第六十話 行方
残されたワタルたちは、ひとまず安全が確保されたことついて安心し、今後のことについて話し合った。
「疑いを晴らすにはどうしたらいいのかな?」とサヤが口にする。
逃げてきたこの国にいるだけでは、残念ながら何も進展しないことは事実だ。
「ラグドに帰れなかったらさ、この国で暮らしていくのもいいんじゃない?
兵士団の方にずっとお世話になってるのは正直気が引けるけれど…」とワタルが言った。すると、他の4人の表情が芳しくないことに気がつく。
「私は、ずっと家に帰れないなんていやだよ。」とスノーが呟いた。
ワタルの言葉が部屋に沈んだ空気を引き起こしたのは明白だった。彼が無意識に放った「ここで暮らしてもいい」という提案が、スノーとファングの心の違いを浮き彫りにしたのだ。ワタルは自分の不用意な発言に気づき、すぐに謝った。
「ごめん…みんな。何も考えずに言ってしまった。」
だが、スノーの沈んだ表情は変わらない。彼女の緑色の瞳は、悲しみと苛立ちが交錯している。「ワタルが悪いんじゃない。ただ…」彼女は深く息を吸い、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。「私は、ずっと家に帰れないなんて嫌なの。あの家族やふるさとが、私の心の支えだから…」
その声には決意が込められていたが、同時にその強い感情が部屋の空気を一層張り詰めさせた。
ファングはスノーの言葉を黙って聞いていたが、眉間にしわを寄せながらため息をついた。「そんなこと言ってもな…現実はそう簡単じゃないだろ」と、ファングは抑えた声で言った。その表情からはいつも冷静さが失われていた。
「ファング…そんなことはわかっているよ。私もそうだけど、ハウンちゃんの家族も…私達が疑われているせいで巻き込まれたりしたら…!」とスノーも反応する。
「何も解決しないまま国に戻ったとしてどうするんだ。それこそ、家族や故郷にさらなる危険をもたらすだけだろう。今はそんなことを気にしても仕方がない…」とファングは言い返す。
(そんなこと…?)彼女はファングの言うことが理解できなかったわけではないが、心のどこかで納得できない部分もあった。スノーは再び静かに息を吐き、感情を整理しようとした。ファングの言葉には冷静な理屈があり、彼の言いたいことも分かるが、それでも心の奥底にある彼女の願いが覆い隠されることはなかった。
ハウンは部屋の緊張感を感じ取り、場を和ませようと提案した。「あ、そろそろ食事が出来るころじゃないかしら?」と、彼女は軽い声で言った。
「そうだな。」と、ファングは同意した。
サヤもそれに同意して、スノーの方を向いた。「一緒に行こう?」
スノーは戸惑いながらも頷いた。
食事を済ませるが、2人に食事を済ませた後も、スノーとファングの間には微妙な緊張が残っていた。表面的にはいつも通りのやりとりをしているように見えたが、二人の間に漂う無言の感情は、他の仲間たちにも気づかれていた。
ハウンはその空気を和らげようと、明るい話題を振ろうと試みたが、スノーのぎこちない笑顔とファングの硬い表情に阻まれ、思わず口をつぐんだ。サヤも、スノーの方をちらりと見つつ、何かを言いたそうにしていたが、やはり声に出すことはできなかった。
ワタルは、二人の間に広がる不協和音を感じ取り、心の中でため息をついた。自分の不用意な発言が引き金となったことを後悔していたが、今はどうやってこの場を立て直すべきか、その答えが見つからなかった。
食事が終わるころ、スノーがそっと口を開いた。「私は、少し外の空気を吸ってくるね」と短く告げ、席を立った。どうやら宿のバルコニーへと行くようだ。
スノーが席を立つと、仲間たちは彼女を見送ったものの、誰も追いかけようとはしなかった。それぞれが彼女の気持ちを察し、今はそっとしておいたほうがいいと感じていたのだ。
