第七十五話 不意打ち
「ファング…本当に、あなたは…」スノーの声は震えていた。
しかし、その瞬間、ファングの目が鋭く光った。彼は一瞬の隙を突き、双剣を閃かせてレイジに斬りかかった。レイジは不意を突かれ、肩口から血を流しながら後退した。
「何っ!?」リンカは驚き、動揺を隠せなかった。
「こうでもしなきゃ、こいつには勝てないんだ!」ファングは叫び、再び構えを取った。
ワタルたちは一瞬、状況を理解できずにいたが、ファングが裏切っていなかったことを悟り、安堵の表情を浮かべた。スノーは涙を拭い、サヤは微笑み、ハウンは静かに頷いた。
レイジはパタリと地面に倒れ込み、血が静かに広がっていった。しかし、その光景を目の当たりにしても、ワタルたちは油断しなかった。ファングは双剣を構えたまま、警戒を解かずにレイジを見下ろした。
「……これで終わり、とは思えねぇな。」
ファングが低く呟くと、リンカが一歩後ずさった。彼女の顔には明らかに動揺が浮かんでいた。
「レ、レイジ……?」
しかし、その名を呼んだ瞬間——。
レイジの体から黒い霧が立ち上り、まるで命が戻るようにその体がゆっくりと震え始めた。倒れていたはずの彼が、ピクリと指を動かし、不気味に口元を歪めながら、ゆらりと起き上がる。
「……ははっ。……やっぱり、甘いなぁ。」
レイジは口元から流れた血を指で拭い、そのままぺろりと舐め取った。先ほどの一撃で肩口には深い傷が刻まれていたはずなのに、みるみるうちに血の流れが止まり、傷がふさがり始める。
「そんな……!」ワタルが驚愕の声を上げる。
スノーやサヤも息を呑み、アルマは険しい表情を崩さないまま、低く呟いた。
「……やっぱりな。普通の人間やない。」
「そりゃそうさ、オレが普通の人間なわけないでしょ?君達にエムルート島で追い詰められた時から…血の滲む努力をしたってわけだ。まぁもっとも見事に裏をかかれて…少し傷口がずれていたらと思うと…」
ファングは警戒を解かず、双剣を握りしめたまま睨みつける。「…何が言いたい。」
「ファング、君にオレは倒せないよ。」
レイジは楽しそうに肩をすくめた。「正直、今の一撃は悪くなかった。オレが油断してたら、もう少し深く入ったかもしれない。でもね…君が本当に勝ちたかったのなら——狙う相手はオレじゃなく、リンカだったんじゃない?」
レイジの言葉に、ファングの表情が微かに強張った。
「ほら、見てみなよ。」レイジは横目でリンカを指し示した。
彼女はまだ動揺した表情を浮かべている。彼女にとっても、ファングが本当に天泣に入ったと思っていたことは、ある種の信頼だったのだろう。その信頼が一瞬にして崩れたことで、完全に戦いの流れに乗り切れていない。
「リンカは油断してた。君が本気で狙っていれば、少なくとも彼女は一撃で仕留められたかもしれない。だけど…君はそれをしなかった。なぜかな?」
レイジは嘲笑交じりに問いかける。
「……っ!」ファングは唇を噛んだ。
「そういうところが、君の甘さなんだよ。」
レイジは首を軽く鳴らしながら、ゆっくりとファングを見下ろした。「君はリンカを狙えなかった。その時点で、オレたちには勝てない。だって、君は情をかけるから。」
「ふざけるな…!」ファングは低く唸るように言った。
「ふざけてなんかないさ。」レイジはニヤリと笑う。「君がリンカを斬れなかった時点で、この戦いの流れは決まってたんだよ。」
レイジの言葉に、ワタルたちは息を呑んだ。確かに、ファングがリンカを狙えていれば、戦況は変わっていたかもしれない。だが、彼はそれをしなかった。
「妹をどうにかしようと単身乗り込んだはいいものの、結局何もできずに終わる…同じことの繰り返しだ」
レイジは薄笑いを浮かべながら、肩をすくめた。「いやぁ、感動的だよね。血の繋がりってやつは。けどさ、戦場でそんなものに縋ってる時点で、君はもう負けてるんだよ。」
「……黙れ。」ファングは低く呟き、双剣を強く握り締める。
「ちょっと!レイジ!は薄笑いを浮かべながら、肩をすくめた。「いやぁ、感動的だよね。血の繋がりってやつは。けどさ、戦場でそんなものに縋ってる時点で、君はもう負けてるんだよ。」
「……黙れ。」ファングは低く呟き、双剣を強く握り締める。
ワタルはレイジとファングの間に漂う緊張を感じながら、胸の内で一つの答えに辿り着いていた。
——天泣の幹部である妹リンカを、自分の手でなんとかしたかったのか…元のような兄妹に戻れると、そう信じたかったのか。
彼が失踪した理由、単身で天泣のアジトに乗り込んだ理由——それらすべてが、リンカを救いたいという一心だったのではないか。
でも俺たちにとってリンカは多くの人を殺めた大罪人…それをファングもわかっているはず…——いや、だからこそ、ファングは一人で決着をつけようとしたのか。
ワタルはファングの背中を見つめながら、胸の奥で言葉にならない感情が渦巻くのを感じた。
ファングは息を整え、双剣を構えると一気に間合いを詰めた。彼の動きは素早く、迷いのない一閃がレイジを襲う。しかし、レイジはその攻撃を待ち構えていたかのように、片手で剣を持ちながら余裕の笑みを浮かべ、受け止める。
ガキィン!
