二十四話 フラスコの中の小人
ホムンクルスというものをご存知だろうか。
ホムンクルスとは、錬金術師が作り出す人造人間とその技術の事を指す。
古代の現存した錬金術師パラケルススという方が作ったものが始まりで、その終わりでもある。というのも、彼は自身の著書の中でホムンクルスの精製方法を記したのにもかかわらず、彼より後の人物は誰一人としてホムンクルスを作り上げることはできなかったからだ。
とはいえ、逆を言えば彼自身はホムンクルスの精製に成功したこととなる。そして、彼はホムンクルスの事について詳細も記載していた。
一つ、ホムンクルスは透明で、ヒトの形をした物質ではなかったものであり、それを成長させるとヒトよりもずっと小さな体躯を持つ人間が出来上がるという。
二つ、ホムンクルスは生まれながらにしてあらゆる知識を身に着けている。
三つ、ホムンクルスはフラスコの中でしか生きていくことができない。
正直、僕はこのホムンクルスが実在していたかと聞かれれば、疑わしいと答えるだろう。彼以降の人物が誰一人としてホムンクルスの精製に失敗したと言うのが個人的な根拠として存在する。
まあ、彼の使っていたフラスコが特別性であったとかいう説もあった気がするんだけど、まあそこはどうでもいいだろう。
さて、僕がどうしてこんなことを突然言い出したのか。
それは、クリスさんの事に深い関係があるからだ。
クリスさんは、迷宮の書と深くつながっている精霊に似た種族である、とは本人の言だ。
迷宮の外に出ることはできないし、その体全てが魔力で構成されているため、魔力が一切存在しない場所に行けば、その体から魔力が流出し続けて死ぬことになる。逆に、迷宮の中ならば体を魔力のもやに溶かし、好きな場所に移動することができる。
僕は、そんな彼女にフラスコの中の小人をもじって、クリスと名付けた。
僕の前、空中には半透明のディスプレイが浮かび上がっており、クリスは村のいたるところを飛び回りながら治療を繰り返していく。これは村の中を迷宮化したことによって使えるようになったクリスの能力でもある。
けれど、その中に回復魔法の知識や、その使用方法などは含まれていない。ならば、彼女は自分で回復魔法を習得したのだろうか?
「あり、えない」
答えはノーだ。
「なんで、光魔法の、それも中位以上の魔法ばかり使えるの……?」
ライラの困惑は当然だ。通常、魔法を短期間で覚える事はできない。ましてや高い水準の魔法を習得することなど不可能だ。
では、彼女はなぜ中位という高いレベルの魔法を使えるのか。
僕は迷宮の書を撫で、そっとページをめくる。
『別世界の俺に宛てる。
君は今、訳の分からない状況に困惑しているだろう。平穏無事に暮らしていたのに、恋が叶わなくて、世の中に匙を投げていても、それでもささやかな幸せは感じられていたのに。
どうして僕は死にそうな思いをしなければならないのだろう。どうして自身を殺そうとしたものと一緒にいなければならないのだろう。どうして知りもしない人達から命を狙われなければならないのだろう』
僕は唇を噛む。きっと、今の表情とこの身を焦がす怒りは、誰にも語る事はできないだろう。
『――その状況は、俺達が作り出した』
このページを見つけてから、何度も何度も読み返した。悔しさで、怒りで、悲しみで、言いようもない感情で。
『君は俺達を恨むだろう。意味の分からない現状に怒るだろう。指標のない人生に悲しむだろう。
だから、チャンスを与えよう』
身体中を巡る血液と、魔力がたぎる。既に人のものとはほど遠くなってしまった体ではあるが、それでも自分は人間だと主張する。
『魔王を、使い魔とせよ。それだけの能力は与えてある』
僕の一つめの能力は『名付けたものにモチーフとなった能力を与える』事だ。
―――――
「御主人様、約五十名。村人全員の救護が完了いたしました」
村の家屋に炎が燃え移る中、迷宮から見ているのであろう御主人様に向けて言葉を送る。通信の都合上返信は無い。だが、私はあらかじめご主人様が決めて下さった行動をするだけでいい。
周囲を観察してみれば、御主人様が仰っていたという闇神の侍祭はどこにも見受けられない。どうやら、私の魔法を目にしてそのまま逃げ去ったようだ。
「……まあ、いいでしょう」
御主人様は彼の事を許されざるものだと仰っていましたが、逃げた場合は無理に追う必要もないとも仰っていました。であるとすれば、私はご主人様の指示通りに、森への延焼を食い止める方が優先されるべきでしょう。
「次の行動、延焼の食い止めにかかります」
私が助けた村人が、私の言葉を聞いて呆然とこちらを仰ぎ見ている。その瞳に色は無く、未だに起こっている現実が理解できていないようだ。
