第78話 魔王祭(2)
誤字報告、ありがとうございます!
誤字が多く申し訳ありません。
なるべく減らすように気を付けます。
第三通りに位置するシルヴィア邸より南の第四通り。
大道芸や歌で賑わいを見せていた第三通りとは違い、第四通りは屋台で賑わいを見せていた。
マンデリンの中心から南東に伸びるメインストリートでは、甘い香りや香ばしい香りが漂っている。
「良い匂い」
しばらく第四通りを歩いていると、大きな肉を焼く男性の姿が目に入る。香辛料をふんだんに使った複雑だが、食欲を誘う良い匂いが鼻孔をくすぐる。
店主は子供から注文を受けると、その場でローストされた肉を削ぎ落として、それをパンに挟む。子供は、受け取ると美味しそうに食べ始めた。
「確か、ケバブでしたか……とても美味しそうな匂いですね」
「何か、無性に食べたくなってきた。ソフィアの分も買ってくるから、どこか座れる場所を取っておいて」
二人と同じで、ケバブの匂いに惹かれたのだろう。
ケバブの屋台には列が出きており、時刻もお昼に差し掛かっているため、ベンチも埋まってきていた。
「分かりました。飲み物を買って待っていますね」
互いに示し合わせると、別行動を取る。
ロレッタが、ケバブの屋台へ向かうのを見たソフィアは周辺で何か飲み物が売られていないか探し始める。
「あそこが良さそうですね」
ソフィアの目に入ったのは、スムージーを扱っている店だ。
屋台と屋台の間を通って、店の中に入って行く。中はバーのようになっており、カウンターに色とりどりのスムージーが置かれていた。
「……綺麗ですね」
バナナのスムージーやイチゴのスムージーなど果物のスムージーだけでなく、健康に良さそうな野菜のスムージーまで多種多様なスムージーが取り揃えられていた。
ノンアルコールのカクテルまで取り扱っているようで、種類は多岐にわたる。
「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりでしょうか?」
すると、二十代前半くらいの女性がカウンターから現れた。ソフィアは軽く頭を下げると、視線を透明なポットの一覧に巡らせる。
「いえ、色々と種類があるので迷っています……お勧めとかありますか?」
「お勧めですか。それなら、鮮血スムージーはいかがでしょうか?」
「鮮血スムージーですか、では……」
――それで……
と続けようとしたソフィアだが、咄嗟に違和感に気付いた。
「えっと、今なんと?」
「鮮血スムージーがお勧めですよ」
笑顔で再度伝えてくる店員を見て、ソフィアは耳を疑った。
店員の指す方向を見ると、真っ赤な液体があるではないか。
一瞬トマトのスムージーかと思ったが、それにしては赤黒い。手前に付けられたプレートには【一週間限定 搾りたて鮮血スムージー】と書かれている。
「何を搾ってるんですか!!?」
「お客さん、それ聞いちゃいます? 良いんですか、聞いたら後戻りができませんよ?」
店員さんが剣呑な声でソフィアに尋ねる。
「い、いえ……結構です」
その雰囲気に押され、ソフィアは首を勢いよく振る。すると、後ろの席から笑い声が聞こえて来た。
「わははは!! 今時大人が、こんな子供だましみたいなのに引っ掛かるなよ!」
「お、お兄ちゃん。笑っちゃ失礼だよ」
「お前だって、頬が緩んでいるぞ」
「もう!」
振り返ると、そこにいたのは十歳前後の兄妹だった。
(こ、この光景が懐かしく感じてしまう自分がいる)
子供に笑われることなど珍しくはない。だが、最近は魔国の常識を知り、笑われることはなかった。
久しぶりに笑われたことに恥ずかしさよりも、懐かしさがこみあげてくる自分がいることが何よりも悲しかった。
そんなソフィアの様子を見て、店員さんが少年の方を見て言った。
「『おれ、消されるのか?』って真剣な表情で言ってたのは、誰だっけかな?」
そう言うと、少年の表情が固まる。
