表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
身代わり生贄のオメガ王子、敵国の強面魔王に嫁いだら「お前が必要だ」と執着溺愛されまして。実は不器用なだけでした  作者: 水凪しおん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

第7話「凍解の紫花」

 窓を開けると、猛吹雪の音が部屋の中に流れ込んできた。


 凍てつく風と共に、雪の欠片が舞い込み、床の絨毯を濡らす。


 けれど、そんな寒さなど気にならないほど、私の視線は目の前の男に釘付けになっていた。


 ガルド王は、バルコニーの手すりを軽々と乗り越え、無言で部屋の中へと入ってきた。


 その体躯は、月明かりを背負って巨大な影となり、私を飲み込むような威圧感を放っている。


 だが、その手には、不釣り合いなほど可憐な紫色の花が一輪、握られていた。


「へ、陛下……どうして、ここへ?」


 私は震える声で尋ねた。


 ここは三階だ。


 外壁をよじ登ってきたのだろうか。


 王たる者が、正規の入り口を使わず、まるで泥棒のように窓から侵入するなんて。


 ガルド王は、雪をかぶった黒髪を乱暴に払い、バツが悪そうに視線を逸らした。


 その頬は寒さで赤くなっているのか、それとも別の理由なのか、暗がりでは判別できない。


「……警備兵に見つかると、面倒だからだ」


 低い声が、言い訳のように響く。


 彼は部屋の真ん中まで進むと、濡れたブーツで絨毯を汚すことを気にしたのか、そこで立ち止まった。


 そして、持っていた花を、無造作に私の方へ突き出した。


「これを」


「え?」


「やる」


 あまりにぶっきらぼうな渡し方だった。


 私は戸惑いながら、その花を受け取った。


 茎は折れそうに細く、花弁は雪の冷たさを帯びている。


 けれど、その中心からは、微かに甘い香りが漂っていた。


「あの温室の花……ですね」


「……そうだ。お前が、気に入っていたようだったから」


 ガルド王は、私と目を合わせようとせず、あさっての方向を見ている。


 その横顔には、あの大きな傷跡が刻まれているが、今の私にはそれが恐ろしいものには見えなかった。


 むしろ、不器用な彼の内面を映し出すかのように、どこか愛おしくさえ感じられた。


「ありがとうございます。でも、こんな夜中に、わざわざ……」


「……昼間は、渡せなかった」


「え?」


「マリアや、他の兵士たちが見ている前では……その、なんだ」


 彼は言葉を詰まらせ、太い首筋をガシガシと掻いた。


 耳まで赤くなっているのが、はっきりと分かった。


 恥ずかしかったのだ。


 王としての威厳を保たなければならない彼が、人質のオメガに花を贈るなどという、感傷的な行動を見られるのが。


 だから、誰も見ていない夜中に、こっそりと届けに来た。


 そのためだけに、この極寒の中を。


 私は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 この人は、なんて不器用で、なんて誠実な人なのだろう。


「それに……」


 ガルド王が、さらに小さな声でつぶやいた。


「謝りたかった」


「謝る、ですか?」


「先日の夜……看病してくれたお前を、怒鳴りつけて追い出したことだ」


 彼の拳が、強く握りしめられた。


「あれは……取り乱していただけだ。お前を拒絶したかったわけではない。ただ、自分の弱さを……誰かに見られるのが、怖かった」


 魔王と恐れられる男の口から出た、「怖い」という言葉。


 それは、彼の人間らしさを何よりも雄弁に物語っていた。


 彼は常に強くあらねばならない。


 国を守る盾として、敵を倒す剣として。


 弱みを見せれば、それは即ち死を意味する世界で生きてきたのだ。


 そんな彼が、私に対してだけは、その鎧を少しだけ脱いでくれた。


 私は花を胸に抱きしめ、一歩彼に近づいた。


「気にしていません、陛下。私の方こそ、出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」


「いや、お前が悪くはない。……助かった。あの夜、お前がいなければ、俺は……」


 彼は言葉を切り、深く息を吐いた。


 そして、ようやく私と目を合わせた。


 金色の瞳が、揺れていた。


 そこには、これまで見たことのないような、柔らかな光が宿っていた。


「それから、この部屋のことだが」


 彼は部屋を見回し、眉を寄せた。


「気に入らんか?」


「いえ、とても立派なお部屋で……ただ、少し広すぎて、寂しいというか」


「……そうか」


 彼は納得したように頷いた。


「前の部屋は狭かっただろう。ここは一番広い。それに、ここなら誰も勝手に入ってこない。静かに過ごせると思ったんだが……配慮が足りなかったか」


 私は目を見開いた。


 後宮へ移されたのは、私を遠ざけるためではなかった。


 むしろ、私を気遣い、より良い環境を与えようとしてくれた結果だったのだ。


 ただ、その「気遣い」の方向性が、少しずれていただけ。


 孤独を愛する彼にとっての「快適」が、私にとっては「孤独」だっただけなのだ。


 なんて、愛おしいすれ違いだろう。


 私は思わず、くすりと笑ってしまった。


「陛下」


「なんだ」


「笑って、すみません。ただ……嬉しくて」


「……何がだ」


「陛下が、私のことを考えてくださっていたことが、です。私はてっきり、飽きられて捨てられたのかと思っていました」


「馬鹿な」


 ガルド王は即座に否定した。


「飽きるも何も、まだ何も始まっていないだろう。それに……俺は一度懐に入れたものを、そう簡単に手放したりはしない」


 その言葉に、心臓が大きく跳ねた。


 懐に入れたもの。


 それは、私のことを指しているのだろうか。


 彼は私の瞳をじっと見つめ、一歩距離を詰めてきた。


 近い。


 彼の熱が、冷え切った空気を伝って肌に触れる。


「リアン」


 初めて、名前を呼ばれた気がした。


 低く、甘い響き。


 それは命令ではなく、呼びかけだった。


「寒くないか」


「……少し、だけ」


 嘘だった。


 窓が開いたままだから、体は凍えるように冷たい。


 けれど、心だけは、暖炉の火にあたっているかのように熱かった。


 ガルド王は無言で窓の方へ歩き、力強くそれを閉めた。


 吹雪の音が遮断され、部屋に静寂が戻る。


 彼は再び私の前に戻ってくると、大きな手で、私の肩にかかっていたショールを直し、首元までしっかりと包んでくれた。


 その手が、ふと私の頬に触れた。


 分厚いタコのある、硬い指先。


 けれど、そのタッチは驚くほど優しく、壊れ物を扱うようだった。


「……暖かくして寝ろ」


 それだけ言い残し、彼は背を向けた。


 バルコニーからではなく、今度はちゃんと扉から出て行こうとする背中に、私は声をかけた。


「陛下!」


 彼は立ち止まり、振り返った。


「あの……この花、大切にします。枯れても、ずっと」


 ガルド王は、一瞬だけ驚いたような顔をし、すぐにふっと小さく笑った。


 その笑顔は、顔の傷さえも魅力的に見せるほど、男らしく、そして少年のような無邪気さをはらんでいた。


「……また、持ってくる」


 扉が閉まる。


 私はその場にへたり込み、胸の花に顔を埋めた。


 いい匂い。


 そして、彼の匂い。


 恐怖の対象だった「魔王」が、今夜、ただの不器用な「ガルド」という一人の男性に変わった。


 私は知ってしまったのだ。


 凍てつく氷の城壁の内側に、誰よりも熱く、優しい炎が燃えていることを。


 この夜、私は初めて、この北国で安らかな眠りにつくことができた。


 夢の中で、紫色の花が一面に咲き乱れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