第71話 カボチャのキッシュ
シルヴィア邸に帰宅したソフィアとフェル。
早速夕食の準備を始める。メインは先ほど購入したジュエリーパンプキンだ。
「ところで、何を作るの?」
「キッシュを作る予定です。喫茶店のメニューに使えないかと思いまして」
キッシュとは、ホウレン草やタマネギなどを炒め、それをパイ生地の器に入れ卵や生クリーム、チーズで蓋をして焼き上げる料理だ。
パイ料理は、アッサム王国でも珍しいものではなく、ソフィアとしても見慣れたような料理である。
また、理由はそれだけではない。
ソフィアは、ジュエリーパンプキンに視線を向ける。
「このカボチャは非常に甘みが強いと言うことでしたからキッシュにはよく合うかと」
「それ、確か味覚の対比効果ってやつだよね!」
対比効果とは、二種類以上違った味を混ぜ合わせたとき、どちらか一方もしくは両方の味が強く感じる現象のことだ。
夏の定番であるスイカが代表的な例である。スイカに塩をかけると、より甘さを感じることができる。
また身近なものだと、みそ汁やお吸い物だ。
通常は、旨み単体では味を感じにくい。しかし、旨みに塩味を混ぜ合わせることによって、より旨みを際立たせることができる。
「その通りです。甘いカボチャに塩味のパイ……美味しそうだと思いませんか?」
「カボチャのキッシュか……美味しそう!」
ジュエリーパンプキンを使ったキッシュを想像したのだろう。
満面の笑みを浮かべるフェル。いつもなら部屋で絵でも描いているのだが、今日は厨房から離れなかった。
チラチラと期待するような視線を向けて来る。
「何か手伝います?」
意味ありげな視線に気づいたソフィアが、フェルに尋ねると……
「えっ、良いの!?」
歓喜の声を上げるが、どこか意外そうだった。
おそらく余計なことをしてしまう自覚があるのだろう。そんなフェルの態度にソフィアは苦笑を浮かべる。
「野菜の皮むきだけです。火は危ないので、使ってはいけませんよ」
ソフィアはそう言って、仕舞ってあった包丁を取り出してフェルに渡す。
「まさかの子ども扱い!? その包丁子供用の刃がないやつだよね!?」
愕然とした声を上げるフェル。
フェルに渡した包丁はキッズシェフと呼ばれる子供向けの包丁だ。バナナや豆腐などは切れるが、刃が付いていないため野菜を切るのは一苦労である。
「というか、何でここにそんなのがあるの!?」
「それですか……」
何故、ここに子供用の包丁があるのか。
キッズシェフはもともとここにはなかったものだ。では、誰かが購入したものとなるのだが……。
「いえ、何でもありません。きっと誰かが買ったんでしょうね」
ソフィアは思わず遠い目をしてしまう。
自分ではない誰かが買った。そういうことだ。
「えっ、なに……凄く気になるんだけど?」
「フェルちゃん、この世には聞かない方が幸せな話もあるんですよ?」
ソフィアはそう言ってにっこりと微笑む。
それを見たフェルは何かを感じ取ったのだろう。顔色を青くして、しきりに何度も頷いた。
「【さぁ、料理を始めましょう】」
ソフィアはキーとなる言葉を唱えると、早速料理に移った。
一方でフェルは包丁で皮向きが出来ないのだろう。いつの間にかその手にはピーラーが握られていた。
カボチャのキッシュを作る前に、まずはジュエリーパンプキンの下準備だ。
「普通のカボチャと同じように調理すればいいのでしょうか?」
「うん、そのカボチャの皮は柔らかいみたいだからね。分かっていると思うけど、皮を捨てたらだめだからね」
「分かりました。では、フェルちゃんはジャガイモの皮むきをお願いします」
「ラジャ!」
ソフィアの指示にフェルは早速動き始める。
(さて、カボチャを切りますか)
ソフィアは、包丁を受け取ると早速パンプキンに包丁を入れる。
カボチャを切るときのコツだが、ヘタの真上から切らないことだ。
ヘタはとても硬く、非常に危ない。ソフィアはセオリー通り、ヘタを避けて半分に切り分ける。
料理スキルの高さもあるが、やはり普通のカボチャよりも皮が柔らかい。
それほど力を入れずに、二等分することが出来た。
「綺麗……」
思わず感嘆の声を上げてしまう。
琥珀色の皮の中身もまた、同じような色合いで少し濃い色をしていた。宝石と呼ばれるのも納得である。
見惚れているのも束の間で、ソフィアはすぐさま、断面からヘタを取り除く。
そして、煮崩れの原因となるワタをスプーンで綺麗にこそげ取り、水洗いをする。
「種は少ないですがおつまみとして出しましょうか」
ふと、取り出した種を見て思う。
