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十六話 世界樹のダンジョン(一階)

「あー、やっぱり魔法は便利だねぇ」

「今のは三レベルの風魔法、《ウィルバーン》です。周囲の大気を圧縮して、正面方向に打ち出します。見えない上に実際の射程は長くて、正面の一体だけでなくてその後ろ側にも効果を及ぼすんですよ?」

「へぇー」


 僕たちは迷宮主の間の玉座と、その周囲に集まっている。迷宮の書からモニターのようなものが空中に投影され、それで侵入者の様子を眺めているのだ。魔法や侵入者――いわゆる冒険者――の行動については、シェリーが解説を名乗り出てくれた。


「御主人様、あの者たちを通してよろしかったのですか?」

「うん、いいのいいの」


 あの場所。世界樹の周囲には墓場を用意した。一般人が無暗に近づかない様に警告の意味合いもあるし、これから危ない地域にしてあるぞという意思表示でもある。それで引き返すのならば、僕としては構わない。僕の身の危険が減る事だしね。

 しかし、挑むという場合。あそこは既に罠を設けてある。あそこの十字架。あれが既に意識の中に刷り込まれた罠だ。

 この世界では、墓場の魔力というものはとても澱んでいるらしい。それが具体的にどのような雰囲気なのかは知らないが、そういった魔力を使ってアンデッドと呼ばれる系列の魔物が発生する。

 だが、あそこの魔力は非常に澄んでいる。精霊が二体もいるし、世界樹の魔力を循環させる機能があれば当然のことだ。そうとなれば、あそこはただのこけおどしに見えるだろう。

 甘い。それはとても甘い考えだ。

 そんな甘い考えを抱いているところに、クレイマンは奇襲をかける。

 クレイマンは弱い魔物だ。個体の能力もそれほど高くないし、それほど経験を積んでいない者でも倒すことができるだろう。

 しかし、それを何十体と相手にするのは非常に骨だ。これから迷宮に挑もうというのに、消耗を分かっていていちいち相手にする者はいない。それなりに迷宮に慣れたものでも、突然奇襲を受ければ慌ててきちんとした対策も立てられない。だから、迷宮に誘い込まれていることに気が付かない。

 まあ、あれに負けてしまうようだったらそれまでってことで、安らかに墓の主になってもらうところなんだけど。


「ご主人様! あいつらが中に入ってくるの!」

「ん、そっか。それじゃあ」


 お手並み拝見といこう。



―――――



「はぁ、はぁ……」

「危なかったー」


 クレイマン達に追われたせいで、全力で数分間走る羽目になった。これから迷宮に入っていこうというのに、いきなり体力を消耗することになってしまった。今思えば、これも迷宮を作った者の策略なのかもしれない。私は一層気を引き締め、周囲の警戒に当たる事にする。


「しかし、なんなんだこの迷宮は……」


 グレンがため息をつくのも無理はない。私達はクレイマンから逃げるため、大木の根元にあった洞窟のような隙間へと逃げ込んだ。


「なんで木の中に空なんてあるのかしらねー?」


 だというのに、上を見上げればそこには空がある。昼間の様に明るくはないが、それでも黄昏時ていどの明るさは保っている。雲一つない夕方を想像してもらえれば間違いはないだろう。


「レニィ、何か見える?」

「いーや、全然。天井どころか雲一つ見えやしないよ」


 斥候であるレニィの視力は良い。それに、《ブースト》で身体能力を強化してあるのだ。一キロ先の羽虫を見つけられるような視力の持ち主が、天井を見逃すはずはない。だとしたら、ここは外なのだろうか?


「なんにせよ、こんな所でウダウダしててもやってらんねぇよ。辺りを探索してみようぜ」

「そうね」


 私達は間違いなく迷宮に入ったのだ。だとしたら、こんなところでのんびりしている訳にはいかない。さっきの様な罠が無いとも限らないし、周囲の警戒は怠れない。

 周囲は見渡す限りの森林地帯。さっき森林を抜けてここまでやってきたのに、再度森林を探索しなければいけないとは、確実にこちらの心を折りに来ている。この迷宮の製作者は実に嫌らしい奴のようだ。

 そのうえ、この森林は蒸し暑い。湿度も高く、太陽が照っているわけでもないのに温度も高い。流れる汗が、私たちの精神の磨耗を象徴しているようだった。


「……あった」


 レニィがぼそりと呟く。その目は獣のように鋭くなっており、いつの間にか探知の体勢に入っていたようだ。


「なにか見つけた?」

「獣道……みたいなもの」

「みたいな?」


 レニィの不確実な返答に疑問を覚える。ただの獣道であれば、レニィがみたいなものなどと言うはずもない。何か変わった要素があるに違いなかった。


「大分植物におおわれててさ。長い間誰も通って無いみたいなヤツ」

「おいおい、ここは迷宮の中だぞ。迷宮主の仕掛けに違いねぇよ」


 グランの言う通りだ。ここは出来たばかりの迷宮。長年人が通っていない獣道なんてあるはずがない。

 私達が顔をしかめていると、エミリーの声がする。なにか見つけたのだろうか。


「みんなー、道を見つけたよー」

「お、ほんとか」


 私達は三人揃ってエミリーの元まで移動する。


「これよこれー。葉で隠れていたみたいなのよー」


 エミリーの言う先には、草が潰れ、若干草が剥げていたり、枝が折れたりしている道がある。これは間違いなく獣道だ。誰かが通っていた形跡がある。


「お、ナイスだエミリー」

「うふふ」


 エミリーは嬉しそうに顔をほころばせる。しかし、その一方でレニィの表情は晴れなかった。苦虫を噛み潰したような表情のまま、爪を噛んでいる。

 レニィは深くものを考えるときの癖で、爪を噛む事がある。甘噛み程度のようだから、私としてはとやかく言ったことはない。しかし、レニィはそれほどまでに何かを考えているらしい。


