第53話 お前か
一夜が明けて。
ソフィアは、日差しの暖かな刺激を受けて目が覚める。
「……ここは?」
ゴツゴツとした石の感触に、体が十分に休めなかったのだろう。
睡眠耐性があるが、微睡みのなか周囲を見渡す。
「あぁ、そう言えば野宿をしたのでしたね」
人の手が加えられていないありのままの自然。
動物たちの鳴き声が時折響くが、とても静かだった。暑さが続く季節でも、近くに川が流れているからか幾分か涼しく思える。
「起きたか?」
声をした方向を見ると、シルヴィアが岩場を椅子にして座っていた。
ソフィアが起きたことに気が付いたのだろう。視線はソフィアではなく沢に向いており、その手には釣竿が握られている。
狩人の目だった。
いつの間に釣竿を作ったのか、そんな質問は無粋だというもの。
釣竿に神経を集中させ、見ている方も緊張してしまう。
まるで達人の試合を見ているようだ。
「ふっ!」
獲物が掛かったのを見て、シルヴィアが一気に釣竿を引き上げた。
水しぶきと共に、岩場には到底川魚とは思えない大きさの魚影が浮かび上がる。
ソフィアもその影を視線で追うと、その正体が分かった。
「また、お前か」
そう、それは六月から九月にかけて旬の魚。
大きな河川が流れ込む内湾やその沿岸部の磯で獲れる魚で、内陸国であるアッサム王国ではまず釣れるはずのない魚だった。
「って、何でスズキが釣れるんですか!?」
「いや、無駄にでかいがセイゴだな。スズキは、温かい時期では河川を逆上することがあるらしい」
「た、確かにそうですが……ここから海までどれだけの距離が」
「その辺りは、スキルの不思議だな。釣りスキルは、レベルが高ければ川で深海魚を釣った者もいるらしいぞ」
そんなバカな。
そう言いたい気分だが、そもそもスキルレベルが違うだけで料理にあれだけの差が出るのだから今さらだろう。
ソフィアが困惑してスズキと見間違えるほど巨大なセイゴを見つめていると、シルヴィアが胸を張る。
「ここ最近はご無沙汰だが、釣りは私の趣味だ。スキルレベルも六だぞ」
「意外と高い!?」
完全にプロだ。
よくよく見ると、釣竿のクオリティも手作りとは思えぬ出来栄えだった。本当にいつから起きて釣りをしていたのだろうか。
眠くはないのかと思ったが、その心配は無用だろう。
シルヴィアの目は眠気など感じさせないほど、キラキラと輝いていたからだ。
「ところで、足の調子はどうですか?」
これだけ元気なのだから要らぬ心配だろうが、念のために尋ねる。
「ああ、一晩寝たから痛みは引いたぞ」
「獣人の治癒能力って凄いですね。人間だと痛みが引くのに数日は掛かりますのに」
人間は、獣人と比べると脆弱な種族だ。
身体能力はもちろん治癒能力も負けている。コンプレックスを抱くつもりはないが、そのことが羨ましく思ってしまう。
「それよりも、そのセイゴをどうするのですか?」
「決まっているだろう、食べるのだ。それと、まだ獲物があるぞ」
シルヴィアの視線の先には、無数のセイゴが転がっていた。
いったい何匹釣ったのか。
呆然としているソフィアの視界に、再び魚影が降って来た。
――また、セイゴ……
シルヴィアの方を見ると、喜々として釣竿を振っている姿が目に入る。
趣味なのは分かったが、いったい誰がこれを食べるのか。そう思ったものの……
――それこそ要らぬ心配ですね
そう思って、ため息を吐く。
「さて、塩焼きにして食べましょうか」
ソフィアは知らない。
傍から見れば、ソフィアもまたシルヴィア同様に目を輝かせて料理を始めた現状に。憐れなのは、スキルによって紛れ込んでしまったセイゴ達だった。
パチパチと火のはじける音が、森の中に響く。
串で刺されたセイゴ。進化した料理スキルの影響で、絶妙な火加減で焦げることなく焼かれて行った。
