアの足元に落ちる。
「‥‥‥ああっ!! もうウザったいわね!! あの水かけ惰眠女!!」
まるで妖怪のような扱いをして、ミアは愚痴を零し続ける。いつにも増して機嫌が悪い。
「お兄ちゃんは近くにいないしっ、あの女に水かけられるしっ‥‥‥今日はほんとに最悪ーーー」
すると、ミアは突然口が止まった。彼女は僅かに目を見開いて、数秒間沈黙する。
『むしろ感謝してほしいくらいなんだけどー』
滴り落ちる水滴を見て、水かけ惰眠女の事を思い出したのだ。
ミアにとってはこれ以上ないほど腹立たしく感じる‥‥‥ぼんやりとしていて、やる気のなさそうな彼女の目が。
「あの女‥‥‥」
そして、不本意にも合点がいってしまった。
「‥‥‥ウザ。なんで上からなのあいつ。次会ったらミアの呪力打ち込んで、死ぬまで苦しませてやる」
ミアは感謝ではなく、恨み言を呟く。
そして、見下ろしてくるロワとシファを睨み付けて見上げる。
彼らは両手を組んだまま翼をはためかせており、全く警戒心が無い。
「よほど死にたいようね!!」
ミアは両手に呪力を滲み出させ、前方に見える彼らに攻撃しようと狙いを定める。
「だったら殺してあげる!! 今から存分に苦しませてーーー」
ズンッ
ミアは自分の身体から、鈍い音が広がるのを感じた。いや、広がるのは音だけではなくーーー。
「ぁっ‥‥‥!?」
赤い血。痛み。自分の身体の中に魔族の手が入っている。
「っ‥‥‥!!」
声を漏らすよりも早く、真っ赤な血が口から漏れ出ていく。
「ーーーロワはね、幻影魔法も扱えるのよ?」
ミアは咄嗟に背後から聞こえた声に目をやる。そこには、嘲笑を浮かべて舌なめずりをする‥‥‥シファがいた。
「あなたに少しばかり魔力耐性があるとしても、私の姿を誤魔化すなんて造作もないわ」
そう言ってニヤリと笑ったシファが、体内に埋まっている右腕に‥‥‥勢いよく力を込める。
「がっ‥‥‥!!!」
すると、ミアは不自然な呻き声を出し‥‥‥口から大量の血が零れる。
「心臓を潰す感触、やっぱりたまらないわね♪」
それはまさに、悪魔の所業。
シファがどこか楽しそうに、右腕を引き抜く。
「ぁ‥‥‥」
ミアは前のめりに倒れていく中‥‥‥自分が見ていたものは、敵の幻影だったことを自覚する。
「あなたは魔力感知が出来ないから、背後に回っていた私にも気づかない。当然、私が全魔力を右手に集めていることも気づいてなかったわね?」
シファが勝ち誇ったように血塗れの右腕を振るが、ミアは前方にしか意識を向けていなかった。
今も見えているロワとシファ、彼らが両腕を組んで翼をはためかせている光景に。
「最期に言い残すことはないのか? 呪われた女」
すると幻覚から飛び出してきたロワが、翼をはためかせて高速で近づいてくる。ロワは幻覚の中に隠れていたのだ。
「ゔぁッ‥‥‥!」
ミアは勢いよく蹴飛ばされ、口と空洞となった胸から大量の血を撒き散らし、近くの建物へと激突する。
「いづっ‥‥‥ぁ」
やがて夥しい量の血が、漏れ出た雨水のように流れ出す。その出血量は、重傷の域を軽々と飛び越えておりーーー。
「お、にぃ‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ミアの脈は、完全に止まった。




