第二十九話 それでも止まぬ雨
ナハトは幼い頃、孤児院で暮らしていた。
獣人への風当たりが現在とは比べ物にならない時分、まるで鬼のような角を生やした少女はその姿を気味悪がられ、両親から捨てられたのだった。
しかしナハトはそんな境遇を恨んだりはしなかった。
施設は彼女の他にも獣人に覚醒した子供達がいたため寂しくはなかったし、孤児院の先生は優しかった。
両親の顔はもう覚えていないがナハトは幸せだったと言えるだろう。
そんな時だった。人間と獣人との争いが表面化し、後にラグド内戦と呼ばれる戦いが始まる。
施設がその戦火に巻き込まれることになったのだ。
暴徒たちは怒りと恐怖に駆り立てられて、獣人たちを根絶やしにしようと躍起になっていた。町中から憎悪に満ちた群衆が集まり、獣人を匿っていると噂が流れ、孤児院を取り囲んだ。彼らは獣人への偏見を煽る煽動者の言葉に煽られ、石と火のついた松明を手に施設に襲いかかった。
孤児院の先生と子どもたちは、一斉に逃げる準備をしていたが、暴徒の数は圧倒的で、防ぎようがなかった。彼らは窓を割り、扉を蹴破り、怒号と共に施設内に乱入してきた。子どもたちは隠れる場所を求めて必死に逃げ回ったが、次々と捕まえられ、残忍な手段で命を奪われた。
その最中、兵士団が到着したが、彼らの介入は遅すぎた。暴徒もほとんど逃げてしまっている。もはや孤児院は見る影もなく、そこには大勢の屍と焼け爛れた血の臭いが漂っていた。
そんな中でナハトは血まみれになって泣いていた……
彼女は先生から教えられた歌を歌いながら必死で自分を奮い立たせていたのだ。
兵士団の遅れた到着は、ナハトの心に深い疑問を植え付けた。彼らは何故もっと早く来なかったのか。そして、なぜもっと効果的に介入しなかったのか。その疑問は、ナハトが周囲を見渡すにつれて、憤りへと変わっていく。
兵士団はみんなのヒーローだと先生に教わっていた。
焼け跡と化した孤児院の中で、ナハトは独り残された。死んでいった友達や先生の顔が目に焼き付けられ、彼らの悲鳴が耳から離れなかった。彼女はそれら全てを兵士団の無能さと無関心に帰した。彼らがもっと早く介入していれば、もっと多くの命が救えたはずだと彼女は確信していた。
また、孤児院に残されていた資料から、獣人に対する社会的偏見がどれほど強かったかを改めて知ることになった。これにより、ナハトは兵士団がただ遅れて介入しただけでなく、獣人というだけで彼らが本気で守ろうとしなかったのではないかと疑うようになった。その考えは彼女の中で次第に確信へと変わり、獣人に対する差別が彼女たちを見捨てる理由になったのだと信じるようになった。
兵士団はみんなのヒーローではなく、彼女の仲間や家族を見捨てた無責任な大人たちに過ぎない。
だからこそ、自分が強くならなければならないのだ。ナハトはそう決意したのだった……
そして内戦が終結し、獣人への差別的扱いが緩和されつつあったが、その流れは国全体に広がりきっていない。
ナハトは孤独に困窮に喘いでいた。
獣人である彼女に手を差し伸べるものはいなかった。
天性の身体能力があったため、自身が兵士団員となり二度と戦争を繰り返さぬよう、自分のような子どもたちを救いたい。兵士団を内部から変えてやろうという目標があったが、その願いは拒絶された。彼女の獣人であることや、過去の孤児院での経験からくる偏見により、兵士団は彼女を受け入れることを拒否した。この拒絶はナハトにとって深い傷となり、彼女の心には不当な差別に対する怒りと屈辱が渦巻いた。
道を外したのはその時だった。
獣人への差別がなくなることなどあるはずもない。ならば、いっそ全て壊してしまえ。そうしなければ孤児院の子どもたちや先生のような悲しい被害者が増え続けるだけだと悟ったのだった。ナハトは兵士団を諦め、自暴自棄になり、流浪の民となり略奪を繰り返した。
皮肉なことに、彼女が持つ類まれなる身体能力や戦闘技術は日陰から日向へと移ったことで、さらに磨かれていくことになる。また、獣人としての強さを持ち合わせているという事実は彼女の大きなアイデンティティともなりえたのだった。
そんなナハトの前に現れたのが天泣という悪の組織だった。彼らはナハトの復讐心を刺激し、兵士団への怒りを燃やす言葉を投げかけた。天泣のトップは彼女に兵士団に対する復讐を手伝うよう誘い、その代わりに彼女の力を使うと提案した。ナハトは復讐心に煽られ、天泣の申し出を受け入れることにした。そしてナハトは天泣の一員となったのだ……
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「私のやっていることは悪。そんなことわかっているさ。だけれどそれがいつか、皆を救うことにつながると信じているのさ。」
語り終えたナハトの顔は穏やかだった。
「あの戦争で俺だって家族を亡くした。お前を許すつもりはねぇが、その葛藤と苦しみは俺も経験したからわかるつもりだ。だけどな、復讐心だけで戦ったところで何も変わらねぇよ」
ファングはナハトの目を見てキッパリと言った。その言葉の重みに思わず圧倒される……しかし彼女はなおも引き下がらなかった。
「それで君は満足しているのかい?
