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二十五話 完全万欠

「おぁぁぁ!!」

「まずは手を止めさせなければ話になりませんね」


 魔法にかかっているとはいえ、元の知能が高ければ私に物理的な攻撃を加えるのは無駄だと分かるはず。しかし、彼はそれでも延々と地面を叩き続けているのだから、元々知能が高い方ではなかったのだろう。

 もっと利口であってくれれば私が無駄に苦心しなくても済んだというのに、余計な手間をかけさせてくれるものだと、内心ため息をつく。

 とはいえ、優秀であればそれはそれで違う苦労があったのだろうけど。


「《バインド》」


 私が呪文を唱えると、指先から光り輝く縄が現れ、村人に向かって飛んでゆく。彼は突然現れた謎の縄に困惑しているが、ぼんやりとその存在を眺めるだけで、逃げようともしない。知能の低下もここまで極まれば白痴と変わらない。

 縄はそのまま彼の腕に巻き付くと、そのままその長さを伸ばし、全身へと広がっていく。


「うご、ぐ」


 彼はやっと自身が拘束されたことに気づいたようで、行動を制限される不快感から逃れようと必死に全身を動かしている。その度、彼の肉体からなにかが切れる音や、ミシミシと軋むような音がたっている。その挙動一つ一つが、人間の体には余るものなのだろう。今も彼の体内では筋肉や骨が破壊の道を辿っている事は、想像に固くない。


「《サニティ》」


 早急に正気に戻すべきである。私はそう判断した。

 あのように肉体が軋むような状態で正気に戻すとなれば、その際には全身が激痛に見舞われることとなるだろう。だが、それでもその肉体が二度と使い物にならなくなるのに比べたら、どちらが有効な手立てなのかは比べるべくもない。

 しかし、事は私の予想通りには進まない。


「ごが、あ」

「……ふむ」


 彼は正気に戻らなかった。一瞬動きが止まるが、先ほどと同じように光の縄による拘束を受け、それを力技で振りほどこうと限界以上の力を発揮している。


「《バーサーク》ではありませんでしたか」


 《バーサーク》とは、自身に行使し、思考能力と引き換えに、自身の肉体の能力を限界以上に行使することを可能とする闇魔法である。自身の肉体でもって魔を制す。それを本懐とした闇神の使徒が自身に行使する最後の手段として知られている。とはいえ、思考能力を引き替えにするという行為は戦闘時において重大な危機を招くこととなる。

 高い知能を持つものであれば、敵味方を見分けることもできるだろう。しかし、そうでなかった場合はその場はただの血濡れの戦場となるのだ。

 迷宮へと戻ってきた冒険者にかけられていた魔法も、これに該当する。その時には《サニティ》、正気を取り戻させる光魔法をもって解除することが出来たのだが、今回がそうはいかなかったらしい。


「ぐう、がああぁぁぁ!!」


 ガラスが割れるような音を立て、村人を拘束していた光の縄は弾け飛ぶ。本来、一般人が肉体ひとつで解除できるような魔法ではないのだが、何かの魔法にかけられている彼にとっては体のその後を犠牲にすれば解除できるものだったようだ。


「……いけませんね」


 私は御主人様の名づけにより、『全ての魔法の行使』と、『全ての魔法の使用法の理解』を可能としている。私の名を付ける際の原型、ホムンクルスにまつわる逸話が原型となっているようである。この能力は非常に強力であるし、この世にいる魔法使いであればどのような手段をもってしても手に入れたい能力であると言っても、過言ではないだろう。

 しかし、この能力は身に余る。


「さて、一体私はどの魔法を行使すればよいのでしょうか」


 絶対的に、経験が足りないのだ。



―――――



「はぁ?!」

「そればっかりはしょうがないよね」


 迷宮の食堂でモニターを眺めつつ、横に座るライラから漏れる驚愕の声を聞く。どの部分に驚いているのかと聞かれたら全部に驚いているんだろうけど、ライラはその中でも全ての魔法を行使できる部分に食いついてきた。


「ちょっと! 全ての魔法を行使できるってどういうことなのよ!?」

「どうもこうも、火魔法、水魔法、風魔法、土魔法、光魔法、闇魔法――」

「もういい、もういいから」


 僕が記憶を掘り起し、知る限りの魔法をつらつらと並べ立てていると、ライラからストップがかかる。僕自身も全ての魔法を暗記しているわけではないので願ったり叶ったりだ。

 さて、この世界においての魔法使いは通常一つの種類の魔法しか使うことが出来ない。優秀と言われているものでも二種類が限度だし、三種類と言えば歴史に名を残すことになると言われている。精霊であればそれはなおさら顕著で、他の種類の魔法を使うことなどまずあり得ない。自身が魔力で構成されているため、魔法によって変質する魔力に、自身のカラダが影響されてしまうためだと言われている。

