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十八話 葱を背負ってきた鴨

「ラシール!」

「なのぉ……?」


 光が晴れると、僕たちの目の前に眠たげな表情のラシールがいた。口元から涎を垂らし、寝起きのせいか船を漕いでいる。


「なんでこんなところに?!」

「お布団よりもぉ……森の中の方がぁ……寝心地が良いのぉ」


 全く持って頭が痛い。今すぐにお説教をしたいところだが、今はそんな余裕はない。


「クリス!」

「侵入者が異常に気付いて進行速度を上げました。……接敵します」


 クリスとシェリーが森の中を睨む。無情にも制限時間の終了合図が告げられた時には、冒険者たちが僕たちの前に姿を現していた。



―――――



「――ス!」

「――――。……接敵します」


 蒸し暑く、ストレスがたまる森の中。どういうわけかゴブリンの軍勢が数を減らしていった。やっとの思いでゴブリン達を壊滅させ、森の中を進攻していれば、どこからともなく声を耳にする。

 レニィはその声にいち早く気づいていたようで、私達は森の中を進むペースを速めていた。そして、その声は私の耳にも届くほど近くになっている。

 グレンが森をかき分け、私達の前には広場ともいえそうな空間が出来ていた。見てみる限り、グレンが斬り落としたわけではなく、元々会った空間だったのだろう。そこに、数人の人間らしき者たちが立っていた。


「やあ、こんにちは。ここまでお疲れさまだったね」


 私達にそう声を掛けたのは、真っ黒な軍服のようなものに身を包んだ、そう歳の離れていない少年だ。

 目は細められ、愛嬌のある、人が好きそうな笑顔を浮かべている。背丈もそう高くない……というより、いっそ女の子と変わらないといった方が正しいだろう。体も華奢だ。畑仕事や重い荷物を運ぶようなことは出来なさそうだ。

 彼が座っているのは、ゼリー状のクッションのようなものだった。しかし、その大きさは一般的なソファーなどとはほど遠く、国王が座す玉座のような大きさで、複雑な意匠が施されている。

 そんな子が、こんな危険極まりない迷宮の中で私達を出迎えた。

 その異常な光景に、全身が鳥肌を立てる。


「そんなに緊張しないでもらえるかな? って言っても、無理な相談だとは思うけど」

「ご主人様、彼らは冒険者です。異常な事態には武力をもって制す。そんなにのんびりしてちゃダメですよ」

「いいからいいから」


 彼に声を掛けたのは、儚げな印象を覚える少女だ。白いワンピースを着ていて、艶のある栗色の髪を伸ばしている。同性だって躊躇いもなく可愛いと言い切るその容姿は、羨望すら覚えるだろう。

 道を歩いていれば、十人中九人は振り返るであろうそんな少女も、まともではなかった。

 地面に付きそうなほど伸ばしている髪。その先端部分は透き通るような空の色をしており、ゼリー状に地面に水たまりを作っていた。よく見てみれば、そのゼリーの部分は更に伸び、少年が座るゼリー状のクッションにつながっている。


「すら……いむ……?」


 レニィが疑問に満ちた声を漏らす。魔物に関する知識がある私であっても、あれがなんなのか判別は着かなかった。しかし、レニィの斥候としての勘が、彼女をスライムだと訴えていたようだ。

 レニィのつぶやきを聞いた少女は、宝石のような瞳で私達の事を見据え、穏やかな声で言葉を返す。


「確かに私はスライムではあります。けど、私にはシェリー・ガストという名前があるんです。次からはそう呼んでくださいね」

「おい、待てよ。魔物に名前だと?」


 グレンがシェリーという少女を睨みつける。その手に持つ大剣は、未だ固く握られており、いつでも戦闘を開始できると訴えていた。


「私達は皆、御主人様によって名を与えられた特別な存在です。野原にいるような有象無象と一括りにしないで頂きたいものです」


 グレンの疑問ともいえぬ言葉に返事を返したのは、半透明の女性だった。その身から発せられる魔力。私はその感覚に覚えがあった。


「精霊……」

「その通りでございます」

「ラシールも! ラシールも精霊なの! ドリアードだけどこの樹の精霊なの!」

「こら、ラシールは余計な事言わない」


 私の予想は間違っていなかった。魔力という純粋な力が集まり、その姿を視認できるほどに高密度になり、更にそこから自我というものを確立した、人間などが到底及ばない存在、精霊。そんな彼女が、中央に座す彼の事を、主人と言っている。

 横で飛び跳ねている彼女にしてもそうだ。ドリアードという存在は、精霊でありながらかなり下位の存在として扱われる。樹木と一蓮托生に生きる精霊たちは、その樹木の影響か、それほど強大になれないというのが学説だ。しかし、もしもラシールという少女の言うことが本当だとしたらどうだろう。

 これほど巨大な迷宮、そして不可思議な樹木。それのドリアードということは、それ相応の力をもっているということになる。


「嘘……ですよね……」


 レミリーが震える唇で必死に現実を否定しようとする。普段から色白な彼女の肌は、青白いのを通り越して土気色になっていた。

 その必死の否定を見た彼が、ニッコリと天使のような笑顔を浮かべる。


「全てが事実だよ」


 そして、事実上の死刑宣告を下した。



―――――



 正直に言おう。僕はビビっていた。

 仕方ないじゃないか! 目の前には、ちょっと刺されば僕の事を殺せる短剣を持っている上に、滅茶苦茶素早いレニィとかいう女の子がいるし、今にも斬りかかろうという意思を見せている大剣使いのグレン。

