二十三話 恩義
「みんなはここで待っていてほしいの。合図をしたら、予定通り進めてほしいの!」
ラシールがそう言うと、周囲の木々、レントがきしむような音を立て、土から顔を出すノーム達が返事をする。私にはレント達がなんと言っているのかは分からないが、ラシールにはなんといっているのか理解できるらしい。
これも、彼女がドリアードという種族であるが故の特典だと、ご主人様は言っていた。他にも、彼女と世界樹である迷宮との生命力の共有だとか、そのようなことをご主人様は語っていた。私には余り多くのことは理解できなかったが、その憶測はそれほど間違ったものではなかったようで、クリスさんとライラの三人で、小難しい話をしていた。
ライラには、彼らが戻っている事を話していない。頭のいい彼女の事だから、そろそろ帰ってくる時期だと気づくのかもしれないが、少なくとも今はまだその素振りは見られない。
彼女は、私達の中に実に馴染んでいる。迷宮に幽閉されてまだ十日程度しかたっていないが、それでも表面上は、問題行動等は見せていないし、むしろ手のかからない便利な人質だった。ご主人様にお教えするための教材も、順調に進んでいるようだし、私としては言うことはない。
「それじゃあ、次のポイントに行きましょう?」
「なの!」
私達はご主人様が指示したポイントへ向かい、彼らと交渉を繰り返す。手には迷宮の外部にあたる地帯と、ラシールとの協力の下製作された迷宮周辺の地図があった。
便利だと、私は心の中で思う。私の持つ地図には、この辺りに生息している魔物の生息域と、ご主人様とクリスが列挙した使えそうなものの存在するポイントが記載されている。ご主人様から言わせれば、まだまだ精度が悪いとのことだが、他と比べれば十分すぎるほどだ。この地図には、薬師たちが知らないポイントや、彼らが知らない治療薬の原料が記載されているのだから。
これさえあれば、薬草の採取できるポイントが分かり、そこから作られる治療薬の量が増える。都心部で販売される割高な治療薬は、貧しい人々には入手することのできない物だ。
その原料である薬草の採取量が増えれば、その分治療薬は安くなることだろう。それだけで、助かる人間は数えきれないほど増える。人間であった頃なら、これを迷宮の外に持ち出せないことを残念に思うだろう。
けれど、今は違う。私の全てはご主人様のもの。体の一滴も、核の一欠けらも、この混ざりものの魂さえも、ご主人様の為にある。
この地図は、人間を助けるだろう。しかし、それはご主人様の身を危険にさらす可能性が上がることを意味している。そんなことはあってはいけない。人間の勝手な都合で、ご主人様を殺させはしない。
「シェリー、どうしたの? 怖い顔してるの」
考え事にふけっていると、ラシールに声を掛けられる。指先に目を作って見てみれば、私の顔は緊張してこわばっていた。これは、ご主人様が褒めてくれた形とは違う。すぐさまいつもの顔に戻す。
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしてたの」
「別にいいの。それより、他の子たちともお話しに行くの!」
ラシールはそう言うと、いち早く駆け出して行った。私にはない快活さが、少しだけうらやましい。ご主人様も、あの明るさを好ましく思っているようだし。
「どうすればもっとご主人様に愛してもらえるのかなぁ」
頭の中をピンク色に染めながら、愛しいご主人様に与えられた仕事をこなしていく。
―――――
「それじゃあ、村を助けに行こうか」
「いやいや、ちょっと待ちなさいよ!?」
ヴァルハラの食堂。ここにいるのは僕とライラの二人だ。他の三人には、今は仕事を頼んでいる。割と重要な用事で、僕としても今後の活動を左右するだけに万全を期す目的でライラと僕以外の全員を出払わせている。
ちなみに、ライラには事実を曲げて彼らが戻ってきた事を告げてある。その中に、どうしても伝えなければいけない要件として村の件も入っている。その為、今日は一日中僕に付きまとい、そわそわと落ち着かない様子でいる。
そして、ついさっきまで夕食を口にしていたわけだ。だが、僕が村を助けると口にしたとたん、ライラが慌てた様子で椅子を蹴る。
何か慌てることでもあったのだろうか。
「どうかしたの?」
「どうかしたのって……あなた、行ったら死ぬわよ?」
ライラは何ともなさそうな様子の僕を睨み付け、厳しい表情で僕の未来を予想する。
まあ、確かに普通に考えればその通りだ。僕に戦う力は無いし、だからといって逃げ回れるほど機敏な移動力があるわけでもない。それに関しては、この迷宮にしばらく滞在していたライラもよく分かっているだろう。
手の内をばらさずにと言うのも、諦めたことだし。だって、特に訓練をしている訳でもない一般人が一日中気を張って生活するなんて、出来る訳ないじゃん?
