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第七十九話 90日

転移魔法が発動し、光に包まれたワタルたちは、次の瞬間、どことも知れぬ街の片隅へと弾き出された。


路地裏のような場所だった。打ち捨てられた木箱や壊れかけの建物が並び、空には鈍い灰色の雲が広がっている。


だが、周囲を確かめる余裕などなかった。


——アルマがいない。


スノーの肩が震える。唇を噛みしめ、悔しさを押し殺そうとするが、涙がこぼれるのを止められなかった。


「なんで……!」


誰も、言葉を返せなかった。


ワタルは、拳を握る。


転移魔法の発動直前——アルマが言い残した言葉を思い出す。


「ウチの魔法で、逃がしたる……!」


その時のアルマの顔を思い出す。


痛みに耐えながら、必死に立ち上がっていた。


それなのに、何も気づけなかった。


「っ……クソ……!」


ワタルは拳を地面に叩きつける。

悔しさで、奥歯が軋んだ。


「……待って。」


ハウンが、息を切らしながらも声を上げた。


「今は……アルマのことより、皆の傷を……」


「っ……!」


サヤがはっと顔を上げる。


「ワタルも、ファングも……私だって……スノーだって……みんな……」


ハウンの視線が、それぞれの体に向けられる。


——全員、満身創痍だった。


ワタルは脇腹に深い傷を負い、ファングの体もあちこち裂傷だらけ。サヤの服は血に濡れ、スノーは魔力を使い果たし、今にも倒れそうだ。


「とにかく……動けるようにならないと……」


ハウンは震える手で治癒魔法を発動させようとするが、彼女の顔色もひどかった。


「……ハウン、お前も無理するな。」


ファングが力なく言う。


「でも……」


「無理に動いたら……俺たち全員、ここで終わる。」


そう言ったのはワタルだった。


ワタルは呼吸を整えながら、じわりと広がる痛みをこらえる。


カナタたち獣人の子ども達は沈黙のなかで必死に耐えていた。


言葉も出せず、ただ膝を抱えて震えている子。

泣きそうな顔をこらえながら、他の子を庇おうとする年長の子。

血の滲んだ服を気にする様子もなく、ただひたすらにワタルたちを見つめている子。


「ワタルくん、私が……助けを呼んでくる!」


カナタが震える声で言い、立ち上がろうとした。


まだ幼い足がふらつきながらも、確かな意志を宿している。


彼女が駆け出していく背中を、誰も止めることができなかった。


「ま、待って……カナタ……!」


ワタルは声を振り絞るが、全身の力が抜けていた。脇腹の痛みはさらに鋭くなり、手足は鉛のように動かなかった。


カナタは振り返らず、小さな足で路地裏の闇に消えていった。


「……くそ……」


ラグド王国で手配を受けている彼らにとって他人に助けを求めるのはリスクの高い行動だった。


誰も追えない。動けない。呼び止めることすら、できなかった。


外気が吹き込む隙間から、冷たい風が流れ込む。夜の街は静かだったが、その静けさが妙に胸を締めつけた。


ワタルは、限界だった。


視界が揺れ、血の気が引いていく感覚。倒れ込んだ身体が石畳に沈み込むように冷たい。


遠くで誰かが駆け寄ってくる気がする…が、もうワタルの意識には何も見えていない。


気がつくと、ワタルは暗闇の中に立っていた。


そこは、何もない空間だった。地面も空もない。ただ黒い深淵が広がり、音すらも吸い込まれていくような、静けさに包まれていた。


「……ここは……」


ワタルが声を漏らすと、その音すらもすぐに霧散していく。


まるで夢の中。意識だけが浮かんでいるような、不思議な感覚。


——すると、微かな光が現れた。


その光は、歩み寄ってくる人影の中から放たれていた。


「……また、会ったね。随分逞しくなったじゃない。」


静かに、けれど確かな声でそう言ったのは、レフレだった。


以前と変わらぬ優しさをそのまなざしに宿し、ワタルに向かって微笑んでいた。


「レフレ……様?そうか…俺はまた夢を見て…そうだ!あの子に会えたんだ!レフレ様が探せって言ってた。」


「カナタのことだね…おめでとう。でも落ち着いて聞いて。今回はアンタの夢だけど、ただの夢じゃないの。」


レフレは静かに微笑みながら、そっとワタルの胸元に手を当てた。


「アンタの魂が限界に近づいたとき……こうして、私はもう一度、あなたの意識に触れることができた。ほんのひとときだけどね。」


「……限界……?」


ワタルが戸惑いを浮かべると、レフレは少しだけ目を伏せた。


「よく頑張った。カナタを見つけ、仲間を守って、あの過酷な戦いを生き抜いた……でもその代償に、あなた自身はもう限界寸前だったの。今こうして話しているのも、アンタが自分の命を手放しかけているから。」


