十五話 世界樹のダンジョン(入口)
大樹ユグドラシルは、九つの世界を内包する。その本質を見て、宇宙樹や世界樹などと呼称されることもある。
ユグドラシルは、北欧神話における世界そのものを現す大木で、その中身は三層に別れている。
一層目には神々や善き妖精などが住む。
二層目は人々や闇の妖精、小人や巨人などが住む。
三層目は死の国、そして古の世界が内包されている。
迷宮には様々な形式があり、状況によって違う迷宮が生成されるのだという。そして、この迷宮は世界樹をモデルに生成されたものだ。
誰が迷宮の生成システムを開発したのかは知らないが、少なくとも世界樹はモデルなんて再現度ではなかった。
この迷宮は、天空、地上、地下の三層構造を基幹としている。その内のどこかを選び、階層を作ることでこの迷宮は成り立つ。つまり、入れ子の構造になっているわけだ。
この迷宮のもっとも特徴的な部分。それは階層の広さだ。
表面上は巨大な樹木程度の大きさしかないし、その中の広さもたかが知れているだろう。しかし、実際はそうではない。
一つ一つの階層が、地平線を望む事ができるほど広大な広さを持つのだ。それも『若木である現状は』だ。成長したらどうなるかなんて、もはや想像がつかない。文字通り、『九つの世界を内包する』ようになるのだろうか。
さて、長々と話し込んでしまったが、僕たちは上層部の世界の一つであるヴァルハラにいる。世界同士は魔方陣で繋がっており、このヴァルハラに行くには迷宮主の間。別名は――今度でいいか。そこから来るしかない。
北欧神話におけるヴァルハラは、主神たるオーディンの住まう館で、戦場そのものを体現したような作りだったという。
が、僕としてはそんなものごめんだ。僕たちがこれから暮らす館が、武骨で血錆の臭いが漂う館なんてなんとセンスの悪いことか。と、言うわけで、名前だけ借りて中身はもっと普通なものにした。
この館は三階に別れており、一階に食堂や厨房などの施設的なものを集中させ、二階は客室として作り上げてある。迷宮では、魔力を支払えばそれなりの見た目をした調度品を作り上げる事もできるらしく、それなりのものが揃うようにしてある。
三階は僕達が住む場所だ。調度品の品質も、できうる限り最高のものを用意した。
僕達が今いるのは、ヴァルハラの一階。そこに位置する食堂だ。
「ご主人様! シェリー! ご飯美味しかったの!」
「そっかそっか」
「ありがとね、ラシール」
僕とシェリーがのんびりとご飯を頬張るなか、ラシールが口元を拭いながら目を輝かせてそう言った。
ふふん、こう見えて料理スキルは高いぞ。見掛けよりは。ちなみに、今回のメニューは肉無しカレーライスでした。
「私達まで頂いてしまい、よろしかったのですか?」
僕が懐かしの味に舌鼓を打っていると、実体化したクリスさんが僕に問いかける。クリスさんも、魔力さえあれば実体化と精霊化が自由に出来るらしく、今はラシールと同じように食後の一休みをしていた。
精霊に限らず、魔物の一部の生物達は食事を必要としないらしい。精霊であるクリスさんは言わずもがな、シェリーも生命の維持には必要としないし、ラシールにいたっては食事など嗜好品だと言う。今まで食べ物の心配やら飲み物の心配をしていただけに、当然の質問だった。
僕は食べ物を飲み込んでから話し始める。
「うん、使ってるもののほとんどは植物から採ってるものだから、ラシールのお陰でいくらでも採れるし問題ないよ」
食料危機を乗り越えた以上、少しでもいい暮らしをさせてあげたいしね。それに、これは僕のためでもある。
身の回りにいるのは、一般的には人外。僕だって数日前までは一般人だ。あまりに急激な変化には、精神がついていけないだろう。だから、彼女達に少しでも人間らしい行動を取らせることで、自分の心を騙し、その期間を用意するのだ。
我ながらみみっちいというかなんというか。
心が沈むような話題はここまでにしよう。ここからは、この邸宅について話していく。
邸宅といっても、規模はとても広い。なんといっても世界一つ分の広さになるほどだから、拡張スペースも十分だしね。
クリスさん曰く、規模は大国の王城や宮殿に匹敵する広さだという。
また、この邸宅には中庭が存在する。ここも大規模なパーティーが行える程度には広いスペースになっていて、噴水やら生垣やらで装飾が施されている。まあ、意味はそれだけじゃないんだけど。
邸宅の調度品や内装は全てゴシック調に統一してある。が、全て作り終わった後に和風建築がない事と、やっぱり自分の肌に合わないという悲しい事実が見つかったので、頃合いを見て和風の別館を作る予定だ。
この邸宅には庭や広大な敷地があり、中には運動場や訓練所も備え付けられている。あと、屋敷とはちょっと離れたところに畑や農場予定地もある。
屋敷の大まかな説明はこれくらいだろう。細かい設備に関して説明していたら日が暮れてしまうし、そこまで焦る必要もない。
さて、この階層の説明はしたし、次は迷宮の方を……。
「御主人様、よろしいでしょうか?」
「ん? どうかしたの?」
クリスさんの方を見てみれば、食事はもう終わったらしく精霊の状態に戻っている。顔つきもナビゲーションをしてくれていた時の様に冷たいものだ。それに、ラシールもどこか嬉々とした表情で僕の事を見つめている。二人そろってなんなんだろうか。
