第三十五話 レイジ・シャルカン
「…それでスノーが全然起きて来ないの…夜更かしでもしたのかしらね……」
ハウンは困ったような表情でワタルに話しかけてきた。
こっちはあれから眠れなかったのに…
とワタルは心の中で毒づいた。
昨夜のスノーの様子を思い出して、なかなか寝付けなかったのである。
しかし寝不足でぼーっとした頭を覚ますためにも、顔を洗ってこようと宿を出たところでハウンに声をかけられたのだった。
なんと泊めてくれた教会は朝食まで用意してくれるらしい。
「じゃあ、スノーを起こしに行ってくるわね」とハウンが宿の中に入っていった。
「おはよう」とスノーが眠そうに目をこすりながら出てきた。
「おはよう……って、お前その目……」
ワタルは驚いた。スノーは目を充血させていた。
ファングも起きてきて、「どうしたんだ?寝不足か?」と心配している。
「うん!ちょっとね……でも今日は大丈夫……!大丈夫!」
とスノーが言いながら目の前のスープに手をつけた。
怪訝そうな表情を浮かべながらファングはそれを見つめている。しかしワタルに顔を向け一言「食おうぜ」というだけだった。
せっかくの食事を残すと失礼だと、そのままみんなの箸が進む。しかし何度目があってもスノーの視線はスープに注がれたままのようである。彼女は目線を左に向けたり右に向けたりと落ち着きがない。
その好奇の視線を送っている場所が気になるのかファングがやっとスノーに声をかけた。
すると彼女は慌てて目をこすりながら、なんでもないよ!と笑顔で答えた。
ワタルは彼女の様子が心配でならなかったが、本人が大丈夫だと言っている以上、あまり詮索するわけにもいかず、とりあえずは様子を見ることにした。
食後は何も手がかりもないままではあるが、何もしないよりはマシであろうと街を探索することにした。
すると中心の広場に何やら人だかりが出来ているのである。黄色い声が飛び交っているのが聞こえる。
ファングが興味を示したため、ワタルとスノーもついていくことにした。
中心の人だかりの中心には、青髪の青年が何やら手品のようなものを披露している。周りを取り囲んだ民衆の視線は今、青髪の青年の手に集中していた。
涼しい顔つきをした青髪碧眼の青年は快活な笑顔を見せながら自在にカードを操っている。テンポよく観客の周りを跳ね回り、一度で全てのカードを交換したり飛ばしたりしてみせ、夢中にさせている。
お捻りがたくさん入って華やかなことこの上ない様子だ。
「サァサァ、一つマジックを見たら後ろの人にも見せてあげて!」
衆はその声を受けて、列を入れ替えている。よしよし良い子ちゃんたちだと、青年はマナーの良い客たちを高らかに称賛している。
そのおかげでワタルたちも最前列へと進むことが出来た。
「えーっと、君。ちょっと協力してもらうよ」
青年はワタルの肩に手を置き、耳元でそう呟き、ウインクをして見せた。
観衆からは嫉妬からか、歓声か判断するのが難しい野太い声が出されていた。
俺だって選ばれたかったわけじゃ…と
考えていた途端。空からポツリポツリと雨が落ちてきて数秒もしないうちに激しくなった。
突然のことに困惑して、屋根のあるところへ行こうと残りのメンバーに声をかけたが、彼らは動く様子はない。
ハウンが「あれ、あれ」とワタルの頭上を指さしている。
完全に理解するのに時間がかかったが、自分の上だけに雨が降っているらしい。
強い雨が数十秒間集中して脳天を襲って来る。雨雲から逃れようと走り回ったがしつこくついてくる。
スノーが魔法を使って雲を凍結するまでそれが続いたのだった。
全く酷い目にあったものである。
一言文句を言ってやろうと青年に近寄ると、「ごめんよぉ。弁償はちゃーんとするから!」と言いながらタオルを持ってくる。
彼の容貌を間近で見た時、ハッとした。
「タクト…?」咄嗟に声に出してしまった。確かにそっくりであったが、そのはずがないのである。
その言葉を聞いた瞬間、彼の表情はキョトンと落ち着き、またワタルの肩に手を置いて耳打ちする。
「一時間後に、あのカフェにきて。絶対だよ」と言われ、次のマジックが始まるので一旦後ろの列に戻るようにと手振りをしてきた。
ワタルは一同に事情を話し着替えてからカフェへ向かうこととした。
怪しいから近づかない方が良いだろうという意見も出たが、ワタルは亡きタクトに似ている彼と話をしてみたかった。全員で同席するという形で最終的には落ち着いたのだった。
