自慢の彼女
同棲、という言葉に信一は動揺する。「同棲」は単なるルームシェアと違って、異性が恋人として同居するというニュアンスが強い言葉だ。
「真帆乃……俺は……」
「だって、もう問題は解決したわ。私、信一との関係を隠すつもりもないし」
佳奈の前で、真帆乃は信一の幼馴染だと宣言した。それは他の警察関係者の前でも、隠すつもりはないということだろう。
それ自体は大きな問題はないが、同棲することもいずれバレるだろうし、なんなら真帆乃は宣言するつもりかもしれない。
「でも、本当に大丈夫なの?」
「信一は大事な幼馴染だもの。一緒に住んでいることだって、触れて回ってもいいくらい」
「そ、それは恥ずかしいからやめてほしいな……」
「私と一緒に住んでいるのが恥ずかしいの?」
真帆乃がちょっとむっとした様子で頬を膨らませる。
慌てて、信一は手を横に振る。
「そ、そんなつもりはなくて……噂されるのが恥ずかしいというか……」
「私、自慢の彼女になれると思うんだけどな」
「か、彼女!?」
真帆乃もうっかり口がすべったと思ったのか、顔を赤くして首を横に振った。
「い、今のは……その……えっと……べつに私が信一の彼女になりたいっていうわけじゃなくて……信一が彼女になってほしいならなってもいいけど……」
真帆乃が支離滅裂なことを口走る。
信一もうろたえて、結局、話題を変えることにした。
「え、えっと、梨香子ちゃんのことなんだけど……」
「あ、逃げたわね。信一のヘタレ……」
真帆乃が顔を赤くして、抗議する。
でも、逃げないと困ったことになる。ただでさえ、信一は真帆乃に正面から抱きつかれていて、ドキドキさせられているのに、「彼女になる」なんていう話を聞かされたら冷静でいられない。
(逃げないということは、真帆乃を押し倒してしまうかもしれないのに……)
信一はそんなことを考えて、そして深呼吸した。
「俺と一緒に住んでいるのを、梨香子ちゃんに知られたら困るんじゃないの? さすがに妹に同棲相手が俺なのはバレる気がするけど……」
「別にいいの。梨香子に知られても」
「え? でも、こないだは梨香子ちゃんから隠れたよね?」
「私、梨香子には遠慮しないって決めたから」
真帆乃ははっきりとそう言った。
(遠慮しない? どういう意味だろう……?)
梨香子は信一を恨んでいるかと思っていたが、意外にも会いたがってくれているという。
そのあたりの事情はよくわからないが、真帆乃と梨香子の関係以外にも問題はあるのだ。
真帆乃は信一をじっと見つめる。
「今でも、梨香子の事件のこと、罪悪感を持っているんでしょう?」
「……そうだね。これからも一生、俺は梨香子ちゃんを見捨てたことを後悔すると思う。真帆乃さ、俺はこんなやつなのに、真帆乃と一緒に暮らすなんてそんなことできないよ」
真帆乃の同居の提案にうなずけなかったのは、過去の事件のことがあるからだ。梨香子が誘拐され、信一はそれを黙ってみていた。真帆乃は信一のことを責め、そして絶縁した。
今の真帆乃が信一をどれほど強く求めてくれていても、信一が真帆乃をどれだけ大切にしたいと思っても、過去のことは変えられない。
けれど、真帆乃は首を横に振った。
「過去のことは信一のせいじゃない。何も気にしなくていいの。悪いのは、私だから」
「だけど……」
「それに、信一は私を助けてくれたでしょう?」
「だからといって、それで帳消しになったりしないよ。俺は――」
やっぱり信一に、真帆乃と一緒に住む資格はないと思う。梨香子が恨んでいないといっても、梨香子に永遠に消えない傷を残したことは変わらない。
それに、もし真帆乃を守れなかったら、という心配もしてしまう。そのことがすごく怖かった。
ネガティブな言葉があふれそうになる。
けれど、真帆乃は信一に抱きついたまま、そっとその赤いみずみずしい唇を、信一の顔に近づけた。
柔らかく、熱い感触がする。信一は一瞬何が起きたかわからなかった。
キスされた、ということを理解したのは、真帆乃が数歩後ろに離れた後だった。
真帆乃は顔を真っ赤にして、ビシッと信一に指を突きつけて睨む。
「か、勘違いしないで! これはお礼のキスなんだから!」
「お、お礼……?」
「私を救ってくれたお礼……ありがとう、信一」
真帆乃はそう言って、恥じらうようにふたたび信一にそっと身を寄せた。
信一の胸に顔をうずめる。
一方、信一は過去最高に動揺していた。
(お、お礼……? キスが……?)
ここは日本であり、挨拶のように普通にキスを交わす欧米ではない。
しかし、真帆乃は「お礼」なのだと言い張っている。
真帆乃は信一にしがみついたままだった。
「初めて……だったんだからね?」
「え? それって……」
「ファーストキスだったの」
真帆乃は男と付き合ったことがないと言っていたから、不思議な話ではないけれど、それでも衝撃だった。
ファーストキスをお礼で上げてしまっても良いのだろうか……?
信一が言うと、真帆乃は「だって……」と拗ねるように言う。
「ずっと昔から、信一にファーストキスは上げるつもりだったんだもの」
「え?」
「ともかく、信一は、清楚で完璧なエリート美人の私のファーストキスをもらうぐらい、大事なことをしてくれて……価値のある存在だってこと。わかった?」
真帆乃が上目遣いに信一を見て、嬉しそうに笑った。