カボチャの種は、非常に栄養価が高い。それに、油で炒めて塩を振って食べると美味しいのだ。
とは言え、シルヴィア邸には飲酒する人は少ない。十五歳から飲酒が可能であり、フェルを含めて飲酒が可能だ。
しかし、お酒に弱いフェルは禁酒を言い渡されており、ロレッタとシルヴィアはお腹にたまることを嫌っている。
唯一飲むのはソフィアだけ。
しかし、ソフィアも一人で飲む気はなく、結果的にシルヴィア邸にはお酒を飲む人がいないのだ。
種をワタから取り除くと、カボチャを一口サイズに切り分ける。
「さて、あとはレンジで温めれば良いですね」
カボチャの方は完成だ。
不意にフェルの様子が気になって視線を向けた。
「うぐぐぐ……」
どうやらジャガイモ相手に苦戦をしているようだ。表面が凸凹しているため、ピーラーでも剥きにくいのだろう。
料理の経験など皆無に等しく、ピーラーを持つ手がどこか危なく感じてしまう。
(やはり、お子様用の包丁で良かったみたいですね)
フェルの手を見てそんなことを思うソフィア。
仮にソフィアの真似をして包丁で皮向きをしていたら、きっとその美しい指は赤く染まっていたことだろう。
(先にポタージュを作りたかったのですが、後にした方が良さそうですね)
ジャガイモはポタージュを作るためだ。
魔法を使えば、間違いなくすでに終わっている。だが、せっかくフェルがやる気を見せているため、それを削ぐような真似をしたくなかった。
そんなフェルの姿を横目に、ソフィアはタマネギをスライスし始める。
「終わったぁ!」
ソフィアが、スライスしたタマネギとベーコンを炒めていると唐突にフェルが声を上げた。どうやら皮むきが終わったようだ。
「お疲れさまです。助かりました……?」
ソフィアは、ボールに入ったジャガイモを見て思わず固まってしまう。
……丸い、丸いのだ。まるで卵のようにつるつるに磨き上げられたジャガイモたち。フェルが持っていたのはただのピーラーのはずだ。
「……よくピーラーでここまで綺麗になりましたね」
もはや芸術だ。
ソフィアはジャガイモを見て戦々恐々とする。
「ふっふっふ、私とピーラーにかかれば皮むきなど容易いことなのだよ!」
ソフィアが褒めたことで、明らかに調子に乗り始めるフェル。
その目は、「他に手伝うことない?」と訴えかけてきているようだ。とは言え、サラダや主食となるパンは料理魔法によって着々と作られている。
フェルに任せられるような仕事がないのだ。
期待に満ちた視線に困っていると……
「今帰った」
「ただいま」
厨房にロレッタとシルヴィアが現れた。
どうやら二人は用事を終えたのだろう。厨房に入ってくると、ピーラーを持っているフェルに怪訝そうな視線を向けた。
「みてみて、皮むきしたんだけど、綺麗に剥けたよ!」
フェルは、宙に浮いたボールを取るとそのままシルヴィアの方へと向かって行った。
尤も、二人としてもピーラーであるなら万が一もないと思ったのだろう。しかし、ボールを覗いた瞬間、二人の表情が固まった。
「綺麗にって、確かにそうだが……」
「卵を剥いたんじゃないの?」
二人も、フェルの料理技術に表情を引きつらせる。
きっと、ソフィアと同じようにピーラー一つでどうしてこうなったと思っているのだろう。
とは言え、迷惑をかけたわけでもないため苦情を言うことはない。
料理の邪魔になるからと言って、シルヴィアはフェルを連れて厨房を後にした。
「お疲れさま。今日の夕飯は何?」
「カボチャのキッシュとポタージュ、足りないと思いますからパンを焼いておきました。パイシートで器を作っている所です」
「カボチャ?」
「はい。ジュエリーパンプキンが安く手に入りましたので」
「っ!?」
ソフィアのジュエリーパンプキンと言う言葉に、ロレッタは目の色を変える。
「一応言っておきますが、それほど多く作れませんからね。二つが限度です」
「残念……けど、楽しみ」
二つと聞いた瞬間明らかに落胆するが、それでも楽しみなことに違いなかった。
そう話しているうちにパイの器は完成した。先ほど炒めたタマネギとハムを敷き詰めてから、ジュエリーパンプキンとクリームチーズを乗せる。
最後に卵と生クリームを混ぜた液体で蓋をして、チーズを乗せる。
あとは、オーブンで焼けば完成だ。
「これで、後は待つだけですね」
「二百度のオーブンで、大体三十分くらい。焼き上がりは膨らむのが目安」
「分かりました。では、その間にポタージュを作りましょうか」
ソフィアはそう言って、ジャガイモのポタージュを作り始めるのだった。