カフェに到着すると、青年は既にテーブルに座っていた。彼は笑顔で手を振り、ワタルたちを迎えた。
「やあ、来てくれてありがとう。さ、座って」と彼は気軽に言った。
ワタルたちは警戒しながら席に着いた。青年はウェイターに注文を済ませると、再びワタルたちに目を向けた。
「君たち、タクトって名前を出してたけど、オレの弟と知り合い?」と彼は尋ねた。
一同がざわつく。
ワタルは躊躇しながらも思い切って答えた。「タクトとは一緒にサエナ王国で一緒に試験を受けたことがあるんです。でも、彼はあの天泣との戦いで命を落としたんです。」
その言葉を聞いた瞬間、青年の表情は変わらなかった。むしろ、彼は穏やかな微笑みを浮かべていた。
「そうか、天泣と戦ってたのか。彼は本当に勇敢だったんだね。いやぁ兄として誇らしいよ。」と青年は感慨深げに言ったが、その声には感情が感じられなかった。
その様子に違和感を覚えながらもワタルは頭を下げる。「ご家族から予々話は伺っていたのですが…レイジ・シャルカンさん。差し出がましいようですが、一度ご両親にお会いする気はありませんか?」
その言葉を聞いたレイジは凍りついたように動かなくなった。先程までのコミカルな雰囲気が消え、不気味に思えるほど静かな空気へと店内は包まれた。
「いいかい?オレは誰よりも自由な旅人。そして水も滴る良いオトコ。帰る気なんていーっさいないっ!」
相変わらず瞳は色を取り戻しておらず、空々しく動く彼の言葉がジョークでないことを暗に伝えた。
「君たち、弟のことを教えてくれてありがとね。でも、オレにはオレの生き方があるんだ。」レイジの声は冷静で、まるで感情を閉じ込めたかのようだった。
「そう…ですか」とワタルは言葉を失った。彼の背筋に冷たいものが走った。レイジの反応は人間らしい悲しみや怒りが一切感じられず、むしろ全てが計算された演技のように思えた。
「この自由がオレのすべてだからね。まあ、君たちもせいぜい気をつけるんだ。天泣の連中は本当にしつこいからね。」
その言葉に一同は黙り込んだ。レイジの態度からは、タクトの死が彼にとって何の影響もないように感じられた。その不自然さに、誰もが次の言葉を見つけられなかった。
「そういえば、タクトはオレのことをどう言ってた?」と、レイジは突然尋ねた。
「彼は…いつもあなたのことを誇りに思っていました」とワタルは答えた。
「そうか、それは嬉しいね」とレイジは微笑んだが、その目にはどこか冷たい光が宿っていた。
その瞬間、ファングが拳をテーブルに叩きつけて立ち上がった。彼の表情は怒りに満ちていた。周囲の客たちが驚いて振り向く。
「おい、ふざけるな!」ファングの声は怒りで震えていた。「お前は弟が死んだってのに、なんでそんな風でいられるんだ!?」
レイジは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにその表情は消え、代わりに薄笑いが浮かんだ。「あぁ、そうか。君は感情的なんだね。でも、オレは違うんだよ。」
レイジは静かに立ち上がり、ファングの前に立った。「君たちにはオレの生き方はわからない。悲しんでいる暇なんてないんだよ」
「暇がないだと?」ファングは怒りで震える声を押し殺して言った。
「お前は本当に血の通った人間か?まるで他人事のように話すなんて!」
レイジはファングの言葉を聞き流し、「君にはわからないんだろうね。本当に大事なのは、何を成し遂げるかだ」とつぶやいた。その言葉には、まるで彼の本当の意図を隠しているかのような冷たい響きがあった。
「結局、ゼフィルの奴はタクトが倒したんじゃあない。そうでしょ?何も成せなかった…可哀想だと思っているよ」と白々しく言った。
「タクトを侮辱しないでください!」ワタルが怒りに満ちた表情でレイジを見上げた。その瞳は激しい炎を宿しているように感じられた。
「どうして貴方がゼフィルの名前を…?私たちはタクトさんが天泣との戦いで命を落としたとしか言っていませんが…。」とハウンが目を丸くした。
レイジはにやりと笑い、軽く首をかしげた。「君たちは鋭いね。ゼフィルの名前を知っているのは、オレが天泣の幹部だからさ。驚いたかい?」
ファングはもう限界だった。彼の拳が震え、今にもレイジに飛びかかりそうだったが、スノーが彼の腕を掴んで止めた。レイジはそれを見て、さらに楽しそうに笑った。