「侵入者が現れました」
「なの!」
―――――
「あー、鬱陶しい」
声を低くひそめ、一般的に女性が出すのをためらうようなしゃがれた声を絞り出す。
迷宮と思われる大木。その大きさから、すぐにつくだろうと目測を誤ってしまった。森の中を進むのは思ったよりも時間がかかり、森の中で一晩過ごす羽目になった。
「じきに着くわよ」
私の言葉は嘘ではない。濃厚な魔力を感じるのだ。これは間違いなく迷宮の気配。今まで数十と迷宮に潜ってきた私達だったが、どの迷宮も決まって濃厚な魔力をまとっている。おかげで、近づいただけで迷宮の有無が分かるようになってしまった。
私の言葉から数分もしないうちに、森の切れ目が見える。間違いない。迷宮の範囲内に入るのだ。
「でけぇな」
「ええ、これは……想像以上に……」
木々が切れて、やっと大木の全景が見えた。しかし、この大きさはいささか大きすぎる気がする。
周囲には濃密な、しかし清らかな魔力が流れており、まるで聖域にいるかのように感じる。迷宮自体もとても大きい。天を衝くほどの幹は空を支えているのではないかとすら思える。
私達が今まで見てきた中で、最も荘厳な迷宮に間違いなかった。
「おいライラ、ボーっとしてんなよ」
後ろから重層な鎧を身に纏ったグレンが歩いてくる。あれだけ大きな鎧を身に纏っているというのに、彼の足取りが普段より重くなっているようには感じられない。相変わらず、私達とは比べ物にならないほどの胆力があるようだ。
しかし、私といえば思わず迷宮に見とれていたせいで、後ろの進行を妨げてしまっていたようだ。
「え、ああ、ごめん」
「え、何? ライラが謝ったの? 今日壊滅するの?」
そんな小馬鹿にするような事を言い出したのはレニィだ。若干十五歳でありながら、罠の発見や解除。それに限らず足の速さなどなど、斥候としての技量には目を見張るものがある。金に目がないのが玉にきずだけど。
「レニィ、迷宮の前にそんなことを言ってはダメですよー」
普段から私の隣に並び、後援を務めているエミリーが、間延びした声でレニィをたしなめる。たしなめてくれるのはうれしいのだが、視界の隅で一歩歩くごとに大きく揺れる塊を排除していただけないのだろうか。
「レニィ、次になんか言ったら炭化させるわよ」
私は目にかかる赤い髪を払いながらレニィを睨みつける。折角エミリーがたしなめてくれたけど、その胸部の脂肪でプラスマイナスゼロ。よってレニィが少しでも許されたということなど無い。
「ひえー、怖いよー」
「ああん、ダメですよー」
私に睨まれたレニィはおどけた様子でエミリーの下に近寄り、胸の塊に顔を押しつけてグリグリと動かす。クソが。
「……お前ら、さっさと行くぞ」
グレンは私達を冷たい目で見やると、一人先に足を進める。忘れていたわけではないのだが、レニィの行動は男性に少し毒だろう。あのよく燃えそうな塊と相まって。
「はいはーい」
レニィは視界から消えたかと思えば、既にグレンより少し前を歩いている。
全く、子供っぽい言動がなければ素晴らしく優秀だというのに。
「ライラも行きましょう?」
「ええ、今行くわ」
エミリーも目を細めながら私の前を歩く。さあ、気を引き締めて行くわよ。
私の闘志に反応して、周囲の温度が多少上がる。いけないいけない。まだまだ制御が甘い。
森を抜ければ、そこは墓場が広がっていた。
長年放置されたように見える、石造りの十字架が無造作に、無尽蔵と思えるほどに突き刺さっている。
しかし、周囲の魔力は相変わらず清らかなまま。本物の墓場だったらこんな清らかな魔力は満ちていない。つまり、これは悪趣味なモニュメントということになる。
「アンデッドの気配はないわ」
「うっへぇ、悪趣味ー」
「なんにせよ、俺たちには関係ない」
所詮こけおどしだ。そう言って一歩踏み出したグレンの足元が隆起し、茶色の腕がグレンの足をつかむ。
「うお!?」
「ちぇいさー!」
グレンが重心を崩す前に、レニィがナイフで手首から先を斬り落とす。手を失った腕は空をかくが、無暗に空中をかき回すばかり。
「ライラ!」
「っく! やられたわ!」
周囲を見れば、地面が次々と隆起して先ほどグレンをつかんだ腕と、その本体が姿を現す。
「クレイマン……!」
地面から這い上がっていたのは土で出来た魔物、クレイマン。魔物というよりはただのゴーレムといった方が正しい。土魔法を修める上では必ずやこれを見かけることとなる。それほど強いわけではないが、しかし……。
「数が多すぎますー」
這い上がってくるクレイマンの数は十や二十ではない。下手をすれば、五十近い数が土を押しのけて地上へと現れていく。
「走るぞ!」
グレンが、騎乗用の槍を正面のクレイマンに突き刺しながら叫ぶ。こんなモノをいちいち相手にしていては、魔力も体力も残らない。
「吹き飛ばすわ!」
「あいあいさー!」
レニィが私に近寄ってきたクレイマンを蹴り飛ばす。透明な鉄球が正面を抜け、クレイマン達を吹き飛ばす姿を脳内で鮮明に描く。体から魔力が抜けていく感覚で、自身の魔法が発動することを理解した。
「《ウィルバーン》!」
大槌で壁を殴りつけたような音が周囲に響く。目の前では私の魔法にやられたクレイマン達が上半身を失い、次々と膝を折っていく。
「今だ、走れ!」
私達はグレンの掛け声とともに土を蹴り、大木へと駈け出した。