「レニィ、見るだけでも見に行く?」

「……ごめん」


 いや、レニィは悪くない。迷宮探索において、わずかな違和感が身を助ける事は良くある。今回は斥候としてそれなりに実力のあるレニィが言うのだから、私個人は無下にしたくない。


「おいおい、まだ残るってのか? 探索だったらどっちが先でもいいんだし、こっちの道を先にしようぜ」

「それは……そうだけど……」


 グランはめんどくさそうに言った。仕方無い。さっきまでは普通通りだったのに、いきなり蒸し暑い森の中に放り込まれたのだから。


「グラン、レニィは斥候よ。いつも私たちに確実な道を示してくれるじゃない」

「……まあな」

「今回は騙されたと思って、ね?」


 グランは数秒間黙り混む。そして、大きく息を吐き出すと、晴れやかな声をあげる。


「仕方ねぇな。たまには付き合ってやるよ」

「グランは優しいわねー」


 エミリーは笑顔を深め、グランの頭を撫でながら偉い偉いと言う。

 グランは恥ずかしそうにエミリーの手を払うと、一人でずかずかと歩き出してしまった。


「……ありがとう」


 レニィは恥ずかしそうに帽子を目深に被り、蚊の鳴くような声でそう言った。その呟きは、グランには聞こえていなかっただろう。

 甘酸っぱい青春の香りだ。見ていて心が温まる。温まりすぎて地獄の釜も煮え立ちそうだ。

 私にはカッコいいと思う男の人の一人だっていないのにね。ふふ、ふふふふ。


「ライラー? いきますよー?」

「……ねえエミリー。女性同士仲良くしましょうね」

「……? 何を言っているのですか? 私達は、皆仲良しですよー」


 知ってる。知ってるけど違う。

 私が嫉妬の炎に薪を投げ込んでいるうちに、さっきの場所まで戻ってきた。私達にはなんなのかわからないが、レニィには微かな痕跡が残っているように見えているらしい。


「なんだ、ほんとに道なのかよ?」

「私には分からないですねー」


 レニィに疑惑の眼差しを向けるグランと、困ったような顔をするエミリー。そうなるのも仕方がない。私にだって、ここに何があるのかは分からないのだから。

 しかし、レニィは猫のように目を細め、神経を尖らせて私たちを先導する。枝を折り、草を踏みながら進む。それでも、終わりは見えてこない。


「クッソあちぃ」


 グランの口から愚痴が漏れる。グランは私たちよりも遥かに熱がこもる格好をしているのだから、そうなっても仕方がない。私達も、全身にじっとりと汗をかいている。

 不快感が体を多い、普通ならば集中力を持続させることすら出来ないだろう。しかし、レニィは今もなお私達を先導している。流石、私達の斥候だ。


「……ん?」


 突然。ほんの一瞬だったが、視界がぼやけて光の煌めきのようなものが映りこんだ。わずかな違和感を覚えるが、周囲に変わった様子はなく、魔法を使った気配も感じられない。


「疲れてるのかな……」


 無理もない事だ。その時、レニィは突然立ち止まる。


「レニィ?」

「ダメだ」


 レニィが立ち止まる理由などただ一つ。痕跡を見失ったということだ。レニィは悔しげに唇を食いしばり、こぶしを握り締める。


「ごめん、見失った」


 私達の間に重い雰囲気が流れる。蒸し暑い中、それなりに歩いたことだろう。しかし、その道を見失ったというのだから、心の底に怒りの感情が沸いても仕方のない事だ。

 グランがレニィの頭をわしづかみにする。


「おら、何へこんでんだよ。道間違ったんならさっきの道に戻るぞ」


 グランはそのままレニィの髪をわしわしと乱暴に撫で、踵を返す。


「ぐ、グラン? 怒らないの?」


 レニィが不安げに、おびえた表情でグランにそう言った。しかし、グランはこちらに振り返るとこともなげに言ってのける。


「そりゃあ疲れはしたが、何かはあったんだ。また来ればいいだろ」


 エミリーはニコニコとしながらレニィに微笑みかけ、グランに付き添うようについていく。呆然とするレニィの様子がおかしくて、思わず笑い声が漏れた。

 私はレニィの頭をやさしくなでて、こちらを向かせる。


「ほら、行くわよレニィ。今度は見失わないでね」


 私もグランたちの後を追う。後ろからレニィのついてくる音を聞きながら、私達はグラン達と合流した。

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