君は本当に心から笑える日が来るのかい?私も最初はそう考えたさ。でもそれは間違っていた。私が力を行使し、心を鬼にして戦い続けたからこそわかったんだよ……この道を選んだのは間違いではなかったとね!」
彼女はそう言うと、再び雷を召喚したのだった。
「野郎…」とファングもすかさず近接戦闘を仕掛ける。ナハトは一切動じることなく、雷を自在に操った。
ファングとナハトが互いに一歩も譲らず、激闘を繰り広げている。スノーは岩陰に身を隠しながらその様子を伺っていた。しかしいつまでもその光景を見ているわけにはいかなかったのだ……
「なかなかの腕じゃないか。さて少々ギアをあげようかね」とナハトがそう言うと、殴りかかってくるファングの腕を掴み、電撃を放出したのだった。
ナハトが放った電撃はファングの腕を伝い、彼の全身を痺れさせた。ファングはたまらずその場に膝をつく……
ナハトはその隙に素早く後ろに回り込み、羽交い締めの体勢で彼を拘束したのだった! そして彼女はそのままファングを空高く持ち上げたかと思うと、勢いよく地面へ叩きつけたのだ!その衝撃は凄まじく、大きな地割れが発生するほどだった。
ファングは意識を失いかけており、立ち上がることすらままならない状態だった。しかしナハトの攻撃はまだ終わっていなかったのだ。
「私の魔法で!」とスノーは最大出力の氷塊魔法をナハトへ繰り出す。しかしナハトはそれを避けることすらしなかった。
スノーは手応えのなさを感じていた。
やはりいつもより魔法の威力が出ないのだ。
「ふふふっ…涼しさをどうもありがとう。どうも力が入らないようだねぇ…君たちの料理に盛った毒のお味はいかがだったかな?」
ナハトは再び笑みを浮かべる。
その言葉を聞いた瞬間、スノーは全身に電流が走ったような衝撃を受けた……あの料理に毒が?だが一体いつ仕込まれたというのだろう。
ファングも意識を取り戻したようだが、まだ立ち上がることはできないようだ。しかし彼の目はまだ死んでいなかった。
彼は再び立ち上がろうとする……
「ハウン、回復してあげなよ。それでなきゃファングが死んでしまうけれどいいのかな?」とナハト笑いかける。
「いいかい?私の目的は君たちの命を奪うことじゃない。私たちの天泣の力になってもらうことさ……君たちは強いからねぇ、私は大歓迎だよ!」とナハトは続ける。
「誰があなたたちなんかに!」
スノーは毅然とした態度で言い返した。しかしナハトは全く意に介していないようだった……
ナハトはニヤリと笑うと、再び雷の魔法を繰り出す。スノーは咄嗟に氷防御壁を展開するがその威力に押され吹き飛ばされてしまう。
ファングもなんとか立ち上がろうとするが、回復を受けたもののまだ体が痺れて上手く動けないようだった。
ナハトはそんな二人を見て満足そうに微笑む…
回復に徹していたハウンも反撃に出る。疾風のような速さでレイピアで刺突を試みる。しかしナハトはそれを避け、その腕を力強く掴むと雷の魔法を至近距離で放ったのだ! ハウンは激痛に顔を歪めた。彼女は慌てて手を振り払い距離を取る……どうやら麻痺してしまったようで動くことはできないようだった。
「さぁ、ワタル君、どうしようかな?彼ら彼女らをパーティに縛りつけているのが君という存在なのであれば…君には選択肢があるはずだよ?」とナハトが言うと、ワタルは拳を握りしめながらナハトを睨みつける。
「3人を天泣に差しだすわけないだろう!みんな逃げるんだ!死んでも俺が食い止め…ぐはぁっ!」
「誰を食い止めると言ったのかな?