さて、特に戦闘力を持たない足手まといの僕が村を救うなどとのたまっている訳だが、これはどうするべきなんだろうか。素直に諦めるか? だって戦闘力がないのだから。
では、迷宮主としての能力を使ったらどうだろう?
「大丈夫だよ、僕は死なないから」
僕はそう言って、迷宮の書を開く。机の上に本を置き、魔法陣の一つを指で叩く。
「ところで、ライラは迷宮にどんな機能があるか知ってる?」
「知らないわ」
ライラは怪訝な顔をしてそう返す。僕たちが会話をする間にも、迷宮の書がほのかに光を帯びる。魔法陣は迷宮内の魔力を吸収して浮かび上がり、迷宮の影響範囲を映し出した。
今はまだ、世界樹の幹とその周辺程度しか映っていない。だが、世界樹は今も成長を続けているようで、根などは既に見切れるほど広い範囲にまで成長していた。
「まあ、効果にも色々あるんだけど、どれもコスト……必要になるものが馬鹿にならなくてね。運営していくのもなかなか難しいのさ」
「ねぇ、私は迷宮の事を聞きたいんじゃなくて」
「その中に、迷宮の拡張がある。まあ、一時的なもので、費用対効果も見合わないようなものなんだけどね」
僕の言葉を聞いて、ライラの顔が瞬時にこわばる。どうやら、僕がこれからやろうとしていることを理解したようだ。期待感と表情の変化に、僕の口も自然と笑みを浮かべる。
「あなた、まさか」
彼女はこらえきれない笑みを浮かべている。僕は迷宮の書が投影した世界樹の根に触れる。指先に魔力が集まり、体内から魔力が濁流のように流れ出ていく。
「さあ、準備はできた」
一宿一飯の恩を返そうじゃないか。
―――――
俺たちは緊張していた。村に駐在する闇神の侍祭様、ティーダ侍祭が先日追い払ってくださった盗賊どもが、近い日の夜のうちにまたやってくるかもしれないからだ。村の一軒の家屋に火が放たれ、全焼した。幸いにも、どこの民家も住めないほどの損害は無かった。大工はあちらこちらと忙しそうであったが、予定外の収入が入って懐が温かくなることだろう。
あの日の混乱の際、村長の娘、アリシアちゃんとそれを助けてくれた旅人の少年が行方知れずとなってしまった。村長とその奥さんの悲しみ様は尋常ではなく、奥さんの方など寝込んでしまっているほどだ。俺も、帰ってきた娘がその日の内にまた行方不明など、身の毛がよだつ思いだ。
夜の雰囲気と言うのは人を感傷に浸らせる。普段は体を動かすばかりの俺がこんなことを考えているのだから、あながち馬鹿にならないものだ。そんな時、ティーダ侍祭がやってきた。
「どうも皆様、お疲れ様です。お変わりはありませんか?」
侍祭は夜の帳の中、霧の中から現れた。こんな緊急の時で朝から動き通しであろうというのに、普段と変わらぬ笑顔で俺たちにも微笑みかけてくれる。
「侍祭様こそ、お疲れ様です。今のところは問題ありませんね」
「そうですか、それは何よりです。ところで……」
ティーダ侍祭は何かを伝えようとしたのか、俺に体を近づける。別段周囲に人がいる訳でもない。怪訝に思いながらも、俺もティーダ侍祭に体を寄せる。
腹に焼けるような熱を感じたのは、その時だ。
「侍、祭……?」
侍祭の着ているローブの袖から淡い光が漏れている。腹から刃物が水音を立てて抜け出す音がし、バチャバチャと液体が足元に零れ落ちる。
「いやぁ、申し訳ない。神の敵を殺すのに、私では実力が及ばないのです」
侍祭は、そう言いながらとても楽しそうな表情を浮かべている。口角は限界まで吊り上がり、その目はどこか中空をさまよっている。俺を見ているようで見ていない。
「狂って、る」
「ですが、気になさらないでください。この村たった一つで、魔物を操る脅威から世界を救うことができるのです!」
知らせ、なくては。だが、体が、動かない。体から血が抜け、目がかすむ。寒気が全身を襲う。
「誰か……」
「《トリート》」
どこからか、声が聞こえた。鈴の音の様に清らかで、凛とした声だった。
熱が収まっていく。流れでていたはずの血は止まり、目のかすみが無くなっていく。
すっきりとした頭と、その視界は半透明の美しい女性をとらえていた。
「私としましては助ける必要はないと思うのですが、御主人様は全員助けよとのご命令ですので」
彼女はいかにも不本意であると表情で語り、俺にそう告げた。その姿は、まさしく。
「天使……」
彼女は呆れたようにため息をつき、深々と息をつく。困り顔で自分の髪を梳くと、そのまま何かを口にした。生憎、聞き取ることはできなかったが。
「……もう、それで構いませんよ」




