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身代わり生贄のオメガ王子、敵国の強面魔王に嫁いだら「お前が必要だ」と執着溺愛されまして。実は不器用なだけでした  作者: 水凪しおん


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第2話「沈黙の朝食と勘違い」

 翌朝、私は鳥のさえずりではなく、窓を揺らす風の音で目を覚ました。


 一瞬、自分がどこにいるのか分からず、天蓋付きのベッドを見上げて呆然とした。


 ふかふかの羽毛布団、肌触りの良いシーツ。


 サウスの王城にいた頃でさえ、これほど心地よい寝具で眠ったことはなかった。


 昨夜のことが、夢ではなかったのだと実感する。


 私は体を起こし、恐る恐るベッドから降りた。


 部屋の中はまだ暖かさが残っている。


 暖炉の火は小さくなっていたが、誰かが薪を足してくれたのだろうか。


 その時、控えめなノックの音がした。


「失礼します、リアン様」


 入ってきたのは、初老の女性だった。


 質素だが清潔な服を身にまとい、穏やかな笑みを浮かべている。


「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」


「あ……はい、おかげさまで……」


 使用人から「様」付けで呼ばれることにも、気遣うような言葉をかけられることにも慣れていない私は、戸惑いながら答えた。


「それは何よりです。私は侍女頭のマーサと申します。これからリアン様のお世話をさせていただきます」


「よ、よろしくお願いします、マーサさん」


「まあ、丁寧な方ですね。北の者たちは皆、粗野で礼儀知らずですが、どうかお気になさらず」


 マーサは手際よく洗面器に湯を用意し、私の着替えを手伝ってくれた。


 用意された服は、サウスで着ていた薄手の絹ではなく、厚手のウールと毛皮をあしらった北国仕様のものだった。


 袖を通すと、ずしりとした重みと共に、守られているような安心感に包まれる。


「陛下がお待ちです。朝食の準備が整っております」


 陛下。ガルド王のことだ。


 その言葉を聞いた途端、胃のあたりがきゅっと締め付けられた。


 昨夜は何もされなかった。


 しかし、今日からはどうなるかわからない。


 私は緊張で強張る顔を必死に緩めようと努力しながら、マーサの後について部屋を出た。


***


 案内されたのは、昨日の謁見の間とは違う、もっと小ぶりな食堂だった。


 長いテーブルの端に、ガルド王が座っていた。


 朝の光の中でも、彼の威圧感は変わらない。


 いや、武器を持たず、ラフなシャツ姿でいる分、その筋肉の隆起や、太い首筋の血管が生々しく見えて、かえって迫力が増している。


 彼は私が部屋に入ると、手元の書類から顔を上げ、じっと私を見つめた。


 その鋭い視線に、私は入り口で立ちすくんでしまった。


「……座れ」


 短く命じられ、私は慌てて彼の向かい側の席ではなく、少し離れた横の席に座ろうとした。


 正面に座るのは恐れ多いし、あまりに近いと恐怖で食事が喉を通らない気がしたからだ。


 しかし。


「そこではない。こっちだ」


 ガルド王が指差したのは、なんと彼のすぐ右隣の席だった。


 え?


 王の隣?


