第三十八話 捨てる
ここは…身に覚えのある真っ暗な空間
だ。
そしてあの少女の声。「気分はどう?ワタル」
「なんだか嫌な気分だよ。俺は死んだのか…?」と返す。
「いいえ。今回は大丈夫みたいね。最もここから死を選ぶことは出来るけれど…」とレフレ。
「変な冗談はやめてくれ…そうだレフレ様に聞きたいことがあったんだ。」
とワタルは切り出した。
「なあに?あんまり時間はないわよ」とレフレ。
「まぁ…色々あるんだけれど…サヤっていう子にあったことはある?獣人で黒髪の女の子。」とワタル。
「サヤ?ああ、この前に会った時はそう名乗っていたわね。その前の時は確かに私が獣人に転生させたの…」レフレはあっさりと答えた。
サヤが転生者…?ワタルは驚きを隠さなかった。
「今更だけど…これって俺が見てる夢だか幻想ってことはないよな…?」
とワタル。
「いいえ。夢でも幻想でもないわ。証拠が欲しいのなら、サヤに聞いてごらんなさい。彼女の右手の甲にある小さな星形の痣のことを。」
「右手の甲の星形の痣…?」ワタルは首をかしげる。
「そうよ。それは彼女が転生した際に残った痣で、彼女自身も気づいていないかもしれないけれど、それが証拠よ。それに実はアンタにもあるのだけどね……」レフレはそう言って手首を掴んできた。
「まさか…気が付かないわけ…って本当だ!」とワタルは自分の右手の甲をまじまじと見つめる。
「それが濃くはっきりと見えるようになるほどこの世界での役目は終わりに近づいていくという証拠なの。きっと…」
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「馬鹿野郎!無茶しやがって!」と声が聞こえる。この声はファング……?とワタルは思った。
どうやら無事に目が覚めたようだ……が身体が怠い……喉が痛い……
風邪のひきはじめのように鼻の奥がじんとする。どうやら川の水を飲みすぎたせいのようだ。
気がつけばワタルは河原に寝かされており、ファングに突っつかれていた。
他の面々は周囲を探索しているようで、辺りは静寂に包まれている。
とにかくまずは起きなくてはと身体に力を入れた。びしょ濡れの身体は重いが何とか動くことが出来そうだ。
立ち上がる際、そっと右足の膝に乗せた腕を下ろすや少しバランスを崩してしまうワタルをファングは慌てて支えてくれた。
ノートはびしょ濡れになってしまったが流されずにとってくることが出来たようだ。
「妹のこと…家族のことどうでも良いわけないよな?だってお墓だってあんなに綺麗にして、大切に思っているのにどうして……」とワタル。
ファングはどこか遠くを見つめているようだった。
「内戦のこと思い出すからか…そうだよな配慮が足りなかった。」とワタルは謝罪する。
「そうじゃねぇ。忘れるべきじゃねぇと思ってる。色んなもんを恨みたい気持ちはあるが、力を持ちながら何も守れなかった俺自身に向っ腹が立っている。」
ファングはワタルの目をまっすぐと見つめ、そして続けた。
それはワタルが今まで見た事もない男の眼だった。
「そして、その日記を読むのがずっと怖かったんだ。」とファングは続ける。
ワタルは静かにうなずきながら言った。「お前が恐れていることはわかる。でも、妹さんが何を感じていたのか、何を言いたかったのかを知ることが、きっとお前の心を救うはずだ。」
ファングは目を閉じ、一瞬の沈黙が流れる。風が吹き、河原の静寂が二人の間に重くのしかかる。「…お前にはわからないんだよ、ワタル。妹がどれだけ俺を嫌ったか、どれだけ俺が憎まれていたか…!」
「このバカ兄貴!10年越しにちゃんと仲直りしろよ…」とワタルはノートのページを開いてみせた。
ファングの顔に一瞬の動揺が走り、彼はワタルの差し出すノートを見つめた。躊躇しつつも、震える手でそれを受け取り、びしょ濡れのページを慎重にめくり始める。
***
ファングはノートのページをめくり、妹の日記を読み始めた。最初は楽しかった思い出が綴られているページだった。
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7月10日
今日はお兄ちゃんと一緒に森に行って、たくさんの木の実を集めた。お兄ちゃんはいつも木の上の高いところにある実を取ってくれる。私、いつもありがとう。お兄ちゃんがいると、何だか安心するんだ。
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7月15日
今日はお兄ちゃんと一緒に川で魚を釣った。お兄ちゃんが釣りのコツを教えてくれて、私もやっと一匹釣ることができた。お兄ちゃんと一緒に笑いあって、楽しい一日だった。お兄ちゃん、ありがとう。
ファングの手が震え、次のページをめくると、日記の内容が少しずつ変わっていくのがわかった。
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9月1日
今日はとても不思議な日だった。お兄ちゃんに突然、尻尾と長い爪ができたんだ。最初は驚いて、信じられなかった。じゅうじん?になったんだって。
かっこいいねと言ったけれど、お兄ちゃんもお父さんもお母さんも嬉しくなさそう。
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9月3日
お兄ちゃんの友達のアルトさんがさよならも言わないでいなくなっちゃった。お兄ちゃんと喧嘩したからかな?
