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台所用じゃない。




 リオネルさまは厳しい顔をしたまま、高台を降りてすぐに馬車に乗り込んだ。


「リオネルさま?」

「領主の館へ向かう」


 町の中央にある大きな館は、前世で言う区役所っぽい建物だ。館前の広場でリオネルさまはさっと馬車を降り、門へ近付いて行く。

 金糸銀糸の刺繍が入った白一色のマントが歩みに合わせてたなびいた。空からはやわらかな陽光が降り注ぎ、リオネルさまを明るく照らす。

 誰が見ても只者じゃないってわかる登場の仕方。舞台効果は抜群すぎる。

 門番が緊張した顔で姿勢を正した。


「ご用向きは何でしょうか」

「領主に面会したい」


 リオネルさまの胸にある記章を見て、誰だか分かったんだろう。門番が慌ただしく動き出す。


「ご案内いたします。こちらへ」


 案内された応接室に入るとほぼ同時に痩せた男が現れた。


「大変お待たせいたしました。領主のフリオ・マルケスでございます」

「大神官のリオネルだ。こちらは祝福の子アイリーン」


 そう紹介されて思わず背筋が伸びる。

 生真面目そうな領主は私たちと向かい合って座った。顔色が悪いし、げっそりしてる。

 お茶を用意してくれた侍女も門番も疲れきっているようだった。


「形式張ったことは好まない。現在の被害状況は」

「私どもも全容を把握しきれていません。天候が悪く水が頻繁に溢れ、通常の生活が困難になっています」

「いつからだ? 春にも洪水があったと聞くが」

「春の大雨とは違うかと思います。雨が降り始めたのは、冬に入ってからですので…」

「雨の状況は」

「ぐずぐず降り続いたり、時折大雨になったりでございます」

「人々の暮らしはどうなっている?」

「安全な場所を求めて、右往左往しております。この町は幸い被害が少なく、そのため他の土地から避難してきた民が日に日に増えてきまして」


 寝る間もなく対応に追われているらしい。疲れきった領主を見て、リオネルさまはふぅむ…と唸った。


「大神官さま方は町の宿に逗留されていらっしゃるのでしょうか? よろしければ我が館にて歓待いたしますが…」

「気持ちだけ頂こう。我々にではなく、救済が必要な民へ手を貸してあげてほしい」

「はっ…」

「この地の安寧を精霊に願っておく。大変だろうが天候が落ち着くまで民のために働いてほしい」

「ありがたきお言葉でございます。誠心誠意務めさせていただきます」

「この町に精霊の祝福があらんことを」


 リオネルさまがそう言うと部屋全体がぽぅ…と光った。


「おぉぉ…感謝いたします」


 領主が深々と頭を下げる。光は領主の周囲にも広がり、顔を上げたときには少し血色が良くなっていた。









「この地に精霊が少ないのはなぜだと思う?」


 宿に戻る馬車の中でリオネルさまはゆっくり息を吐いた。

 私は南地方の状況からマックスさまの話を思い出す。


「もしかして祝福の子の力を利用しているか、されているか…」

「うん、それが真っ当な推測だ」


 真っ当じゃない可能性もあるのだろうか。私には想像もつかない。

 リオネルさまは小窓の外で流れていく景色をぼんやり見つめる。私も釣られて外を見た。

 乾き始めた道から土ぼこりが舞い上がり、街全体をくすませている。


「…人が少ないですね。他の土地から人が逃げてくるとマルケスさまが言っていたのに…」

「おそらくそこかしこで土木工事の仕事があるのだろう」

「雨が上がってるからですか?」

「あぁ。手が空いている者や食い詰めている者…とにかく動ける者が出払っている。……まだ昼前だな」


 宿に到着すると、リオネルさまは私に馬車の中で待つよう言い残し降りていく。

 一人で不安だったけど、リオネルさまはすぐに戻ってきて馬車はまた動き出した。


「今度はどこへ行くんですか?」

「町の外に出る」


 そう言いながら木の棒を無造作に渡された。


「なんですか、これ」

「この旅の間、アイリーンに託す」


 木の棒は前世で言うなら職人さんがそばやうどんを打つ麺棒のような長さ。でも表面に細かい彫りが入ってて間違っても台所用じゃない。

 っていうか、これ以前見たことある。確か神殿で。ほら、アレじゃない?聖なるなんとか……。


「あの…これ」

「うん、そう金剛杖」

「これをどうしろと?」

「自由に使ってくれ」

「どうやって? いつっ?」

「大神官さま、到着しました」

「降りよう」


 馭者の手を借りて馬車を降りると、茶色い大地が眼前に広がる。


「さぁ、アイリーン。仕事だ」

「仕事?」

「金剛杖で土に祝福を与えてくれ」


 その言葉に私はぽかんとしたまま固まった。

 


 


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