「まぁまぁ、ここはカフェだ。ことを荒立てたくないだろう?」レイジは悠然と手を広げて、周囲の客たちを示した。「せっかくの平和なひと時を壊すのはよろしくない。だから仲直りしよ♪お詫びにコーヒーでも一杯ずつご馳走するよ!」とウィンクをし、握手をしようとあろうことかファングに手を差し出す。
パシッっと乾いた音が響き渡り、レイジの手をファングが払いのけた。
ファングがレイジの手を払いのけると、カフェの空気が一気に凍りついた。周囲の客たちはざわめき、緊張感が高まる中、レイジは口元に笑みを浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
「まぁ、そういう態度も理解できなくはない。だが、ここは公共の場だ。
これ以上揉めると、おまわりがすっ飛んでくるぜ。」と言ってガラでも無い冷静な警告を出し、首でドアの方を示す。
ワタルたちは無言のまま立ち上がり、カフェを後にした。レイジの後を追う形で人目のない裏路地に出ると、レイジは再び悠然と向き直った。
「さて、これで邪魔者はいない。どうやら君たちは本気でオレとやり合う気らしいね」とレイジは冷たく言った。その声には、先ほどの軽い調子は微塵も残っていなかった。
「そうか。ならば、お相手しよう」とレイジは静かに言い、手をかざすと、その手から水が溢れ出した。
突然、レイジの周囲に水の渦が巻き起こり、彼の手の動きに合わせて形を変えた。次の瞬間、その水が鋭い刃のように変わり、ワタルたちに向かって猛然と襲いかかってきた。
「危ない!」とワタルが叫び、仲間たちは瞬時に散開してその攻撃を避けた。しかし、レイジの攻撃は止まらない。彼は次々と水の刃を生成し、まるで遊んでいるかのように次々と繰り出した。
スノーは氷の魔法で食い止めることに成功する。
「おお、やるじゃあないか」とレイジは感心するが、距離を保ち、様子を窺うようにいった。
スノーは全力で氷の盾を展開し、次々と飛んでくる水の刃を防いでいたが、その連続攻撃には次第に疲弊していった。「これじゃあ、攻撃できないよ…」とスノーは息を切らしながら呟いた。
ファングは近接戦闘を試み、レイジに近づこうと何度も試みたが、水の刃がその都度彼を阻んだ。「くそっ、全然近づけない!」と怒りを露わにした。
ワタルはスノーを援護しながらも、レイジの動きを注意深く観察していた。何か隙を見つけようと必死だったが、レイジの動きは完璧で、隙を見つけるのは容易ではなかった。
「このままじゃ、ジリ貧だ…」とワタルは焦りを感じつつも冷静さを保とうと努めた。
レイジは楽しげに笑いながら、水の刃を次々と繰り出していた。「本当に君たちは頑張るね。でも、その努力は無駄だよ」と冷酷に言い放った。その時だった。
「特に君。素晴らしい氷魔法だ。だがいつまで保っていられるかな?」
レイジの口調が急に変わり、スノーを挑発するかのような口調になった。
スノーは一瞬動揺し、氷の盾がわずかに揺らいでしまった。その一瞬の動揺が命取りだった。
水の刃が盾を突き破り、そのままスノーに襲いかかったのだ。スノーは避けようとしたが間に合わず、その一撃をまともに受けてしまう。
彼女は全身切り裂かれながら後ろに吹き飛ばされ、苦悶の声を上げながら倒れ込んだ。
「さっさ回復しておやりよ。死んでしまうよ?」とレイジはその場にどかっと座り込んだ。
スノーは意識が朦朧としていた。焼けるような痛みが全身を襲い、立ち上がることができない。
レイジはそんなスノーを見下ろしながら、ゆっくりと近寄ってきた。そして、彼女の髪を掴んで持ち上げた。
彼女は苦痛に顔を歪め、うめき声をあげた。
レイジは冷たい目で彼女を見つめた。
ワタルは決死の覚悟で身体強化をして彼に飛びかかるも避けられてしまった。
だが、奴からスノーを引き離すことには成功したようだった。ファングが仁王立ちし、後ろでハウンが回復に努めている。
「喧嘩売る相手を間違えたな…みんな…すまない。」と、ファングは怒りを押し殺しながら言った。
天泣の幹部ともなれば、いずれは対峙しなければならない敵だったが、こんな形になるとは予想だにしていなかった。仲間たちの顔にも絶望の色が滲んでいる。
「あーあ。少しは楽しめると思ったのに。」とレイジは言った。