「じゃあ、俺は……」


「アンタがファングの居場所を聞いてきた時、私は言ったわよね?元の世界になったとしても良いかって」



「確かに言った。でも一体どういう意味…?」


レフレはふっと静かに目を伏せ、少し寂しげな微笑みを浮かべた。


「……アンタをこの世界に転生させた者として、私はアンタを死なせたくなかった。それが私の責務だと思ってた。だから、ずっと加護を与え続けてきたの。」


「加護……?」


「そう。アンタが気づかないうちに、何度も、何度も命を繋ぎ止めてきた。でも……」


レフレの声がかすかに震えた。


「……もう、限界なの。私の力も、アンタの魂も……これ以上は、無理。」


ワタルは言葉を失った。思い返せば、幾度となく絶体絶命の状況があった。そのたびに、かすり傷で済んだこともあったし、奇跡のように助かったこともあった。


——それが、レフレの加護だったのか。


「……つまり、俺は……」


「うん。このままだと、アンタは……ここで終わる。」


レフレは静かに言い切った。彼女の瞳には迷いがなかった。ただ、一人の人間として、ワタルに選ばせるために。


「……でも、選べるよ。ここで終わるか、それとも——」


「……!」


「アンタが生きる覚悟を持つなら、私は最後の力を使う。アンタをもう一度、この世界に繋ぎ止める。」



ワタルは息を呑んだ。レフレの差し出す光を見つめながら、今までの旅路が頭をよぎる。


「……俺が生きるかどうかを選べるってことか……?」


レフレは小さく頷いた。


「そう。ここで終わるのも、もう一度立ち上がるのも、アンタの自由。」


「……だったら、俺は——」


「……でもね、ワタル。」


レフレが静かに口を開く。


「もうひとつ、選択肢がある。」


ワタルは眉をひそめた。


「……もうひとつ?」


レフレはゆっくりと続ける。


「アンタ、元の世界に戻れるよ。」


「——え?」


「もし、アンタが『戻りたい』って思えば、私はアンタを元の世界に還せる。」


ワタルは目を見開いた。


「……マジで?」


「マジで。もともと私は、アンタが『カナタと再会すること』を条件に転生させた。だから、今のアンタにはもう『帰る資格』がある。アンタが『帰りたい』って思うだけでいい。そうすれば、今までのことは全部夢みたいに消えて、元の世界で目を覚ます。……ただし、それを選んだら、もう二度とこっちには戻れないよ。もちろん…カナタも一緒にね。」


ワタルはゆっくり息を吐く。


——元の世界。

もともといた場所。生まれ育った世界。家族や友人がいた場所。


元の世界に戻るか戻らないか…いざ選択を迫られると頭が混乱する


レフレは少しだけ目を伏せ、再びワタルの目を見た。


「アンタの魂、もう長くもたない。私の加護があったからこそ、この世界で生きてこられたけど……もう、それが尽きかけてる。」


ワタルの手が震える。


「……それって……」


「このままだと、90日後にはアンタの魂は崩壊して、完全に消滅する。どこにも行けずに、何も残らずに、ただ消えるだけ。」


ワタルの喉が詰まる。


「……消滅……?」


「そう。カナタと再会するまでは、私の加護がなんとかアンタをこの世界につなぎとめてた。でも、もうその役目も終わった。だから、これからはアンタ自身の選択に任せるしかない。」


レフレは静かに言葉を紡ぐ。


「例え…ファングたちのところを選んだとしてもいつかは元の世界に戻らなきゃ、アンタはどこにもいけなくなる。だから、選ばなきゃいけないんだよ。あの世界で生き続けるか、元の世界に帰るか。」


ワタルは奥歯を噛みしめた。


「……そんな……」


レフレの顔が、ふっと陰る。


「……私だって、本当はこんなこと言いたくない。」


小さく唇を噛み、悔しそうに目を伏せる。


「アンタがここで仲間を作って、一緒に戦って、必死に生きてきたのを私は見てた。……だから、こんな形で終わらせるのは、正直、すごく悔しい。」


レフレはゆっくりと顔を上げる。


「でも、私はアンタを転生させた側だから……見届ける義務がある。」


その目には、微かに滲む感情があった。


「……ちなみにカナタも、アンタと同じように選べるよ。」


ワタルは驚いたようにレフレを見る。


「……カナタも?」



「そう。カナタもアンタと同じで、元の世界に戻るかどうか自分で決められる。アンタの選択とは関係なくね。」


ワタルは拳を握る。


「……俺は——」


その瞬間、レフレが手をかざした。


「……うん、もう分かった。」


「は?ちょ、待て!」


強い光がワタルを包む。


「お前、まだ俺の答え聞いてねぇだろ!?」


レフレは、ぎゅっと拳を握りしめた。


「聞かなくても分かるよ、アンタのことくらい。」


声が微かに震えていた。


「——だから、アンタのやるべきことが終わるまでなら…いさせてあげる…!」


ワタルの意識が、遠のいていく。



——光が、全てを飲み込んだ。


(はっ…!)


ワタルは目を覚ます。


ワタルは静かにベッドから体を起こし、ゆっくりと立ち上がると、部屋の隅に目を向けた。まだ身体は少しだるさを感じるが、意識ははっきりとしていた。何もかもが新鮮で、穏やかな空気が流れる部屋の中で、彼は胸の中に湧き上がる複雑な思いを抱えていた。


(でも、俺はここで終わりたくない。)


ふと、心の中にレフレの言葉が浮かんだ。


「——聞かなくても分かるよ、アンタのことくらい。」


あの時、確かにレフレは一度、元の世界に戻す選択肢を与えてくれた。元の世界に戻れば、すべてが終わる。そして、再び何もかもがなかったことになる。しかし、その瞬間、ワタルの中で何かが強く反応した。


ワタルは「戻りたい」とは思わなかった。ここで、自分が生きる意味を見つけてしまったからだ。仲間たちと戦い続け、共に歩んだ世界で、まだやらなければならないことがある。そのために、どうしても立ち止まるわけにはいかない。

 

ワタルはゆっくりとベッドの縁に腰を下ろし、深く息を吐いた。




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