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第五話 反転する舞台

 

 旧校舎の屋上を、狂おしいほど赤い夕陽が染め上げていた。

 フェンスの向こう側、風にスカートをなびかせて立つ佐伯栞と、それを見つめる進藤玲奈。そして、息を切らして駆け込んできた松木。役者は揃った。

 

「来ちゃダメ!」

 

 栞の声が、鋭いナイフのように空気を切り裂く。彼女の足元は、数センチ先で虚無へと繋がっている。

 

「玲奈、あなたに私の絶望なんてわからない。完璧なあなたが、私の火遊びを隠れ蓑にして『被害者の友人』を演じた時、私の時間は死んだのよ!」

 

 玲奈は、いつもの完璧な微笑みを引きつらせ、松木の姿を見て激しく動揺していた。

 

「……松木くん、どうしてここに。あなたは、私が図書室にいたって証言してくれたじゃない。私を信じてくれていたんでしょう?」

 

 松木は言葉に詰まる。彼は守りたかった。玲奈の虚栄心も、栞の孤独も。けれど、その矛盾が今、最悪の形で爆発しようとしていた。

 その時、二人の少女が、左右から静かに歩み出た。

 

「もう、演技はおしまいにしましょう」

 一人は、松木の側から。もう一人は、栞の側から。

 二人の少女は、屋上の中心で並び立った。

 

「……え?」

 

 玲奈が目を見開く。先ほどまで、栞を理詰めで追い詰めていた「冷徹な桜」と、図書室で松木の心を解きほぐした「情熱的な皐月」。

 だが、今そこに立つ二人の空気は、先ほどまでとは完全に入れ替わっていた。

 

「私は、片倉桜。妹の皐月に代わって、あなたの『心』の震えを聴いていました、松木くん」

 

 桜が、柔らかな、けれど決して揺るがない声で言った。彼女の指先には、銀のルーペが握られている。

 

「そして私が、片倉皐月。お姉ちゃんに代わって、あんたの『論理』の破綻を暴かせてもらったよ、佐伯さん」

 

 皐月は、ポケットから『空白の本』を取り出し、パタンと閉じた。

 二人はその場で、一瞬だけ視線を交わした。鏡合わせの自分たちを、今この瞬間、完璧に使い分けたという確信。

 

「入れ替わって……いたの?」

 

 栞が愕然と呟く。

 

「ええ。あなたが『一人は図書室、一人は屋上』と命じたのは、私たちを混乱させるためじゃない。あなた自身が、私たちを『便利な証人』として利用したかったからよ」

 

 皐月が一歩、フェンスに近づく。

 

「でも、残念だったね。私たちは、二人で一人の『舞台装置』じゃない。別々の目で見、別々の心で感じる、独立した二人の探偵助手なんだ」

 

 桜が、銀のルーペを夕陽にかざした。レンズが赤い光を収束させ、玲奈の足元を照らす。

 

「玲奈さん。あなたは、松木くんを愛していたわけじゃない。自分の完璧な物語を補完する『脚注』として、彼を傍に置いただけ。そして栞さん。あなたは玲奈さんを憎んでいるんじゃない。自分を物語から消し去った『著者』としての彼女に、自分を書き込ませようとしているだけ」

「うるさい、うるさい! 何がわかるのよ、あなたたちに!」

 

 栞が叫び、一歩身を乗り出す。松木が悲鳴のような声を上げた。

 その瞬間、皐月が『空白の本』を高く掲げた。

 

「宮本さんの道具はね、ただのノートじゃないんだよ。……見て。ここに書かれた文字は、今この瞬間の、あんたたちの本当の姿だ」

 

 皐月がページを捲ると、そこには何も書かれていないはずの白紙が、夕陽を浴びて「ある光景」を浮かび上がらせた。

 それは、特殊な感光剤とルーペの反射を利用した、宮本秘伝の「真実の投影」だった。

 浮かび上がったのは、三ヶ月前、理科準備室で撮影された一枚の写真のような影。

 火をつけたのは確かに栞だった。だが、その隣で、玲奈が冷笑を浮かべながら、栞の持っていたライターを奪い取り、さらに大きな火種へと投げ入れる姿が映し出されていた。

 

「……っ!」

 

 玲奈の顔から、血の気が引く。

 

「栞さん、あなたは自分一人で罪を背負ったつもりでいたけれど、玲奈さんはそれを『煽った』。そして、その証拠を松木くんが隠した」

 

 桜が、静かに語りかける。

 

「三人が三人とも、加害者で、被害者。誰か一人が消えたところで、この歪な物語は終わらないわ」

「じゃあ、どうすればいいのよ!」

 

 栞が泣き崩れる。

 

「第三の結末を書くのよ。私たちと一緒に」

 

 桜が手を差し伸べた。

 

「玲奈さんの完璧な経歴も、栞さんの空白の時間も、松木くんの罪悪感も……。全部を『なかったこと』にはできない。でも、この『空白の本』に、今日から新しい一頁を書き足すことはできる」

「告発するためじゃないわ」

 

 皐月がニヤリと笑う。

 

「この証拠は、私たちが預かる。……その代わり、条件があるよ。あんたたち三人で、あの理科準備室を、放課後ボランティアで三ヶ月間掃除し続けること。誰に言われるでもなく、自分たちの意志で。……それが、名探偵が提示する『和解のプロット』だ」

 

 静寂が屋上を包んだ。

 栞はゆっくりとフェンスを跨ぎ、内側へと戻ってきた。松木がそれを支え、玲奈は力なく地面に膝をついた。

 

「……そんなので、許されると思ってるの?」

 

 玲奈が、掠れた声で問う。

 

「許すのは私たちじゃないわ。……いつか、この本に自分たちの言葉で本当のことを書き込めるようになった時の、あなたたち自身よ」

 

 桜が、優しく微笑んだ。

 二人の双子は、夕陽を背にして、旧校舎を後にした。

 ポケットの中のルーペとノートは、少しだけ重みを増したような気がした。

 

 隣の洋館に戻ると、宮本武蔵郎は紅茶を淹れて待っていた。

 

「お帰り、助手諸君。素晴らしい『入れ替わり』だったようだね」

「バレてたんですか、宮本さん」

 

 皐月が、呆れたように笑う。

 

「当たり前だ。私の目は節穴じゃないと言っただろう? ……だが、桜の感性と、皐月の論理が、互いの殻を破って溶け合った瞬間を見たかったんだ。君たちはもう、鏡の中の住人じゃない。世界という名の図書館に、自分の意思で栞を挟めるようになったんだ」

 

 宮本は、二人の『空白の本』を受け取り、その最初のページに万年筆でこう記した。

 

 ――『物語は、二人の少女によって、今、始まったばかりである』――

 

 桜と皐月は、顔を見合わせた。

 性格も、本の好みも、栞の挟み方さえも。

 世界で一番似ているけれど、世界で一番違う二人は、明日もまた、新しい謎のページを捲る。

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