少年もまた騙されたのだろう。騙されたからこそ、同じように騙されたソフィアの事を見ていたようだ。
ソフィアが視線を合わせようとすると、へたな口笛を吹いて明後日の方向を向いてしまった。
「お客さん、気になさらずに。これ、よく出来ているでしょう?これ用に作られた血液そっくりな色のトマトを使っているんです。少しドロドロとした感じが強いですが、味はトマトジュースと変わりませんよ」
「それを聞いて安心しました」
「もし良ければ、試し飲みして見ますか?騙してしまったお詫びです」
そう言うと、店員はポットから鮮血スムージーを小さめのコップに入れると持って来る。
思わず受け取ってしまったソフィアだが、見た目は完全に血液だ。ブラッドアップルの一件もあるため、不味いということはないだろう。
だが……
「うっ……」
トマトらしからぬ生々しい匂いに思わずうめき声をあげてしまった。
見た目だけでなく、匂いも血液そのもののようだ。これはさすがに無理だと思ったソフィアだが、店員から向けられる期待が込められた視線に後には引けなくなってしまった。
ええいままよ。ソフィアは、匂いを気にせず鮮血スムージーを一気に呷った。
「……っ!?」
口の中に広がるトマトの香りに、目を瞬かせる。
ドロドロした見た目に反して、非常にすっきりとした香りだ。トマト独特の香りが、口から鼻を通り抜ける。
予想を裏切られるような味にソフィアは思わず「美味しい」と言葉を漏らす。
「それは良かったです。ただ、見た目のせいで嫌厭されちゃうんですよ」
「そうでしょうね」
血と見た目が変わらない飲み物だ。血液を吸う必要のあるヴァンパイアでもなければ、好んで飲もうとする者は皆無だろう。可能性があるとすれば、トマトジュースを好む人の中でゲテモノ好きという条件に当てはまる人物くらいだ。そんな条件に当てはまる人物がそうそう居るとは思えない。
「それで、どうします? 鮮血行っちゃいます?」
「結構です」
なにはともあれ、見た目が悪いのだ。それに味に関しては見た目に反してであり、好んで飲みたいというほど美味しいわけではない。
好んでゲテモノを口にする趣味は、残念ながらソフィアにはない。
「この流れで断るとは……うぅ、私これ売りきらないとクビになるかもしれませんのに」
女性店員が目を潤ませて、ソフィアを見る。
相当切羽詰まった表情だ。気の毒に思ってしまったソフィアは、もう一度視線をスムージーに向けるが……
(これは、流石に……)
生々しいまでに赤いそれ。
ソフィアには一歩を踏み出す勇気がもてない。可哀想だと思うが、もう一度断ろうと決意して店員を見る。
「……」
店員さんのまるで捨てられた子犬のような目を見て、ソフィアの決意は瓦解した。
「……分かりました、分かりましたから! せんけ……」
「ねぇちゃん、騙されるな! それは、陰謀だ!」
声を上げたのは、先ほどの少年だ。年齢に見合わず、難しい言葉を知っているなと思わず感心してしまう。だが、しばらくして少年たちの机に鮮血スムージーなるものが置かれていることから、その意味を理解する。
「それでは、注文を何にしましょうか? 今の時期だと、マンゴーとパイナップルのブレンドがお勧めですよ」
「……」
あまりの変わり身の早さに、ソフィアは店員をジト目で見る。だが、表情を取り繕うのが上手いのか、ソフィアの視線に対して営業スマイルが崩れることはなかった。
「それなら、ブレンドを二つ」
「はい!すぐにお作りしますね!」
そう言い残して、店員さんはカウンターに戻って行った。それをジト目で見つつも、少年たちに頭を下げる。
「わざわざありがとうございます」
「気にすんな、あの悪徳店員に騙されるのを見てられなかっただけだ」
少年は照れくさいのか、頬を赤くしてぶっきらぼうに答える。その様子を見た少女が緊張したように言う。
「い、いえ。それよりも、姉と兄が失礼しました!」
「三人は兄弟だったのですか?」