 そんな中、クリスさんは全ての魔法を扱うことができる。

 世の人々は彼女を知れば目を離すことは出来ないだろう。

 その希少性に、その価値に、その素晴らしさに。

 まあ、名付けた僕も知ったのはそのあとの話なんだけどね。


「それで、クリス……さんは、あの村人を助けられるわけ?」


 しばし頭痛がしたように渋い顔で眉間を押さえていたライラだが、気を取り直したのか村人の方に話題を移す。しかしながら、僕はその質問に答えることはできない。


「さあ、どうなんだろうね?」

「……あなたが命令したことじゃなかったの?」


 僕はライラの問いかけに、悪びれもせず肩をすくめる。それを見たライラも怪訝そうに顔をしかめるが、僕が予想外の反応を示したことで、若干の疑問を抱いたようだ。

 確かに、僕は彼女たちに村人を助けるように命令した。だが、それも『できる限りで』という条件付きで言い渡したはずだった。僕にとって彼女たちが怪我をすることは望むところではないし、ましてや死ぬ危険性すらはらんでいるような状況を許すはずもない。


「怪我をしない程度に助けるようにいってあるからね。クリスなら出来る出来ないの判断は出来る、無理なら見切りをつけるのは早いと思うよ」


 それに、と僕は付け足すように続ける。


「今の状況は彼女の経験不足が招いている事態だ。僕はその経験不足を補ってあげることはできない。だから、彼女が時間の無駄だと判断したなら、必要以上に彼を助けようとするのを止めるんじゃないかな?」


 ライラは僕の言葉を聞き、絶句している。元々僕があまりにも淡々と人の命を切り捨てようとしていることに驚いているのか。それとも、あまりにも惨い死にかたをしそうな村人の未来を想像しているのか。僕には分からない。けれども。


「あなたから彼女に情報を伝えることはできるの?」


 どちらにしろ、彼女は受け入れる気は無いらしい。



―――――



「ごがあああぁぁぁ!!」

(クリスさん? 聞こえてる?)


 なるべく村人が被害を被らないよう、少しずつ立ち位置を変えて攻撃をいなしていく。彼の魔法を解除しようとも、彼に付与されている魔法が分からなければ、自身の持つ能力も無用の長物だ。一体どうしたものかと頭を悩ませていると、頭の中に御主人様の声が響く。


「聞こえております」

(良かった。初めて使ったから出来なかったらどうしようかと思ったよ)


 御主人様の声が聞こえる理由には覚えがある。我が分身とも言える迷宮の書、その中の機能の中に迷宮内の、それも使い魔とだけの念話を可能とする方法が記載されていた。しかし、それにしてもリソースを消費するはずであり、特に用事がなければ使う必要はない。一体どうされたというのでしょうか。


「何かございましたか?」

(目の前の彼――君が今相対してる村人にかけられている魔法に、ライラが心当たりがあるみたいだから、それを伝えようと思ってね)


 御主人様の言葉を聞いた私に、目眩が襲いかかる。

 迷宮内で御主人様を害そうとする意思を見せていた危険人物、ライラが御主人様と共に私達の様子を観察していることに。彼女に私の欠点が知られてしまったことに。そしてなにより、御主人様の手を煩わせてしまった事が、重い自責の念を背負わせる。


「……御主人様の指示を遂行できず、申し訳ありません」

(別に気にしなくていいよ。元よりクリスさんの能力については理解してる。それを踏まえてクリスさんにその仕事を頼んだんだから、その件については僕の責任だよ)


 御主人様は、自身の出した指示に関して私達を咎めない。例え私達の能力が足りず、御主人様に迷惑をかけてしまったとしても、御主人様は君達に対する理解が足りなかったのだと、決して私達の謝罪を受け取っていただけない。


(さて、その前に一つのやることがあるから、そちらに連絡を済ませてからもう一度念話を繋げるね。クリスさんはさっきと同じように彼に負担がかかりすぎないようにしていて)

「畏まりました」


 私は動きを止めず、彼の攻撃を受け流す。先程までは場繋ぎ的であったが、御主人様からの命となれば話は違う。

 無傷で助けなければならず、精神が汚染されているとなればやりようはある。

 御主人様と、危険人物には聞き取れない程度の声音で呟く。


「安心してそのカラダを壊してください。私が、いくらでも直して差し上げます」




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