「ま、まだか……」
セイゴの香ばしい匂いに、我慢の限界なのだろう。
そわそわした様子でシルヴィアが尋ねて来た。
「もうすぐです」
まるで「待て」と言われて待っている犬のよう。
実際は狼なのだが、それは些細なことだ。
おそらく昨日の夕飯が携帯食料だった影響だろうか。それとも、自分で釣った魚だからか。いつにもまして食い意地が張っているように見える。
ソフィアは苦笑しつつ、最後の仕上げに塩を振った。
「完成しました。素材の味をそのまま活かしたセイゴの塩焼きです」
ソフィアが手渡すと、シルヴィアは早速とばかりに食いついた。
いつもながら、見ている方がお腹を空かせてしまう食べ方だ。シルヴィアと言い、ロレッタと言い、二人して本当に美味しそうに食べる。
「う、旨い!」
「っ!?」
シルヴィアの声に、ソフィアは身を竦ませる。
普段であれば、食べることに集中してあまり言葉を発しないからだ。一口目で言葉を上げることに驚いてしまい、シルヴィアの方を見た。
「塩がセイゴの脂に溶けて、信じられないほどの旨みだ。下手に調味料や香辛料を使っていないから余計に素材の味が活かされている」
「あ、ありがとうございます?」
まるでコメンテーターのようなコメント。
シルヴィアの中では、凝った料理よりも塩焼きの方が評価は高そうだ。内心では、複雑な思いを抱きながらもソフィアもセイゴを食べる。
「っ!? 美味しい……」
ソフィアも驚きに目を瞬かせる。
口の中に広がる淡白な身は脂と塩によって極上の旨みを生み出す。シルヴィアの言うように、下手な味付けをするよりもずっと美味しかった。
それに風情もあるからだろう。
沢の近くで行う焼き魚。以前であれば、どこで食べても変わらないと思っていたが、こういう状況で食べると余計に美味しいと思ってしまう。
「……セイゴの刺身も良いな」
と、一心不乱に食べ続けるシルヴィアの呟きはソフィアに届かず水の流れる音に消えて行ってしまった。
「さて、お腹も膨れたことだし、そろそろ移動をするか?」
食後。
全く膨れた様子のないお腹をさすりながら、シルヴィアは立ち上がりソフィアに尋ねる。
「そうですね。アルフォンス様であれば、既に移動していると思いますが、橋の位置まで行けば大まかな方向は分かります」
ソフィアは、シルヴィアの方を見ずに毛布を畳んでマジックポーチに収納する。
「……本当か?」
シルヴィアの怪訝そうな声に、ソフィアは振り返る。
「信用できない」シルヴィアの顔にはそう書かれていたのだ。
「一応この国は私の故郷ですよ!?」
失礼なと声を上げるが、シルヴィアの反応は冷静だった。
「私は、お前が何度も迷子になっている光景を目にしているのだが、これは如何に?」
「うっ」
言われてみれば確かに。
魔国という超国家に驚きのあまり迷ってしまった。それに、子供にシルヴィアの所まで連れて行ってもらったこともあって、当然シルヴィアもそれを知っている。
羞恥心も相まって、反論の余地がなかった。
「まあ、この沢を上って行けば橋の下まで行けるだろう。馬車の痕跡も残っているだろうし、それを辿って行けば追いつけるはずだ。では、行くぞ」
「はい……」
地の利はソフィアにある。
だが、先導するのはシルヴィア。この状況は実に合理的な判断と言えるのだが、ソフィアからすれば情けなくて複雑な思いだった。
「思いのほか、随分と流されたようだな」
しばらく歩いていると、シルヴィアがソフィアに言った。
かれこれ一時間以上歩いているのではないか。ソフィアは魔道具で身体能力を強化しているので、その速度でもまだ橋の方へとたどり着けていない。
「そうですね。先日の大雨の影響もあって、昨日は川の勢いが強かったですから」
「ああ、確かにな。足を挫いただけで済んで良かったよ……うん?」