刃と刃がぶつかり合い、鋭い金属音が響き渡った。
「おお、なかなかいいじゃないか。」
レイジは楽しそうに口角を上げる。
ファングは更に攻撃を繰り出す。左の刃で突きを放ち、右の刃で斬り上げる連撃。しかし、レイジはそれらを軽やかに受け流しながら、時折カウンターの一撃を繰り出す。
「クソッ……!」
ファングは渾身の力でレイジを押し込もうとするが、レイジはまるで遊んでいるかのように身を捻り、鍔迫り合いへと持ち込んだ。
バチバチバチッ!
剣と剣が絡み合い、火花が散る。二人の力が拮抗し、一瞬の静寂が訪れた。
「へぇ……本気になれば、そこそこやるじゃないか。」
レイジは余裕の表情を崩さないまま、剣にさらに力を込める。
「お前みたいな奴に……負ける気はねぇ!」
ファングは食いしばった歯の隙間から絞り出すように言葉を発し、全力でレイジを押し返そうとする。
その瞬間——。
「遅い。」
レイジの剣が不意に軌道を変えた。まるで蛇のような鋭い一撃が、ファングの腕をかすめる。次の瞬間、レイジは大きく踏み込み、剣の柄でファングの腹を強かに突いた。
「ぐっ……!!」
ファングの体が一瞬浮き、呼吸が詰まる。
「終わりだよ。」
レイジはそのままの勢いで剣を叩きつけ、ファングを弾き飛ばした。
ドガァンッ!!
ファングの体は勢いよく吹き飛び、地面を転がりながら背後の壁に激突した。
「ファング!」
スノーが叫ぶと同時に、氷の魔法陣が彼女の足元に広がった。
レイジがファングに向かってゆっくりと歩み寄る。しかし、その足元に瞬く間に氷が広がり、地面を凍らせた。氷の柱が次々と生まれ、レイジの進行を阻むように伸びていく。
「邪魔をしないでくれる?」
レイジは余裕の笑みを浮かべながら剣を振るい、氷柱を次々と斬り砕いた。だが、その間にもスノーは次々と氷を展開し、レイジの動きを封じ込めようとする。
「ハウン!今のうちに!」
スノーが叫ぶと、ハウンが素早く駆け寄り、倒れ込んでいるファングの元へと急ぐ。
「大丈夫?」
ハウンは片膝をつき、素早くファングの状態を確認した。顔には汗が浮かび、呼吸は荒いが、まだ意識はある。
「……すまねぇ、でも……まだ……」
ファングは苦しそうにしながらも、剣を握り直そうとする。しかし、ハウンはその腕をそっと押さえた。
「無理しないで。まずは動けるようにしないと。」
ハウンの手がファングの傷に触れ、彼女の治癒魔法が静かに発動する。淡い光が彼の体を包み、痛みが和らいでいく。
「俺の妹リンカはあの内戦で死んだ…それが転生しましただなんて信じない…そうじゃないと…」
ファングの声はかすれ、握りしめた拳が震えていた。
彼の中で長年抑え込んできた感情が、今まさに決壊しようとしているのが伝わってくる。
「そうじゃないと……俺は……」
ファングは奥歯を噛みしめながら、ようやく絞り出すように言った。
「俺は……アイツを斬れなくなる……!」
拳の震え、歯を食いしばる様子——彼の中で今、感情が渦巻いているのが手に取るように分かる。
「……はぁ。アホらし。」
アルマは深くため息をついた。
そして、次の瞬間——。
「ウチはそんな甘ったるい話に付き合う気はないで!」
アルマの体が一瞬で弾けるように動いた。彼女はファングの目の前を一気に駆け抜け、そのままリンカへと突進した。