 それは通常、正妃や、最も信頼する重臣が座るべき場所ではないのか。


 人質の私が、そんな場所に座っていいはずがない。


「あの、私は……」


「遠いと声が聞こえん。こっちへ来い」


 不機嫌そうに眉間のしわを深める彼を見て、私は反論を飲み込んだ。


 逆らって機嫌を損ねるわけにはいかない。


 私は震える足で彼の隣へ移動し、椅子に腰を下ろした。


 近い。


 彼の体温が伝わってくるような距離だ。


 獣のような匂いがするのかと思っていたが、意外にも清潔な石鹸の香りと、微かに鉄と革の匂いがした。


 目の前には、湯気を立てる色とりどりの料理が運ばれてきた。


 厚切りのベーコン、根菜のスープ、黒パン、チーズ、そして見たこともない魚の燻製。


 どれも素朴だが、ボリュームたっぷりで美味しそうだ。


 しかし、緊張で喉が詰まってしまい、とても食べられそうにない。


「食わんのか」


 ガルド王が、自分の皿の肉を切り分けながら尋ねてきた。


 ナイフとフォークを使う手つきは意外にも繊細で、カチャカチャと音を立てることもない。


「い、いえ、いただきます……」


 私は震える手でスプーンを持ち、スープを口に運んだ。


 温かい。野菜の甘みが体に染み渡るようだ。


 その間も、ガルド王は無言で食べ続けている。


 何か話さなければならないのだろうか。


 昨日の無礼を詫びるべきか、それとも今日の予定を聞くべきか。


 私が迷っていると、不意に視線を感じた。


 横目で見ると、ガルド王がじっと私の手元を見ている。


 しまった、マナーが悪かっただろうか。


 あるいは、食べるのが遅すぎてイライラさせているのか。


 私がスプーンを止めると、彼はふいっと顔を逸らし、低い声で言った。


「……口に合わんか」


「え?」


「南の料理とは違うだろう。味付けが濃いか、それとも貧相に見えるか」


 その声には、どこか拗ねたような響きが含まれていた。


 私は慌てて首を横に振った。


 この料理は口に合わないどころか、温かくて美味しい。


「とんでもないです! とても美味しいです。ただ……その、こんなに温かくて美味しい食事をいただいたのは久しぶりで、驚いてしまって」


「……久しぶり?」


 ガルド王の手が止まった。


 金色の瞳が、再び私を射抜く。


 しまった、余計なことを言ったかもしれない。


 自国の王族が食事も与えていなかったなどと言えば、サウスの恥を晒すことになる。


「あ、いえ、その、移動中は保存食ばかりでしたので……」


 とっさに嘘をついた。


 ガルド王はしばらく私をじっと見ていたが、やがて「そうか」と短くつぶやき、再び食事に戻った。


 しかし、その雰囲気は先ほどよりも少しだけ柔らかくなったように感じられた。


 やがて食事が終わると、使用人たちが皿を下げていった。


 お茶が運ばれてくる。


 この沈黙の時間が、私には何よりの拷問だった。


 すると、ガルド王がおもむろに立ち上がった。


 どこかへ行くのかと思いきや、彼は部屋の隅にあった戸棚から、何かを取り出した。


 そして、私の前にドンと置いた。


 それは、真っ白な毛皮のショールだった。


 見るからに上質で、触れずともその柔らかさが分かる。


「これを」


「え……?」


「城の中も寒かろう。南の人間には堪えるはずだ。使え」


 ぶっきらぼうな言い方だった。


 目も合わせようとしない。


 私は驚いて、そのショールと彼の顔を交互に見た。


 これは、私への贈り物ということだろうか。


 人質に対する扱いとしては、あまりに手厚すぎる。


 それとも、風邪を引いて看病の手間をかけさせるなという、暗黙の警告なのだろうか。


 おそらく後者だろう。


 彼は「魔王」なのだから、優しさなど期待してはいけない。


「ありがとうございます……大切に使わせていただきます」


 私は深く頭を下げた。


 ガルド王は「ん」と喉を鳴らしただけで、すぐに背を向けた。


「執務がある。お前は好きに過ごせ。城の中ならどこへ行っても構わん」


 そう言い残し、彼は大股で食堂を出て行ってしまった。


 残された私は、ふわふわのショールを手に取り、呆然と立ち尽くした。


 好きに過ごせ、と言われても。


 どこへ行ってもいい、と言われても。


 それはつまり、「お前になど興味はないから、視界に入るな」という意味なのだろうか。


 私は胸の奥がチクリと痛むのを感じながら、ショールを肩に羽織った。


 驚くほど暖かく、ほのかに彼の残り香がした。


 その匂いに包まれていると、不思議と恐怖が薄らいでいく。


 怖い人だ。


 何を考えているのか分からない。


 けれど、このショールの暖かさだけは、嘘ではないような気がした。


 私は窓の外、白く煙る雪景色を見つめながら、これから始まる長い一日をどう過ごすべきか、途方に暮れていた。

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