「どうかしましたか?」
「あれ、じゃないか?」
ソフィアはシルヴィアの指す方向を見る。
魔道具で強化していようとも、獣人より視力は弱い。薄っすらと見えるのは、人工的に作られた歪な橋だった。
「……あれ、でしょうか? 見たところ、随分と変わり果てているようですが」
「……心当たりが一つある」
シルヴィアの表情からして、原因は一つだった。
フェルの仕業だ。
暴れすぎて、禿山になっていたのであればまだわかる。
だが、周囲の環境はより鬱蒼としたジャングルに。石で出来ていたはずの橋は、補修されるように木が生えており木製になっていた。
明らかに人為的な物体を見て、形が変わっても目的地だと分かってしまう。
引きつった笑みを浮かべているソフィアを余所に、シルヴィアは物憂げに「暴れていないと良いのだが」と小さく呟いた。
「取りあえず、あそこまで行くとしよう。あそこまで、跳ぶことはできるか?」
ソフィアは、一瞬何を言われているのか分からなかった。
見える橋までの高さは、優に五十メートルはある。並みの十階建てのビルよりも高いのだ。
「無理です」
負担をかけないように努力しようと思ったが、無理なものは無理だった。
確かに強化された状態であれば、二メートルくらいは跳ぶことができる。誤って足を滑らしたらと考えると、顔色が青くなる。
「なら、私が背負っていくか」
「別の道を探すと言う案は……」
お荷物になりたくないと言う思い。
それと、たとえ背負われていたとしてもこの崖を上りたくないと言う思い。
そんな思いがあっての発言だったが、シルヴィアは取り合う素振りさえも見せなかった。
「時間が惜しい。と言う訳で、しっかりと捕まっておくことだ」
「で、ですよね」
ソフィアは、がっくりと肩を落とす。
だが、これ以上ここで考えていても仕方がないだろう。そう思って、シルヴィアに背負われた。
「重くないですか?」
「問題ない。では、行くぞ」
そう言うと、シルヴィアがソフィアを背負っているとは思えないほどの軽い動きで近くの岩に跳ぶ。
まるで鹿のように足場となる場所を目がけて次々に跳躍を重ねて行った。
「つ、着きましたか……」
しばらくして。
橋の上に着いたシルヴィアの背から降りたソフィアは、檜らしき木に抱き付く。
極力下を見ないようにしたが、どうしても見てしまうのだ。
今思い出しても背筋が凍るような光景に、青ざめた表情をする。
「ああ、というよりもお前の方が疲れていないか?」
へたり込んでしまったソフィアに、シルヴィアが呆れたように言った。
情けないとは思っている。
何せ、シルヴィアはソフィアよりも年下だ。
武門の出ということで男らしい立ち居振る舞いや話し方。年齢以上にしっかりとした姿を見ていれば、姉として尊敬されるのも分かる。
――今度、シルヴィアお姉さまと呼んでみましょうか
嫌そうな表情をするシルヴィアが目に浮かぶ。
確かに年上に姉と呼ばれるのは嫌だろう。
そもそも年上に思われているかは、この際置いておくとして。そのことについては、ソフィアは考えないようにした。
「誰だ!」
ソフィアがそんなことを考えていると、シルヴィアが鋭い声で橋の先へ声を飛ばす。シルヴィアの体から発せられる剣呑な雰囲気にソフィアは自然と姿勢を正し、その方角へと視線を向けた。
「……まさか、本当に生きているとはな。この目で見ても、信じられない」
コン! コン! コン! と音が響く。
鬱蒼と生えた木々が邪魔で顔は良く見えないが、ソフィアはその声に聞き覚えがあった。そして、木々を挟んだすぐ近く。
「ソフィア=アールグレイ、お前を殺す。ゆめゆめ忘れるな」
それだけ言い残すと、その者はまるで最初から存在しなかったかのように消えてしまった。