「はい。お姉ちゃんは人を揶揄うのが好きで、お兄ちゃんは正直すぎるんです。決して悪い人ではないので、嫌いにならないで欲しいです」
「あははは、気にしてませんよ。慣れてますから」
「え?ねぇちゃんって、子供に笑われるのと騙されるのに慣れてんのか? 苦労してるんだな!」
「…… (ピキッ!)」
ソフィアが、まるで彫像のように固まった。それを見た少女が、慌ててフォローする。
「ご、ごめんなさい!兄は嘘がつけないので、何でも正直に言ってしまうんです!」
「……」
少女に悪意がないのは一目瞭然だ。
それは分かる。理性では納得するのだが、感情では納得できない……何とも複雑な心情だった。
「こらこら。それだと、あなたも認めているようなものじゃない」
「あっ、ごめんなさい!」
窘められて気づいたのだろう。
だが、その優しさが却ってソフィアには辛いものだ。心の中では涙を流しつつも、ソフィアはぎこちない笑みを浮かべた。
「い、いえ……大丈夫です、大丈夫なんです。気にしないで下さい」
「相当気にしているわね……そうだ、お客さん。面白いから、少しサービスしておきますね」
「……ありがとうございます」
サービスしてくれると言われても、ソフィアは素直に喜べなかった。店員から、増量されたスムージーを受け取ると、最初に比べて覇気のない姿で店を去って行くのだった。
◇
店を出たソフィアは、ロレッタと別れた場所で席を取って待っていると、しばらくしてチョコバナナではなくケバブを持ったロレッタが近づいて来た。
「お待たせ……何か、さっきより顔がやつれているけど、何かあった?」
「いえ……時には悪意の込められた言葉より、悪意のない事実を言われたときの方が心にグサリと刺さるのだと学んだだけです」
「……?」
ソフィアが何を言っているのか分からなかったのだろう。ロレッタは首を傾げると、そのままソフィアの対面に腰かける。
そして、机の上に置かれているスムージーを見て声を上げた。
「このスムージー、あそこのか。ソフィアなら絶対騙されて、鮮血買ってくると思った」
「……ノーコメントで」
「そういうことにしておく」
ロレッタはドリンクを受け取り、ソフィアはケバブを受け取った。陰鬱な気分だが、ケバブの良い香りに吹き飛んでしまう。
「美味しいですね! 特に、このお肉がとても美味しいのですが、何のお肉なんですか?」
「確か、ホーンシープ」
「……ホーンシープ?」
ロレッタの言葉に、ソフィアはまるで錆びたブリキ人形のようにギギギと首を下に移す。
「ホーンシープって、あの草原の悪魔と呼ばれる魔物ですよね?」
「……?違うと思う。肉が美味しい羊のこと……ワイバーンより難易度は低いとは言え、魔物だから料理できる人が少ない。まさか、屋台に扱える料理人がいると思わなかった。運が良かった」
「そうですよね。ホーンシープは、一ワイバーン以下の魔物ですよね。あははは……草原の悪魔って美味しいんですね」
ベヒモスと違って、比較的身近な存在ゆえだろう。
ソフィアは壊れたような笑みを浮かべながら、ホーンシープのケバブを口に運ぶ。
料理人の腕がいいのは間違いない。羊特有の臭みはなく、香辛料の芳しい香りが口内に広がっていく。
そして、ホーンシープ。
噛むと肉汁がはじけ、自然と口角が上がってしまうのが分かる。ホーンシープを中心に作り上げられたケバブは、香辛料によって食欲を刺激し、肉汁の後味が食事を止まらなくする。
気が付けば、ロレッタもソフィアもケバブを食べ終えていた。
料理において香りの偉大さを再確認していると、不意に聞き覚えのある声が響き渡る。
「まぁ、鮮血スムージー! なんて素晴らしい飲み物ですの!」
金髪に小柄な少女。
エリザベート=ヴァンプ。ソフィアの視線に気づいたのか、エリザベートはソフィアに向けてにっこりと笑う。
なぜだろうか。
愛らしい笑みのはずが、ソフィアはその笑みを見て無性に危機感を覚えるのであった。