スノーが席を立つと、部屋には静けさが戻った。ハウンは食器を片付けながら、ちらりとワタルに視線を送った。「難しいわね、こういう時って…」
ワタルは小さく頷きながら、何かを言おうとしたが、言葉が出てこなかった。自分の発言がきっかけでスノーとファングの溝が表面化したことが頭から離れない。「…俺が余計なことを言っちゃったせいだ。もっと慎重に考えるべきだった」
ハウンはそっと首を横に振り、優しく言った。「ワタルのせいじゃないわ。きっと、二人ともお互いに抱えているものがあるの。それが今、出てきただけ」
ワタルはハウンの言葉に少しだけ救われた気がしたが、それでも心の中の重さは消えなかった。スノーとファングの間の緊張をどうにかしなければならないと感じていたが、その方法が見つからなかった。
男部屋に戻ったワタルはファングへも声をかけることが出来ず、ベッドに横になった。夜な夜なファングが部屋の外へ出ていくことがあった。ワタルは寝床で目を閉じたまま、ファングの気配が消えた後もその行動が気になって眠れなかった。
それから一週間が過ぎても状況は一切変わらなかった。ファングが夜中に部屋を出ていくことも続いている。
隣の部屋に滞在している兵士団員もそれを把握していなかったようで、彼のいない場でワタルは軽く注意を受けてしまった。
保護をされている立場で、身勝手な行動は許されない。スノーのよう気分転換に夜風にあたりに行く程度なら良いのだが…
その夜、ファングがいつものように部屋を出て行った後、ワタルはついに決心し、彼の後を追うことにした。兵士団員も付き添ってくれた。彼はファングが一体どこへ行き、何をしているのかを確認し、その行動が何か問題を引き起こす前に対処したいと考えていた。
夜の静けさの中、ワタルはファングの姿を遠くから見守りながら、少し距離を置いてついて行った。ファングは宿の裏手に向かい、街外れの暗がりへと進んでいく。街灯の少ない路地を曲がり、ワタルは彼がどこへ向かっているのかを見定めようとしたが、何かに気づいたようにファングが立ち止まり、後ろを振り返った。
ワタルは咄嗟に身を隠したが、心臓が高鳴るのを感じた。もしもファングに見つかれば、この緊張感がさらに悪化するのではないかという不安が胸をよぎる。それでも、ワタルはこのまま見過ごすわけにはいかないと思った。
ファングはしばらくその場に立ち止まっていたが、再び歩き出した。
「スラムの方に向かってるな」と兵士団員が小声でつぶやいた。ワタルは頷きながら、ファングの行動に対してますます疑念を抱いた。スラムに向かう理由が何なのかはっきりしていないままだが、彼の行動がこれまで以上に怪しく感じられた。
ファングはそのままスラム街の奥へと進んでいき、やがて、薄暗い路地のさらに奥にある灯りのもれた建物に入っていった。
「どうする?追いかけるか?あれは…この辺の連中が集まる酒場だったと記憶しているが…」兵士団員が慎重に問いかけた。
ワタルは少し考えたが、兵士団員の提案に頷き、ファングの行動をこっそり確認することを決めた。彼は建物の脇を回り込み、薄暗い路地から静かに中を覗き込んだ。
建物の中は、薄汚れた照明に照らされ、酒場のような雰囲気が漂っていた。中には数人の男たちが雑談しながら酒を飲んでおり、中央のテーブルに座るファングの姿も見えた。
ワタルは、ファングが男たちと何か話しているのを確認した。しかし、その内容までは聞き取れなかった。彼はしばらくその場に立ち尽くし、彼らの会話に耳を澄ました。
ファングがベッドに入った音が聞こえた後、ワタルは一息ついてから、眠りにつくまでファングたちの会話について考え続けた。
次の朝、ワタルが目を覚ますとファングの姿がなかった。