君は自分の立場をまだわかっていないようだね」とナハトはそう言うと、雷を纏った拳でワタルの腹部を殴りつけた。
あまりの衝撃にその場にうずくまるワタル……
痛みを堪えるが、残薬を手にする余裕もない。なんとか身体強化の魔法を使い、痛みを緩和させながら起き上がる……しかし彼の足は震えていて立っているのがやっとだった。
さらに追い打ちをかけるようにナハトは、今度は雷を帯びた蹴りでワタルを蹴り上げる!ワタルの体は宙を舞い、受け身も取れずに地面に激突した。
絶望の瞬間だった……
俺はまた大事なものを守れないのか?
ワタルは薄れゆく意識の中で自問する。
再び立ち上がることすらできなかった。もう無理だ……身体の痛みと共に心が折れていくのを感じた。しかしここで諦めたら俺は何のために力を手にしてきたんだ? 天泣が世界を支配するのをただ黙って見ているだけなのか? いや違う、そうじゃないだろう! ワタルは歯を食いしばると最後の力を振り絞り、ナハトに向かって走り出したのだ! そして拳を握りしめて殴りかかる! だがその攻撃はいとも容易く避けられてしまう……それでもワタルは諦めなかった。何度も何度も繰り返し攻撃を繰り出すが、その全てを避けられてしまうのだった。
薬の副作用と受けたダメージで体が悲鳴を上げていた。息も絶え絶えになり、立っているだけで精一杯だった。
まだ残薬はある。しかしこれを飲んでしまえば身体はおろか自我を完全に失う可能性すらある。本能が警鐘を鳴らしていた……
「おおっと、その薬は…やはりそうか!鳥との戦いで急に強くなったと思ったら…!ホリックを倒したのは君たちなんだね…!こんな山で魔物を使ってパーティを呼び寄せていた甲斐があったよ…!これはますます興味が沸いた…天泣にぜひ来てもらいたいものだね!」とナハトは嬉しそうに笑う。
そして薬を飲ませまいと電撃で攻撃してきた。ワタルはすかさず避けるが、その衝撃で手に持っていた薬を取り落としてしまった! すぐに拾い上げようとするがナハトに阻止されてしまう。さらに雷魔法を繰り出され、ダメージを受けてしまう……身体強化の魔法も効果が薄れていたようで思うように動けなかった。針の穴に糸を通すような精密な攻撃で薬は魔法によって消失させられてしまたのだった。
絶望に満ちたワタルの表情を見て、ナハトは満足そうに微笑んだ。
そして彼女はファングたちに視線を移してこう告げたのだ……
「さようなら、ワタル君。実に楽しかったよ……」
その言葉を言い終えた瞬間、3人がワタルを庇うように立ち塞がった!その行動を見て、ナハトは声を荒げる。
「そんなにそいつが大切かい?私たちの苦しみが君たちにはよく理解出来るだろう?そこをどけ!」と叫ぶ。
しかし3人は微動だにしない……
バチバチとナハトの指先が光を帯びる。
「いいか、みんなせーのでアイツに突っ込んで攻撃するぞ 勿論出せる全力でだ」とファングが言うと、「もし、失敗したら?」とスノーが不安そうに聞き返す。
すると彼はニヤリと笑ってこう答えた。「一か八か。1人で戦って勝てる相手じゃねぇ…死ぬ時は一緒だ」
「そうね…」
ハウンとスノーは覚悟を決めたように頷き、武器を構える。ワタルもよろめきながら立ち上がった。3人とも決死の覚悟だった……
「仲間になる気はなしか…それでも人間にすり寄るならば君達にも死んでもらうしかないね…」と彼女の指先の光は徐々に増大していく。
「ファング!あの雷が放たれる前に!」とハウンが叫ぶ! ファングはそれに呼応するようにせーのっと声を上げた。
そしてそのままナハトに向かって突進する! 彼女が繰り出す雷の魔法が発射される前に近接攻撃を仕掛ける算段だ。
「おっと!わざわざ当たりに来てくれるとはね!不意打ちのつもりだろうけどあまりに動きがノロマさ!」と雷撃を放つ。
大きな爆発音が鳴り響くと同時にナハトの前から4人の姿が消えた。
地面は抉れ、大きなクレーターが出来上がっていた。