ファングが前に立ちはだかり、ハウンがスノーの回復に努めているのを見ながら、レイジはその場を歩き回りながら考え込むように言った。「まぁ、今日はおいとまさせてもらうよ。」
「なんだと?」ファングが苦しげに息をつきながら問いかけた。
レイジは振り返り、冷ややかな笑みを浮かべた。「君たちと戦うのは楽しかったが、これ以上は無意味だ。君たちがまだ未熟だからね。もっと力をつけてから挑んでくれた方が面白い。今のままじゃあ、単なる時間の無駄だ。」
「それだけか?」ファングは牙をむき出しにして質問を続けた。
レイジは少しの間黙ってから、ふと視線をスノーに向けた。「それと、彼女の魔法…懐かしい技術を見せてくれた。おかげで少し思い出に浸ることができたよ。君たちの成長を見守るのも一興かもしれない。」
スノーはまだ完全には回復していなかったが、レイジの言葉にかすかに反応を示した。彼女は目を見開き、彼の言葉の真意を探ろうとするようにレイジを見つめた。
「彼女が見せてくれた氷の魔法…オレの師匠の魔法使いと同じ術式だよ」と言いながらレイジは歪んだ微笑を浮かべた。
その笑顔の奥に潜む異様な気配に、全員が戦慄した。この男からは全く人間らしい感情を感じ取れないのである。
奇妙なことに彼には明確な敵意さえも存在していなかった。我々を見下すことも無く、逃走する気すらなさそうだ。ただ観察の対象として我々を見つめ、いかなる状況であろうと身を引いたりするなど端から存在しないのだと思うのだ。
「この場の全員の命を奪わないかわりに聞かせておくれ。君に魔法を教えてくれた者の名前をさ!」とレイジは瞳を輝かせて言った。
「ミヤビさん…ミヤビ……っていう名前、だった……」とスノーは呟くように言った。今にも消え入りそうな声だったが、その場の全員が意識を集中させた。
ワタルは以前聞いていた過去の彼女を励ましてくれた存在であり憧れの人。
魔法使いのお姉さんその人なのであろうと理解した。
「どうりでねぇ!つまり君はオレの妹弟子ということか!」
彼の笑顔はさらに歪み、狂気の色を帯びていた。「ミヤビさんの技術を受け継いだ君が、こんなところで足掻いているとは…まったく面白い!」
「ミヤビさんは素晴らしいお方だった。オレの明るい笑顔もきっと師匠譲りなんだよね!」とレイジは居丈高にポーズをつけて言った。
「お姉さんの優しさと一緒にしないで!魔法を間違ったことに使うなんて…お姉さんがなにより悲しむんだから!」とスノーは気丈に反論したが、その声は擦れており弱々しく感じられる。
「ハハッ!悲しむかどうかなんてわからないじゃないか!もうこの世にいないのだから!」とレイジは勝ち誇ったように否定した。
えっ…とスノーは言葉を失った。
「彼女の元から独立した後、天泣という素晴らしい組織と仲間に出会えたんだ。ただ愚かなことに師匠はこのオレを止めようとしたんだ。だから仕方がなかったんだ。」とニヤニヤとしながら言った。
「…さない!許さない!絶対に!!!」スノーの瞳に激しい怒りが宿る。ボロボロになっていたはずの身体を気力で起こし、見たこともないほど大きな氷塊を魔法で作り上げる!
「マズイわ!ワタル!ファング!巻き込まれるわ!」ハウンが慌てて言う。
ファングはとっさにワタルを抱えてその場を離れた。スノーとレイジの間にいたファングは爆風からわずかに離脱することはできたようだったが、魔法に巻き込まれないよう走りながら悪態をついた。
一方その現場はすぐにゴォーッという轟音に包まれ、まるで吹雪の中にいるような光景だった!
「スノー!」ハウンの叫び声も、荒れ狂う氷の粒に飲み込まれてしまった。そして、レイジの姿も見えなくなってしまった。
「あいつの姿がない…やったのか…?
いや、違う……」とファングが言った。
その瞬間、ゴゴゴ……っという氷混じりの風と共に大量の氷を纏わせた風が足元に流れ込み、同時に龍のように鋭い雹が次々とメンバーを襲った! 雹は鼻先や手、足などに突き刺さり、その痛みに全員が悲鳴を上げた。
「スノー!」とハウンが叫んだが返事はなかった。
レイジは直撃する前に水の魔法で弾き返していたのだった。しかし彼もまさかの威力驚きを隠せない様子だった。
「これは思わぬ収穫…!次会う時が楽しみだよ!」と捨て台詞を残し、水柱に包まれて消えていった。
ワタル達一向が目覚めたのは教会に併設された病院の一室だった。
スノーの姿が見当たらない。