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9月5日
学校でみんなが私をいじめるようになった。理由は、お兄ちゃんが獣人になったから。みんな私を「獣人の妹」と呼んで、笑う。お兄ちゃんは何も悪くないのに…でも、やっぱり辛い。
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9月8日
今日はひどい一日だった。みんなに囲まれて、お兄ちゃんのことを悪く言われた。私は怒りをぶつけてしまった。「お兄ちゃんのせいで、私はこんなに苦しんでいる」と言ってしまった。本当はそんなこと思っていないのに…。
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9月25日
今日も街でさわぎが起きた。毎日、私とお兄ちゃんは家から出ないように言われてる。お兄ちゃんも怒っていそうだし、私もお兄ちゃんにごめんなさいが言えない。2人でいるのはつらい。
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9月30日
今日はお父さんと大喧嘩をしてしまった。ずっと家の中にいるのが嫌で、お父さんに「外に出たい」と言った。でも、お父さんは「危険だからダメだ」と言った。私は「お兄ちゃんが獣人になったせいで、こんな生活になったんだ」と言ってしまった。
お父さんはすごく怒っていた。お兄ちゃんは何も言わなかったけれど、奥の部屋に行ってそこから大きな音がした。
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10月1日
ごめんなさい。ごめんなさい。お母さんにも怒られた。危ないのは本当にわかってたし、またお兄ちゃんに嫌なことを言っちゃった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
今日は寝ちゃったみたいだから明日ちゃんと謝ろう。
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ここで日記は途切れている。
ファングは日記を握りしめ、目を閉じた。涙が一筋、彼の頬を伝った。「悪い…先に帰っていてくれるか?そんな顔するな…捨てやしねぇよ」と、かすれた声で言った。
「ありがとな。」とファングは小さな声で言った。
妹の思い出とともに、自分を見つめ直すための時間を求めて。
大きなお世話だったかもしれないな…
ワタルは自分にそう呟いた。ファングが涙を流した瞬間を思い出すと、少し胸が痛んだ。もしかしたら、ファングの心の傷を無理に開いてしまったかもしれないという不安がよぎる。
しかし、次の瞬間、ファングの震える手で日記をめくり始めた場面が頭に浮かんだ。妹の思い出を読む彼の姿は、確かに悲しみに満ちていたが、同時にどこか救われたようにも見えた。
「結果として、見せてよかったんだ」とワタルは自分に言い聞かせた。ファングの涙は、彼がずっと心の中に閉じ込めていた感情を解放するための第一歩だったかもしれない。妹の日記を通じて、ファングは自分の過去と向き合う勇気を得たのだと信じたかった。
「今日は好きなもの作って待ってるからな。」とワタルは心の中でつぶやいた。
「あっ!見つけた!ノート持ってない!ハウンちゃん!サヤちゃん!」と遠くからスノーの声がする。
集まった3人から物凄い表情で睨まれたが、きちんと弁明したところ、日記を捨てたのではという不安から解放されたスノーの顔がにわかに輝き始める。
「もう、ワタル!そんなつもりないなら最初から言ってよ!」ハウンが軽く怒りを滲ませながら言った。
「それよりも、ワタル!」サヤが真剣な表情で言った。
「川に飛び込むなんて危ないじゃない!私は泳げないから…私と一緒だったら、助けることもできないんだから」とサヤ。
サヤがこれほどまでに怒るなんて、ワタルは小さく縮こまり、謝罪した。
「ううっ…すみませんでした。」
「あー、泣いちゃったじゃん。ファングも気持ちが変わったんだから、よかったじゃない?ねっ?」とスノーがワタルの肩を撫でた。
「でも、何かする時は相談なしはやめてね。」とサヤ。
一同は秘密基地に帰り、ファングを待つこととしたのだった。ワタルが罰として風呂掃除1週間分を課せられたのはまた別のお話。
続く