このまま炎を放置すれば、じきに火の手は広まり、隣接している森を焦土へと変えていくであろう。そうなれば、いずれ御主人様の迷宮を丸裸にすることになる。
真の守りは迷宮にある。とはいえ、御主人様の居城を敵前に晒すなど、許されることではない。
御主人様は仰らなかったが、迷宮の備えは無限ではない。延々と迷宮を攻め続けられれば、いずれ御主人様に刃が届くやもしれない。
「《クラック》」
私の言葉と共に、村周辺の地面が隆起する。村の周囲に広がっていたはずの森は、根元の大地を崩されたことでその存在を失っていく。
本来、土魔法の低級呪文であるクラックにこれほどの効果は存在しない。小さく落とし穴を作るのが関の山だろう。だが、我が身は迷宮内全ての魔力と直接繋がっている。
その為、本来人間が成し得ないような規模で魔法を発現させることができる。そして、御主人様が与えてくれたこの能力が、最小限の魔力で最大の効果を発揮することを可能とする。
私は自身の胸をそっと撫でる。精霊に近いこの体に温もりはない。だが、御主人様が名前を与えてくれた。そのたった一つの事実が、私の体を熱くさせる。
倒れた樹木は全て村の方へと倒れこむ。仮に木に火がついたとしても、森へ延焼することは無いだろう。
とはいえ、この方角だけでは少々心もとない。そうであれば、私は次の地点に向かい、周囲への延焼を食い止めるようにすべきでしょう。
手早く次の地点へ移動しようとした時、足元に這いずってきた人間が地面に頭をこすり付けながら、私に懇願する。
「て、天使様、村を、村をお助け下さい……」
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。全く、人間とは危機に陥った時、こうも自身の事情しか考えられなくなるものなのか。
それとも、私達も同じで、同じような境遇にならなければこの気持ちは理解できないのだろうか?
「《スリープ》」
村人は私の魔法に抗うことができず、そのまま深い眠りにつく。安眠にはほど遠いが、混乱して余計なことをするのに比べれば、ずっとマシだろう。
彼らと、私達が同じか否か。そんなことはこの場において些事である。その事を今この場で理解することはできないのだから、考えるだけ無駄というものだ。
「あとは御主人様が良いように取り計らってくださいます。あなた達が心配する必要はありません」
私は既に意識のない村人にそう告げた。
私は一時的に迷宮の一部となった村に体を溶かし、次の地点へと向かう。
――はずだった。
「ま、魔物め。村を、村をこんなにしやがって……!」
私が眠らせたはずの村人は起き上がり、迷宮へと帰ってきた冒険者のように目を血走らせている。この男性に対し、まともな会話ができるかと問われれば、間違いなく無理だろう。
「なるほど、素直に逃げたのはこれが理由ですか」
しかし、私の記憶する限りでは、闇神の使徒は魔法や自己強化、鍛練などで得た自らの力で魔物を制するものだったはず。決して、他人を騙して自身の手駒とするものではなかったはずだ。
「この様子では、本懐すら見失っているのですね」
一体何が本人をここまで駆り立てるのか、私には理解出来ない。このご時勢、一般人を狂人に仕立てあげる要素は正しく掃いて捨てるほどある。一つ一つ可能性を上げていったとしても、正解にたどり着くことはできないだろう。
そもそも私は御主人様の使い魔なのだから、それを気に留める必要があるかと問われれば、疑問を覚えざるを得ないのだけれど。
さて、目の前の村人は手近にあった角材を持ち、剣を構えるように握りこむ。私としては、魔力の塊であり、半物質である体に傷がつくことはないし、それによって怪我を負い、御主人様を心配させることもない。しかし……。
「うおおおぁぁぁ!!」
目の前の男性は獣のように声をあげ、半物質の私に当たりもしない角材を振り続ける。当然ながらその全てはかすりもせず、地面を叩き続けている。角材は保護されているわけでもない。
角材を掴んでいる手には、真新しい血がにじみ始めていた。
「……はぁ」
私が彼を無視してこの場から消えたとして、言葉すら解さない彼は、私が消え去ったことが理解できないだろう。そうなれば、彼は私がこの場から消え失せたとしても、魔法の効果が切れるまで延々と地面を殴打し続けることになるだろう。
死ぬことは無い。しかし、間違いなく無事に済むことは無い。人間が必要以上の性能で繰り出す一撃は、既に地面を深い穴へと変えようとしていた。
「……御主人様に感謝することですね」
私は迷宮から魔力を引きだした。
まずは、彼を拘束してから具体的な方法を試していくことにしましょう。ご主人様の命とあらば。