ストイックな彼だ。早起きして朝食をとっているか体が鈍らないよう鍛錬をしているのだろう…そう思っていたが、パーティメンバーも兵士団員も誰も見かけていないらしい。
身体を動かす程度であればまもなく戻ってくるであろう。
ワタルはしばらくファングのことを気にかけていたが、彼のストイックな性格を考えれば、すぐに戻ってくるだろうと自分を納得させた。彼は他のメンバーや兵士団員と軽い挨拶を交わし、朝食をとるために宿の食堂に向かった。
しかし、食堂で朝食をとっている間もファングの姿は現れなかった。ワタルは次第に不安を感じ始めた。昨日の夜、ファングが酒場で密かに何かを話していたことが脳裏に浮かぶ。「あれは何だったのか…?」
時間が経つにつれ、他のメンバーも少しずつファングの不在に気づき始めた。サヤが「ファング、何か言ってなかった?」とワタルに尋ねると、彼はファングの昨日の行動について話した。
その言葉に、パーティ全体が一瞬静まり返った。
「何かあったのかもしれないわ。」とハウンが不安そうに言った。
「あれだけのことを言っておいて、勝手なことをするよね。」とスノーはそっぽを向いたまま、彼女らしくない態度で言った。その表情には明らかに不満が表れており、ファングとの最近の口論が原因で、彼に対する苛立ちが増しているのが見て取れた。
「…とにかく何か書き置きがないか
探してみよう。」
ワタルは気まずい雰囲気を変えようと、努めて明るく振る舞った。メンバーも彼についていき、部屋の様々まで探し始めた。
窓から吹き込む風によって飛んでいってしまったのか、ベッドの下から一枚の紙が出てきた。「ファングの筆跡だ」ワタルはそう確信して、紙を広げて内容を確認した。そこには、こう書かれていた。
「俺は少しの間、外に出る。心配するな。戻ったら話す。」
簡潔な言葉だったが、ファングらしい無駄のない筆跡と共に、その意図がはっきりと伝わってきた。ワタルは紙を手にしたまま、しばらく黙り込んだ。内容は短いが、どこか重苦しいものを感じた。
「外に出る、って…どこに行ったんだろう?」サヤが不安そうに呟いた。
「少しの間、って書いてあるから、そんなに遠くへは行ってないはずだわ」とハウンが続けたものの、その言葉には自信がなかった。
「やっぱり変だよな…どうして何も教えてくれなかったんだ?」ワタルが口にすると、その場に重い沈黙が広がった。ファングは信頼できる仲間だっただけに、黙って出て行ったことが皆に不安を与えていた。
「すぐ戻ってくるんでしょ?」とスノーが、わざと軽い調子で言った。
スノーは腕を組んだまま、窓の外をちらりと見つめる。彼女の言葉が軽い調子だったとしても、その内心は穏やかではないことは皆にも伝わっていた。
ワタルはスノーの言葉を聞いても、あまり気が晴れなかった。「それでも、心配だよ。何かあったんじゃないかって気がする。」
すぐにでも探しに行きたかったが、無闇に動くのは危険だと自分を抑えた。ファングが自分たちに伝えなかった理由が何であれ、今は冷静に対処するしかないし、単独で行動しなければいけないワケがあるはずだ。
「戻ったら話すって書いてあるんだから、信じるしかないんじゃないの?」スノーは窓の外を見たまま言った。
結局、メンバー全員が不安を抱えたまま、その日は特に動けないまま時間が過ぎていった。
その日の夜、重たい空気が漂う中、誰もが気まずさを感じながらそれぞれの作業を続けていた。ワタルは書き置きの紙を何度も見返し、ファングの行動に対する疑問が頭から離れなかった。
やがて、疲労が徐々に勝り始めた。重い瞼がゆっくりと落ち、彼の視界がぼやけていく。それでも、心の中の疑念は消えないまま、ワタルは考え続けた。
「ファング…一体どこに行ったんだ…」
その思いを最後に、疲労に支配されたワタルは、ようやく眠りに落ちた。部屋には静寂が広がり、夜の冷たい風が窓を少し揺らす音だけが響いていた。