 一分にも満たない間に、僕の事を千切りにすることができる魔法を放つライラ。

 そんな人たちが今も僕への攻撃を止める気配もなく、僕の目の前に立っているのだ。足が震えていないだけでも褒めてほしいくらいだ。

 しかし、彼女たちがここまで怯えるのは嬉しい誤算だった。僕が思っている以上に、僕の使い魔たちは強力な存在らしい。

 恐怖に震える彼女たちがその事実を如実に表している。そんな彼女たちの心情を利用して、尊大に、余裕をもって、しかし恐怖を煽るように会話を続ける。


「さて、さっきまでは随分と苦労していたようだね」


 僕が言葉を発すると、その度に彼らはビクビクと震える。分かりやすいくらいに震えてくれるお陰で、僕としてもさほど緊張せずに言葉を続けることができる。


「ダメだよ。ただのゴブリン程度にあんなに苦戦していてはさ」


 自分が優位な立場と分かると、舌が回ること。サドい性格だと言うべきか、それとも小物のようだと例えればいいのか。知りたくなかった自分のことが知れて悲しい限りだ。


「さて、君たちをどうしたものかな」


 僕がそういうと、彼らの間に張り詰めた空気が漂う。

 無理もない。今の彼らにとって僕は絶対的強者なのだから。事実は別として。


「正直なところ、君たちの扱いには困っているんだよ。君たちは僕の迷宮に損害を与えたわけでもないし、僕としても他にやることがあるからね」


 どちらも事実だ。彼らが探索した結果として、迷宮が被害を被った部分などほとんど存在しない。僕としても、そろそろこの世界を満喫したいところだ。

 だとすれば、彼らはそのまま放り出すのが良いだろう。邪魔者は排除できるし、さっきの論理とも矛盾しない。うん、僕の中でも結論は出ているし、先ほどまでの意見と変わらない。

 しかし、面白くない。というか、それでは次の手に繋がらないのだ。

 僕とシェリーの都合上、近くの村に帰ることが出来ない。そのため、少し遠い場所に行かなければこの世界の情勢は分からない。だが、僕たちにはその手段が存在しない。

 世界情勢と言うのはとても大事な情報だ。この先を見据えていくためにも、今の安全を確認するためにも。けれど、僕達全員は、すでに動けないところに居を構えてしまっている。

 ましてや、クリスさんやラシールはそれぞれ迷宮と樹の精霊という特性もあり、この周囲から出掛けていくことすら出来ない。力がつけば話は違うらしいが。

 つまり、今の僕達には小間使いとなる人物、それもそこそこ実力があって迷宮に出入りしても怪しまれない人材でなくてはならない。それらの条件を満たす人物がいるとしたら。


「ひっ……」


 彼ら以外にいないだろう。

 僕は彼らのことを観察する。

 さて、どの娘にするべきか。あ、男は論外で。


「うん、君がいいかな」


 僕はシェリーのソファーから立ち上がり、レニィの前までゆっくりと歩み寄る。

 歩み寄ろうとした、が正しいんだけどね。


「レニィ!」


 僕がレニィの数歩前まで来た瞬間。怯えるレニィの事を見守っていたグレンが僕に向かって大剣を振りかざす。


「何、してるの?」

「ご主人様!」


 バキバキという枝が折れる音と、ジュワジュワという溶解音が背後から聞こえる。

 僕は足を止めることはせずに、そのまま数歩の距離を詰めた。目の前には、絶望に彩られた瞳を浮かべる少女が一人。


「あー、シェリー」

「どうかしましたか?」


 重い液体が地面を滑る音と共に、シェリーが僕の隣に立つ。スライムから戻ったばかりのせいか、色のつき方が人間よりも曖昧だ。


「契約するから、交換の仲裁をお願い」

「喜んでお受けいたします」


 僕が喋っている間に、完全に人間の形になったようだ。シェリーの表情は敵と相対していた時とうって変わって、宝石をみるようにキラキラと輝いている。


「あと、猫ババは禁止ね」


 シェリーの表情が凍りついた。


「契約に必要なものを猫ババしてどうするのさ。あとでちゃんとしたのをあげるよ」

「……ご主人様は意地悪です」


 聞こえているのを無視してシェリーに目配せをする。

 シェリーは諦めの表情でため息をつきながら、指先をレニィの口のなかに突っ込む。


「ふぇ……」

「口を閉じたりしたら頭の中をぐちゃぐちゃにかき回してジュースにしますから、そのつもりでいてください」


 レニィは涙を流しながら、小さく首を降り、必死で肯定の意を示す。それを満足げに眺めたシェリーは、恍惚とした表情で僕の方を向く。


「さ、さぁ。ご主人様もお口を開けてください。大丈夫です。不快感は抱かせませんから!」


 ……シェリーはもう少し欲望を押さえられるようになった方がいい。そうでないと、今みたいに威厳が無くなる。

 涙目で必死なレニィと、変態じみた笑顔を浮かべているシェリー以外がドン引きの表情を浮かべているのは想像に難くないだろう。


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