第四話 双子の栞と、鏡像の放課後
新校舎の静寂と、旧校舎の風。二つの場所で、双子の「偽装」は静かに真実を侵食し始めていた。
新校舎三階、西日に照らされた図書室。
皐月の振りをしている桜は、目の前の少年、図書委員の松木をじっと見つめていた。彼は細い指を震わせ、桜が見せた「宮本の栞」から目を逸らせずにいる。
「松木くん。あなたは皐月(私)に近づけば、佐伯さんの計画を阻止できると思ったのね。でも、あなたは一つ大きな間違いを犯しているわ」
桜の声は、皐月のそれに似せて少し低く、断定的な口調に整えられていた。しかし、その根底にあるのは、物語の行間を慈しむ彼女本来の深い観察眼だ。
「間違い……?」
「ええ。あなたは進藤玲奈さんの『アリバイ』を守りたいのではなく、彼女が『アリバイを作らざるを得なかった理由』を守ろうとしている。三ヶ月前の理科準備室。玲奈さんがそこにいたのは事実だけど、彼女は火をつけた犯人じゃない。……そうでしょう?」
松木は息を呑んだ。図書室の空気が一変する。
「なぜ、それを……。あの日、火をつけたのは佐伯さんの方だ! 玲奈はそれを止めようとして、でも、自分が現場にいたことがバレれば、完璧な優等生としての立場が崩れてしまう。だから僕に、彼女が教室にいたという偽の目撃証言を……」
桜は、ポケットの中で銀のルーペを握りしめた。
「あなたは彼女を愛しているから、嘘を重ねた。でも、ルーペ越しにあなたの表情を見ればわかる。あなたは、自分が守っている『物語』が、実は玲奈さんによって書き換えられた偽物であることに、うすうす気づいているはずよ」
桜は、皐月なら決して選ばないような、悲しげで慈愛に満ちた瞳で彼を見た。
「玲奈さんは、あなたさえも利用している。佐伯さんの恨みを利用して、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるために。松木くん、あなたが今ここで真実を話さなければ、玲奈さんは本当に『怪物』になってしまうわ」
一方、旧校舎の屋上。
桜の振りをしている皐月は、佐伯栞の横顔を、まるで見慣れない数式を解くような目で見つめていた。
「桜さん? さっきから、私のこと、すごく怖いくらい見てるけど……」
栞が、不安そうに微笑む。その仕草はあまりに儚く、守ってあげたくなるような「被害者」そのものだった。
「ごめんなさい、佐伯さん。私、お姉ちゃんと違って、少し理屈っぽく考えちゃう癖があって」
皐月は、ふっと桜らしい柔らかな笑みを消した。その瞬間、空気が凍りつく。
「佐伯さん。あなたは今、私たちが『二つの場所に同時にいる』ことをアリバイにして、玲奈さんに復讐しようとしているわね。でも、このパズルにはピースが一つ足りないの」
皐月はフェンスに背を預け、屋上から見える新校舎を指差した。
「あなたは玲奈さんに罪をなすりつけられたと言った。でも、手紙にあった『私の時間を奪った犯人』という言葉。これ、玲奈さんのことじゃないでしょう?」
栞の瞳から、光が消えた。
「……何が言いたいの?」
「あなたは玲奈さんが大好きだった。だから、彼女の『完璧な物語』の一部になりたかった。三ヶ月前、理科準備室に火をつけたのはあなた自身。玲奈さんの気を引くために。でも、彼女はあなたを救わずに、松木くんを使って自分だけ逃げ出した。……あなたが今、本当に憎んでいるのは、玲奈さんじゃない。彼女を『完璧な優等生』という檻に閉じ込め、あなたを視界から消し去った、この学校の『空気』そのものだわ」
皐月は、鞄から『空白の本』を取り出し、栞の前に突きつけた。
「あなたは、この屋上から飛び降りるふりをして、玲奈さんをここに呼び出し、彼女に一生消えない『心の傷』を負わせようとしている。自分が死ぬことで、彼女の物語を永遠に未完のまま汚す……。それが、あなたの言う『復讐』のアリバイなのね」
栞の肩が、激しく震え始めた。
「……どうして。どうして、おとなしい方の片倉さんに、そんなことがわかるのよ!」
「おとなしいのはお姉ちゃん。私は、お姉ちゃんの心を守るために、冷たい真実を読み解くのが役割なの」
皐月は一歩、栞に近づいた。
「あなたは自分を被害者に仕立て上げることで、玲奈さんを永遠に縛り付けようとしている。でも、そんな悲しい結末、私たちの『本』には書き込ませないわ」
図書室で松木を問い詰める桜。
屋上で栞の絶望を暴く皐月。
二人は離れた場所にいながら、互いの鼓動を感じていた。
桜は、松木の心の揺れを「文学的感性」で拾い上げ、彼に真実の告白を促す。
皐月は、栞の巧妙なトリックを「論理的思考」で解体し、彼女の極端な行動を未然に防ごうとする。
その時、双子のスマートフォンが同時に震えた。
隣の洋館にいる宮本武蔵郎からの、短いメッセージだった。
『栞を挟む位置を間違えるな。物語の終わりを決めるのは、作者ではなく、読者だ』
桜は松木の目を見て言った。
「松木くん、今すぐ屋上へ行って。玲奈さんじゃなく、佐伯さんを助けるために」
皐月は栞の腕を掴んだ。
「佐伯さん、見て。新校舎から、誰かがこっちに向かって走ってくる。……あなたが本当に呼んでいたのは、あの人じゃないの?」
二つの孤島で紡がれていたバラバラの物語が、今、一つのクライマックスへと向かって収束し始めた。




